翌朝,部屋の窓一面に広大な滑走路と明るい曇り空が広がっている。
空港ターミナルに出ると,改めてその巨大さに驚く。出発ターミナルへはビル内から発着する新交通で移動する。どうせ帰りにも寄るので詳しいチェックはせず,いよいよベトナムへ出発だ。
クアラルンプールはベトナムより南に位置するため北上することとなる。2時間のフライトですぐにホーチミン市だ。小さな飛行機で,通路側の席。
窓側の男が何だか怪しい。ジャケットを着たわりと若い男で,日本人ではないようだ。仕草が落ち着かない。何だか気になるなあ。ベトナムに近づくにつれ,彼はさらに激しくそわそわし出した。ついにたまりかねた様子で,僕に英語で話しかけてきた。
「僕の国なんです。5年ぶりで帰るんです」
「本当?どこから?」
「アムステルダムで働いていたんです」
「お家はホーチミン?」
「もっと北の○○です」
「よかったですねえ」
「うれしいです。いい国です」
「よかったよかった」
そういうわけだったのか。
タンソンニャット国際空港に着いた。
飛行機から降ろされて周りを見渡す。
わーっと熱気がおそってくる。
滑走路周辺も赤茶けた未舗装の部分がかなりあったり,雑草が生えていたりする。空港ビル?も古びた小さな地方空港のレベルだ。クアラとは何という違い。田舎だなあ。なにか懐かしさも感じる。
おんぼろリムジンでターミナルへ向かう。屠殺場のような打ちっ放しのコンクリート床に地元民,外国人と別れて並び,入国審査を受ける。審査官は共産国らしくユーモアが一切通じなそうな感じだ。
KGBのボス,アンドロポフが書記長だった頃,モスクワ経由でヨーロッパに行った。一番の近道だが当時は確か日航とアエロフロートしか飛べなかった。モスクワのイミグレーションはトランジットでホテルに泊まるだけなのに何だか恐ろしかった。ホテルに向かうバスでフランス人の女の子が泣き出したぐらいだ。その後ゴルバチョフになってから同じ便でいったときは,入国管理官がいい旅をとウィンクするわ,空港のバーではどんちゃん騒ぎをやっているわ,政治状況の変化をあからさまに感じた。
ベトナムはまだ固茹で卵のような国なのだろうか。
との思いは5分後にうち砕かれた。
税関を出て暗いビル内から外を見ると,強烈な陽光に照らされて,出口のすぐ向こうにある鉄柵にたくさんの男たちが覆い被さるように群がって盛んに手を振っている。空は真っ青だ。彼らの白シャツが眩しい。あんなに大勢の出迎えが来てるのか。
我々はまず両替をするため案内表示に従って外へ出,両替所に向かった。するとその出迎えご一行の一角がわらわらと崩れ我々の方に押し寄せてきた。タクシータクシーと連呼する。ひょっとしてあいつらみんなタクシーの運転手?何とか振り切って両替を済ます。ベトナム通過はDONで,1万ドンで百円見当だ。
たしかに,ガイドブックによるとここのタクシーはボラレルことが多いので気を付けろと書いてある。とにかくメーター料金のタクシーで行けば大丈夫らしい。
意を決して運ちゃんの群に突入する。わーっと寄ってきた運ちゃんの代表格が街まで7ドルでどうかという。1000円弱ぐらいだからいいかとも思うが,意地でメーターじゃなきゃダメだと言い張る。そのうちある男が,わかったわかったというように別の運転手を呼びつけた。手配師みたいな役割なのか。再度メーターかと聞くと,メータータクシーだという。現れた運転手についていくと,手際よく荷物をトランクに詰め込み,乗れという。確かにメーターはついている。でもランプが消えている。メーターじゃないのかと聞くと。7ドルだと聞いている,と言う。それは話が違う。彼はメーターだと言ってた,といっても,全然取り合おうとしないので,じゃあやめた,と言って降りると,運転手はムッとしながらトランクから荷物を下ろした。
仕方なく,また運ちゃんの群に歩いていくと一台のタクシーが僕らにさっと横付けし,乗れという。一部始終を見ていたらしく,メーターだから大丈夫と言う。口ひげを生やした強面の親父でちょっとビビッたが,一応乗ってみる。彼はメーターを指さし,大丈夫とうなずく。だがそこには$と表示されているので,これはドルではなくドンだな,と確かめると,そうだという。$と書いていても普通はドンだとガイドブックにも書いてあったので信用する。ただしあくどいのになると後でドルだと言い張るのもいるらしい。
よく考えてみるとボラレても知れている,と覚悟を決め,ホーチミン市の中心にあるホテルニューワールドへ向かう。タクシーに乗るのも一苦労だ。初めての街では相場の感覚がないため授業料と思う方がいいかも。
だいたい5ドルぐらいかな,と予想した。日本で600円と言えば初乗り料金だ。空港がどのぐらい離れているかわからないが,大した距離ではないのだろうか。
タクシーはわりと広い舗装道を快調に飛ばしていく。驚くのはバイクが異常に多いことだ。市内に入るつれ新旧雑多に入り交じった街並みが目にはいるようになると,道路は一面のバイク,バイク,バイク。殆どがホンダのカブだ。こちらではバイクのことを普通名詞としてホンダというらしい。バイク屋の看板もHONDAとなっている。よく中国の自転車の大群がテレビなどで紹介されるが,あれが全てバイクになったと思えばいい。名物の自転車タクシー"シクロ"もちらほら走っている。自動車は少ない。一応フランス統治の影響か右側通行らしいが,どこがセンターラインなのかも判然とせず,左側を走っているのもいる。交差点にはたまに信号があるが赤が止まれを意味するのかどうかさえ判然としない。
それにしてももう30分ぐらい走っており,メーターもかちゃかちゃ上がっていく。
こんなに遠いのか。まだかな。と思ったとき,あれがホテルです,と運ちゃんは指さした。結局4万数千ドンだった。5百円弱か。ということは7ドルと言えば8百円以上だからあいつらは3百円以上もボロうとしてたのか。たかが300円という考えもあろうが,やはり今度来る人のためにも,現地的相場で考えなくてはと思う。この正直な運転手さんには気持ち込みで5万ドンを支払う。
ドンでもドルでもどちらも使えることもわかった。でも,レートでもわかるようにかなりインフレが進んだらしく,今はある程度落ち着いているとはいえやはりドルの方が好まれるようだ。
全ての機会をとらえて金儲けしようという,大阪商人を顔色なからしめるような,この強烈な資本主義的バイタリティは,最後まで見せつけられることになる。たかが3日間の滞在でベトナムを語るつもりは毛頭ないが,解放政策いわゆるドイモイは深く浸透しているように感じた。滞在中は見事にただの一度も共産圏であるということを意識させられなかったのは事実だ。元々西側の南ベトナム,サイゴンだったからこそかも知れないが。
ところで帰国後読んだ本によると、ホーチミン市民は今でもサイゴンと呼んでいるらしい。ただし政治的な意味と言うよりは単に呼びやすいからだという。はは。真相は僕には分からないが、ここではそれに習ってサイゴンと呼ぶことにする。