まず京成で成田へ向かう。
 飛行機にはまだ時間があるので、直行のスカイライナーではなく普通の特急で行くことにする。
 車内の3人は一つの得難い生活が終わってしまった感慨にそれぞれの思いをくゆらせ、無言である。
 この間を利用して、なぜベトナムに行くことになったのかお話ししよう。
 J大では半年の研修期間中、正月を含め3回、一週間程度の休校日がある。僕は東京に来る前、折角の機会だからアジアのどこかの国にでも行ってみようと思った。欧米は何度か行ったが、同じ仲間のアジアを知らなくてどうすると考えていたのだ。東京なら札幌からよりも近いし、安い券もあるだろうと。
 それで札幌を離れる直前にパスポートを更新しようとしたら、受け取り地は札幌で,かつ本人でなければならないと言う。もう間に合わない。じゃあ東京に住民票を移してそちらで取得しようと、手続きを取りやめた。しかし、いざ更新しようとすると、諸般の事情で出来なかった。結局正月に札幌で申請し、2月の休みに取りに行った。
 その間、あるグループがラスベガスへの格安ツアーで楽しんできたのも横目で眺めるしかなかった。このグループにはNさんMちゃんも入っているが、結果的にはツアー代の2倍ぐらいもベガスの闇に吸い取られたらしい。しかし、東京の闇に一晩でラスベガス分吸い取られた人もいるらしいので驚くには値しない。
 もう纏まった休暇はないし、土日で韓国でも行くしかないなと思い、ある時Nさんにそんな話をした。すると、なんと彼は年期の入ったアジアウォーカーであるという。毎年のように出かけ、ミャンマーやラオスのはてまでほとんどの国を踏破したというではないか。
 勤め人だからゴールデンウィークや正月にしかいけないが,バンコク発券の一年オープンで買ってるから,安くいけるのだとプロっぽいことを言う。
 Nさんは僕が行くならつき合うよと言ってくれた。でも,日程を考えると残り一ヶ月しかないし,本業の研究成果発表会なども控え,土日に遊べるチャンスは一回しかないではないか。ところがこの土日には寮の同じフロアーの面々で卒業旅行と称して伊豆に行くことになっている。
 諦めるしかないのか。でも一度その気になったのでなかなかやーめたとはならない。冗談で卒業式が終わった足で行こうかという話が出ると,もうその線に向かってい一直線となった。ちょうど春分の日がらみで三連休となるし,ちょっと休みをもらえば,ゆっくりできそうだ。早速それぞれの職場に了解をもらう。これで決まった。
 次は行き先をどこにするか。僕の希望としては韓国,台湾,香港,タイ,マレーシアなどスタンダード,かつアジア的雑踏に浸れるところであれば,どこでも良かった。しかしNさんはどこにも行ったことがあり,特にタイは毎年のように行っているからそれ以外のところへ行きたいという。
 どうしようかどうしようかと,海外旅行雑誌などを見ながら日にちが過ぎたある日,Mちゃんが珍しく僕の部屋に遊びに来た。たまたま居合わせたNさんと,一緒に行かないかと誘ってみると,「うん,いいぜ」ときた。彼はラスベガスへ行ったのが海外初体験であり,すっかり味を占めたのか。それにしても,あっさりとしたノリだ。Nさんが他にも何人か誘ってみたが,卒業と同時に一刻も早く家庭へ,ふる里へ,仕事場へ直行したいらしい。結局物好き3人組と相成った。
 そんなある日,テレビを見ていると海外取材ものでベトナムの旅をやっていた。女3人食べ歩き,みたいなもので,ちゃらちゃらした番組だったが,ベトナムも面白そうだな,と思った。じゃあベトナムにしましょうか,と暫定的に決めるやいなや,行動派のNさんが早速旅行代理店で何から何まで聞いてきてお膳立てをしてくれたのだ。
 某日,曇り,強風,細かいプランを決めるため,3人で代理店に行った。格安旅行大手の広大な店内は各地域毎にカウンターが分かれ,銀行本店のような雰囲気だ。Nさんは対応にでた女子店員よりも知識経験が豊富なため,多少いらだっている。
 僕のイメージでは格安旅行はすなわち格安ホテルとなるのだが,Nさんは最高級クラスのホテルにしようという。今までもそうしてきたらしく,アジアの厳しさの中では高級ホテルのくつろぎが何より有り難いのだという。もう若くないのだし,とも。素直に従うこととした。彼の主張はその後つくづくと実感することとなる。
 ともあれすべての準備が整った。卒業も数日後に迫り,寮を引き払う準備をする一方,旅行鞄などの道具をそろえたり,忙しい。危篤の親と出産間近の妻の面倒を両方見ているような気分だ。
 「今なぜ,何とやら」というフレーズほど手垢にまみれ尽くしたものはないのに未だに得々として使いたがる輩が多い。が「今なぜベトナムか」というのは全然我々にも理解できない。でもいいのだ。人間は矛盾に満ちているが,そのことを深く考える意味はない。なぜなら人間とはそういうものだから。というようなことを池波正太郎が書いていた。そのことだ。これでいいのだ,とバカボンパパもおっしゃっている。