去年あたりから名古屋に興味を持っている。これは街づくりとかそういった興味ではなくて、あくまで名古屋文化に対する興味である。
 ずいぶん前にタモリが海老フリャーとミャーミャ−言葉を揶揄して一般の人たちにも知られるようになったが、彼にしてはつまらないギャグだった。このころを境にタモリの欣ちゃん化が始まったんだよなと、もとミーハーの私は悲しく振り返るのである。 
 私の名古屋との関わりはあまりない。
 小学校のとき仲の良かった友だちが知多半島へ転校し、知多半島?あ、名古屋の近くかあ、と地図で確かめたのが初の接近遭遇。
 「ハヤシもあるでよー」というCMが私等ガキどもを席巻したころ、これが名古屋弁(?)であるという秘密を知り、まさか同じ日本でそんな変な言葉、と驚いたこと。
 生粋の北海道人としては、このぐらいしか印象にないのも無理なかろう。修学旅行も素通りだしね。
 叔父が長年住んでいて「いいところだぞー」と言っていたのは覚えている。
 秋田出身の後輩が名古屋勤めとなり、同僚に東北訛りを名古屋弁で馬鹿にされたと憤慨していた。そいつは「いやなところだよー」と言っていた。そのせいではなかろうが身長190センチの彼はその後自殺した。
 会社の飲み友達は学生時代を名古屋で過ごし、「つまらん所さ」とハスに構えているわりには、名古屋をけなすと怒るのである。彼は10歳近く年上で、出会った10年前当時一般的には無名だった南方熊楠を熱烈に信奉しているというヘンな人だった。私もそれに感化されて、これだけの才能が無視されているのはおかしいと酒を酌み交しつつオダをあげたものだが、1昨年当り連載漫画に取り上げられたのがきっかけで復権し、その後の熊楠関係の書籍出版の洪水は目を見張るばかりである。
 それで何だっけ、そうだ名古屋だ。

 そういった、淡い先入観念を培いつつも、特に思い入れのある街ではなかった名古屋を、数年前の夏に初めて訪れる機会があった。
 久屋大通やテレビ塔、広々とした道路から受ける印象は「札幌に似てるなあ」というものであった。しかし、仕事を終え、予約したWホテル(仮称)でチェックインしようとして最初のカルチャーショックを受けた。
 このWホテルは中堅のビジネスホテルチェーンで札幌にもある。瀟洒なロビーを横切り、ちょっと気取ってフロントに名前を告げた。するとフロントマンはにこやかな笑みを浮かべ、まずはこれをどうぞと差し出されたのが、何とオシボリだった。私も結構色々なホテルに宿泊した経験があるが、いきなりオシボリを出されたのはこの時を除き空前絶後である。ど、どうしたらいいんだと一瞬目が点になったが、せっかくのサービスを断わるのもどうかと、手をふき、思い切って顔もふいた。さすがにワキの下は止めておいたが気持ちよかった。
 近代的ロビーの衆人環視の中でオシボリを使うのはイカガナモノカとも思ったが、気取ることないがね、という軽い居直り感こそが名古屋的だと悟るまでには今しばらく時間を要するのである。

 さて、夕食がてら名物の名古屋コーチンでも食べるかと街へ繰り出した。私は3度の飯より鶏肉が好きで、独自集計による肉類好感度ランキングは1鶏肉2牛肉2豚肉4羊となっている。部位や鮮度等の品質、料理法で順位は入れ替わるが、大まかな気分としてはこうなっている。3日と置かず食べ続けているので、たまに頭をさすりさすりしてトサカが生えてないか確かめているほどだ。
 名古屋コーチンは確か一時絶滅しかけたのを、戦後わずかに生息していた純血種を探しだし、これを増やして復活させたと聞く。焼鶏屋で品書きをみると、普通の2,3倍の値段であったが、これを食べずして鶏は語れぬと注文してみた。なるほど上品さの中にも地鶏系のしっかりとした味わいが失われておらず、鶏の王者と自賛するのも首肯ける。懐具合の関係上直ちに普通のブロイラーに切り替えたが、これも何故か非常においしかった。名古屋人はきっと鶏に対して一言ずつ持っているのだと思う。ちょうど我々が羊肉に一家言持っているように。
 ところで、驚いたのは付け合わせである。ほぼ5センチ角の正方形に裁断した生キャベツの葉が数枚重ねられて小鉢に入っている。これは一体何なんだと店員に聞くと、これをかじって口直しをしつつ焼鳥を味わうのだと言う。アイスクリームに添付されているウエファースと同じ役割だ。焼鳥の付けあわせといえば、札幌あたりではせいぜい大根おろしが付くぐらいだが、さすが本場の皆さんは心構えからして違うものだと痛み入った次第である。
 そういや、私の生誕の地である室蘭で数年前初めて焼鳥屋に入ったが、どこの店でも焼鳥2串一人前の皿のワキに黄色い練りからしが絞りだされていた。純粋無垢な少年時代、大人たちはこんな陰微な習慣を守り続けていたのかと、からしにむせんだものだ。京都の焼鳥屋では、メニューの意味が皆目わからなかった。一口に焼鳥屋と言ってもお国柄があっておもしろいものだ。
 と言う訳で名古屋は鶏の街のようだ。

 さてと、おなかも一杯でほろ酔い気分となったし、夜の街をぶらぶら散歩するか、と繁華街をそぞろ歩いていてまたびっくりした。8時半ころからぱたぱたと店が閉まりだして、9時を過ぎるころにはほとんど全ての店がしまってしまい人通りも途絶えてしまったのである。奇妙な形の街路灯だけが白々と輝いている。これが200万都市の夜とは信じられない。若者たちはどこへ行ったんだ。オジサン方も皆帰っちゃったのかよ。 名古屋は健康的な都市のようだ。

