広尾に雨が降っている。僕たちは言葉少なに南部坂を下っていく。有栖川公園のカラスも静かだ。毎日見慣れた風景のディテイルが、今日は瑞々しい。
 使い慣れた広尾駅の狭い階段を降り上野駅方面の地下鉄に乗り込む。途中1人、2人と下車するたびに別れの挨拶を交わす。今度はいつ会えるのだろうか。こんな気持ちを前にも感じたことがあった。そうだ、卒業式の帰り道。春の日差し。
 今日もその時と同じ卒業の時だ。今まで当たり前のようにつきあってた友達と明日からは別々の世界に進んでしまう。不思議なような落ち着かないような気持ちだ。日常の崩壊と、再構築への不安なのか。悲しいというより何か空虚だ。
 僕らはJ大学校(といっても国の研修所)で半年間寝食を共にし、今日が別れの日なのだった。北は北海道から南は沖縄までという陳腐な表現がそのまま当てはまる研修生が、プライバシーゼロの東京生活を送った後、それぞれの思いを胸に日常生活の場所へ戻っていくのだ。
 上野駅に着いた。茨城人のSさんとはここでさよならだ。J大の寮は二人部屋で僕と彼とは同室だった。酒飲みで気の置けない奴だ。豪農の子息で画伯でもある。彼と同室になったからこそ半年間気楽に楽しく暮らせた。と言ったら、Sさんの方は結構気を使ってたと思うよ。と何人かに言われてしまった。どちらにしても生涯の友だ。
 別れは寂しいから、あっさりと明るく。
 で、上野駅に3人が立っている。
 一人はNさん。関西人である。髭面がよく似合っており、愛想のいいアラブゲリラのようだったが、今は剃り落とし、盛んに後悔している。彼は研修が始まって間もないのに講義をさぼって東京タワーに昇りに行ったのがバレて、寮主事(元刑事の爺さん)に絞られた。僕は陰ながらその独立心に快哉を叫んだものだ。それを機にすっかり寮主事と仲良くなったのは彼の人柄だ。寮生は120人もおり、最初のうちは彼と特に話す機会もなかったが、後半急速に親しくなり、よく色々なところへ遊びに行った。
 もう一人はMさん。自称Mちゃん。だからMちゃんと呼ぶことにする。信州人だ。パッと見で破戒坊主の印象だと思ったら本当に真言宗の寺の子どもだった。僕の膨大な日本文化史の知識の中から法然の「選択集(せんちゃくしゅう)」について議論を持ちかけると,対等に応じていたから,本物だろう。一見尊大なダンディズムと当意即妙のギャグで人気者だった。僕より何歳か年下なのに「札幌は寒いかね」などと横柄な口をきく奴だと思っていたが、これは信州独特の言い方であり、実は繊細で情に厚い人間だと後にわかる。
 二人についてこれ以上書くと色々差し障りがあるのでこの辺にしておく。
 で、上野駅に3人が残った。
 僕らは帰郷前に,これからベトナムへ遠大な道草を食いに行こうというのだ。