さて,京成特急は,何となく沈んだ心持ちの僕たちを乗せて成田空港第2ターミナル駅に滑り込んだ。ちょうど70分だ。
 改めて3人になってみると,今まで大勢の仲間の中でのつきあいだったのが3人きりになってしまったせいか,どことなくぎこちないムードだ。
 成田はご存じの通り歌にもなった北ウイング南ウィングがあるメインターミナルと,新しいこの第2ターミナルからなる。僕が海外旅行に初めて行ったときは,旧ソ連のアエロフロートで,出発がいきなり8時間遅れとなって,見送りに来ていた千葉の親戚の車で成田山へ参詣してもまだ時間が余り,飽きるまでターミナルを探検したものである。何回目かの旅行中に第2ビルが完成し,帰国時に出来立てのビルをチェックした。
 さて,ここで毎年国外逃亡を繰り返しているNさんが俄然リーダーシップを発揮し,彼の手引きでスムーズにチェックインを終える。
 また,彼の提案により基金を造成することとした。つまり,各自がある程度のお金を拠出し,空港税や交通費,食事代など頭割りで使う分はその基金から支出するのが効率的だというのだ。当然のごとく基金の管理者はNさんとなる。これは強引にそうなったのではなく,3人の性格から見てごく自然に決まったことだ。僕が純粋ボケ,Mちゃんはボケも入ったツッコミ,Nさんは生粋のツッコミだ。これは非常に合理的な方法で,ひとつのグループ旅行の知恵だと思う。ただ,後になって思うのは,ほとんどの金勘定をNさんに任せきりにしたため,楽な反面自分の感覚として身に付かなかった。ちょうどツアーコンダクターに頼りっ切りの団体旅行に一長一短があるようなものだ。
 僕は今まで何回かヨーロッパ中心に海外旅行をしただけだが,その乏しい経験でも所謂パックツアーは端から性格に合わないと思って避けてきた。団体に縛られるのは仕事だけでたくさんだ。その団体が小規模でも同じことで,興味の所在や体力などそれぞれ違う人間が決められたとおり行動することがいかに苦しいか。親にヨーロッパに連れていって欲しいといわれ,面倒だからとパックツアーに参加した時に,いやと言うほど味わった。
 内緒だけれど,奥さんや恋人連れが違った意味でしんどいということは,男性諸兄ならば涙を浮かべて同意の握手をいただけるだろう。
 旅行の本当の醍醐味はやはり一人旅だ。
 ただし,これには例外があって,気の合ったダチと弥次喜多道中というのは,旅のスタイルとしてはうれしい。ひとり旅とは全く違った楽しみ方だ。僕は「これしかない」というコダワリ派ではなく,「これもある,あれもある」という複雑さを愛する男なので,こういう旅も何度でもしたい。
 ところがOLや奥様諸姉がお友達と香港だバリだと飛び歩くのを後目に,野郎どものフットワークは重く,たまにサバけた奴と話が盛り上がったと思ったら,仕事の隙間が一致しなかったりと,弥次喜多への道は遠い。何たって仕事優先なのは僕とて同じだ。
 歴史を読み込む力がある人は,日本社会の仕事に対する神聖視が何処に由来するのかを,明治維新,儒教精神,資本主義,プロテスタンティズム,カルヴァンの宗教改革などのキーワードからただちに類推して,これを相対化できるだろう。
 ま,これは冗談として,今回はそういう意味で得難い道中であるから,ベテランのNさんに気持ちよく寄りかからせてもらおう。
 我々はベトナムへの直行便がとれなかったため,まずはマレーシアのクアラルンプールへ向かう。18時40分発。今回のキャリアは全てマレーシア航空だ。
 機内はわりと空いていて,離陸後それぞれゆったりとした席取りをする。ここまで来てしまうと,今後の旅への期待が膨らんで皆の顔が明るくなり始める。ガイドブックを回し読みしながら,順調な夜間飛行の時を過ごす。ガイドブックはベトナム2冊,マレーシア1冊を買い込んだ。時差も確か1,2時間ほどしかないから気分的にもラクだ。だが,朝からの卒業セレモニー,みんなとの別れ,そして出国と,家族の期待を背負って出稼ぎに向かう密航者のような一日は,疲労で我々をエコノミー席のシートに沈み込ませるには十分すぎる濃密さだった。後頭部に蜜が満ちていくようだ。
 僕はなかなか寝付かれず,ウトウトしてはガイドブックをパラパラめくり,ウィスキーをチビチビやる。
 深夜1時30分,音もなく降り立ったマレーシア空港は予想を超えて巨大で近代的なものだった。座席の窓が無数の光源で埋められる。成田の比じゃない。
 飛行機から降り立ち,初めて(日本以外の)アジアの空気を吸う。以外と爽やかだ。もっと暑さと湿度でムッとくるのかと思っていた。でも日本で言えば真冬の午前1時過ぎだ。違うと言えば違う。
 ところで,僕らの当面の課題は今夜の宿をどうするかということだ。ここは単なるトランジットで明朝ベトナムへ発つため,現場判断ということにしていたのだ。まあ,空港のベンチに寝てもいいやと。だが,みんな年のせいか疲労の色が濃い。どこかホテルを探そうかと話しながら,ターミナル内に歩いていくと,目の前に「トランジットホテル」の看板を見つけた。意見の即時一致を見てその空港内ホテルに泊まることとした。
 ロビーに行くとNさんが頼むというので僕が英語で話してみる。
 するとツインルームにエクストラベッドで良ければ空いているという。
 48リンギットだという。僕はこのリンギットというのが何をいっているのかわからなかった。で,振り向くとNさんが金の単位だと教えてくれ,矢継ぎ早にシングルは空いてないのか,いくらなのか,聞いてくれと日本語でまくし立てる。僕がしどろもどろになってフロントの人に聞くのをみてNさんは,単語を並べるだけの見事な英語で必要事項を聞き出してしまう。この関西流の粘り強い交渉と実利優先のコミュニケーションはその後の旅行でも随所に発揮され,ぼんやりした北海道人の僕にはとても得るものが多かった。
 やっぱり会話はスタイルよりコミュニケーションが大事だよなあ。
 もう一人のMちゃんは「わしはすっかり任せたから,よろしく」とうスタンスである。
 通された部屋はごく普通の近代ホテルで,窓からは滑走路が一望できそうだが何せ深夜なのでよくわからない。
 エクストラベッドは野戦病院のベッドのような粗末なもので,備え付けのものとは明らかな差がある。ここは公平にアミダくじで決めることとした。ハードな一日の締めくくりとしては報われない運命に殉じたのはNさんであった。残る二人は格別の同情もせずそれぞれのベッドに陣取った。このことが後に一騒動を起こすことをまだ誰も知らない。
 ぼくは二人の寝息を聞きながら免税店で買ったウィスキーをチビチビやる。Nさんも,Mちゃんも酒は全然飲まない。もっぱら僕だけが飲んだくれている。それが後にとんでもない事態の原因となることを,このときの僕は知らない。
3時過ぎ、ベッドに深く沈み込む。