 翌朝、名古屋駅地下街の喫茶店でモーニングセットを食べた。これにエビフライが添えられていて、思わずニヤリとした。名古屋人もやるジャン。

 小牧市にある名古屋空港は意外にこじんまりとしたものであった。
 ここの土産物屋では予想通り金の鯱のレプリカが売られていた。こういった、例えば東京タワーに「努力」の文字みたいなものは全国どこにでもあり、修学旅行生とか冗談半分の人とかが安いやつを買っていく光景はたまに見かける。
 たいていこの種の物には巨大で高価な親分格のがいて、例えば10万円の金閣寺とかの前で、一体こんなものだれが買うんだろうね、などとお決まりの会話がかわされる。まあ、店の方でもインテリア兼客寄せのつもりなんだろうと思っていた。名古屋空港でも、一匹数万円の金の鯱がしっぽを勢い良く跳ね上げているのがガラスケースに納められており、ふーんと言う感じで見ていた。
 すると、いかにも近在の田舎から都会見物に出てきた小金持ちといた風情の中年夫婦づれが店員にそれを取り出させ、緊張の面持ちで購入してしまったのである。私はそれを呆然と見守っていたが、ハッと我に返り、いやー、いいものを見せてもらった、と嬉しくなってしまった。やっぱり買ってく人がいるんだなあ。
 この夫婦は名古屋の人ではなかろうが、名古屋という土地が人を狂気に誘うという仮説も成り立つ。そこのあなた、真面目に聞いちゃだめよ。
 ともかくもこのように非常に印象に残る、訪問であった。

 この最初の訪問の後、名古屋が関係するものが妙に気になり、知らずに理解が深まっていった。
 思い付くままに挙げると
 名古屋の作家、清水義範の「蕎麦ときしめん」「きしめんの逆襲」「金鯱の夢」
 名古屋の漫画家、須賀原洋行の気分は形而上(週間コミックモーニング連載)
 名古屋のスケーター、伊藤みどりの一連の演技
 名古屋のお年寄り、きんさんぎんさんの一連の発言
などである。
 特に具体的に知りたい方は、ワニ文庫の「名古屋の謎だぎゃあ」をお薦めする。

 名古屋文化の諸相は我々北海道人からみると外国の話を聞くようである。
 婚礼準備が親の生き甲斐で娘3人で身上をつぶすとか、花嫁道具を運搬する専用トラックがあることは、わりと有名だが、そのトラックが縁起をかついで決して後戻り出来ないため、対向車とすれ違えないときには、ご祝儀をわたして対向車をバックさせるとか、花嫁道具を近所にお広めするとき、家計が苦しくてもレンタルまでして体裁を整えるとか、奥が深い。
 そのほか、新婚旅行はハワイのハレクラニホテルじゃなくちゃいやよとか、郊外型書店の発祥の地であるとか、土産ものの価値が質、量よりも重さで判断されるため、ういろうが発達したとか、三越よりも松坂屋の方が高級ブランドだとか、オリンピックが禁句だとか、近所の喫茶店にパジャマ姿のまま行くとか、発達した地下街が自慢なあまり晴れた日でも地下街を歩くとか、テレビで宣伝しているか否かが商品選択の絶対的な価値基準だとか、電車で人の足を踏んでも謝ってはいけないとか。
 生活のディテールがかくも異質なことを知れば知るほどわくわくしてくる。

 昨年NHKの大河ドラマの信長を見ていて気がついたが、登場人物はみな名古屋或は近郊の人たちなのである。
 現在の日本標準文化を京都だとか上方だとかの影響をスッパリ切り捨てて、東京文化に代表させたとしよう。かなり荒っぽいけど、伝統芸能だとかじゃなくて、日常生活の最大公約数的風土として割り切ればまあそう言ってもいいのではないかト。この東京的文化はもとはと言えば江戸文化な訳で、この江戸を作ったのはご存じ権現様である。その家康公は今川家での人質暮しが長かったとはいえ、三河の殿様。三河と名古屋は違うと名古屋人はいきまくが、私等に言わせれば単なる近親憎悪、同じ名古屋文化圏であろう。関東の連れションの後、家康が名古屋的生活風土をそのまま持ち込んで、江戸の礎を築いたことは想像に難くない。つまり東京文化というものは名古屋文化の影響を色濃く受けているのである。いやこれでは本末転倒だ。言い直そう。東京文化は名古屋文化の亜流なのである。
 以上惚れぼれするような緻密な論理の積み重ねから得られる結論は、
 「日本は名古屋である」
というものだ。皆さんも驚いたろうが、書いてる私もびっくりした。

 この恐らく誤解に満ちた名古屋論を読んだ名古屋人、あるいは関係者がどういう印象を受けるかは考慮の外だが、最後に誤解なきようつけ加えておく。
 色々書いたが私は気候温和にして自給自足が成立つほどの豊かな土地名古屋を、極寒の北海道から羨ましくも興味深く拝見している一人のフリークなのである。
 この眠れる鯱は、早晩各界で大きく跳躍する予感がある。
 折しも昨年末、日本で初めてのオペラハウスが名古屋に完成した。一音楽ファンとしては嬉しくもあり、それが札幌ではなかったことが無念でもあった。日本もようやく無駄金を使えるようになったかという感慨もあった。
 とまれ、今後も大名古屋に注目し、陰ながら応援していくことを約束して筆を置く。