8月23日(金)

 ミャンマーで目を覚ますことが当たり前と思えてきた。でも今日でお別れなのだ。
 朝食はバイキング形式だった。麺料理があったので食べてみる。
 東京の朝まだき,何か食べようと友人と歩いていた時のこと,ラーメン屋にモーニングサービスという看板を見つけて驚いた。驚いたついでに食べてみた。280円の醤油ラーメンは二日酔いの胃にしみじみと広がっていった。それ以来モーニングラーメンって”あり”だと思っている。
 ここの麺はモヒンガーだった。モヒンガーというのは米から作る麺で,ナマズのスープを麺の上からかけて食べるミャンマー料理だ。昨夜の屋台で見た麺もこれだったか。コクのあるスープとあっさりした麺が朝の胃をなだめてくれる。考えてみるとビルマ料理を食べたのはこちらに来て初めてだ。もっと食べておけば良かったと少し後悔がよぎる。
 僕らのテーブルは通りに面したガラス壁の横で,通勤の人々が間近に見える。ホテル内は少し掘り込んであり,ちょうど椅子の高さが歩道のレベルになっているため,歩行者のロンジーが僕らの横を次々と通り過ぎる。
 彼らにこんな高級ホテルは縁がないだろう。昨夜人々が歩道に身を寄せ合ってさんざめいていたこと思い出すと,冷房の効いた快適なホテルにいることに何となく罪悪感を覚える。
「考えて見なはれ。僕らが子供の頃やって,そんなホテルを見たとしても,まるで関係のない別世界だったやないですか。誰も気にしてませんて」
 「そうかもね。所詮,俺たち異邦人だし」

朝のヤンゴン朝食モヒンガー今日はタイだミャンマーともお別れか

 荷物をまとめてフロントに降りる。現地人スタッフにいきなり「イマイサンオハヨウゴザイマス」と挨拶される。ちゃんと顔と名前を覚えているのだ。さすが高級ホテル,プロ意識が徹底している。
 外資系ホテルのスタッフになることは相当なステータスなのだろう,従業員はドアボーイに至るまで知的でエリートっぽい感じだ。仕事に誇りを持っているのが伝わってくる。
 そのエリートドアマンにタクシーを頼むと道まで出て拾ってきて,さらに料金の交渉もしてくれた。2000kだがドルなら両替が大変だとかで3$とのこと。Nさんの厳しい関西的金銭管理のもと,チャットは殆ど残していない。因みにホテルの送迎車はベンツで18$だとか。高い高い,と首をぶるぶる振ったが,よく考えれば2千円ぐらいのものか。

 通い慣れた空港への道をタクシーは飛ばす。
 空港に着いて僕らが降り,財布を取り出すのに時間がかかっていると,人の良さそうなインド系の運ちゃんは料金をくれないのかとオロオロした目で僕らを見つめる。3$渡すと破顔一笑いい笑顔を見せて走り去った。
 イミグレーションで出国手続きを受け,税関に向かう。Nさんが例によって「あれ」っと叫ぶ。今度は何だ。「税関の紙がない」税関の紙というのは入国時に税関でくれたもので,出国時にそれを渡さなければならない。パスポートに挿んであったはずだという。
 イミグレーションに戻り,女性管理官に聞いてみる。彼女は乱雑な机を一通り探して,この通りないよ,もういいでしょ,しっしっ。と素振りで示す。困ったね。どうしよう。ちゃんと探してみな。僕らにとってこのぐらいのトラブルはもう驚かない。Nさんはリュックをごそごそひっくりがえすが,やっぱりない。
 まあ何とかなるだろうと,行きかけたとき,「あった」とNさん。何のことはないパスポートとケースの間に挟まっていたのだった。
 次はセキュリティチェック。ここでもNさんはつかまり,ポケットの怪しい袋を咎められている。
 ホテルの部屋から持ってきた茉莉花茶だ。
 続いて胸ポケットのライターを発見され,没収された。
 Nさんは「絶対あのライター売って小遣い稼ぎしてるんや」と怒っている。
 僕に言わせれば,怪しい葉っぱは持っているし,半ズボンにTシャツ,無精髭の坊主頭,という風体ではやむを得ないのではないかな。
 僕は予め手荷物の方に入れていたのですんなり通過する。
 待合室で煙草を吸っていると,ライター貸してと2回も言われたので,被害者は結構いるようだ。

 飛行機に乗り込み窓を眺める。雨が降り出している。

 来てみるまでこの国のイメージは殆どなかった。
 軍事政権,スーチー女史,ビルマの竪琴。せいぜい元国連事務総長のウ・タント氏がビルマ人だったのを知っているぐらいだった。
 漠然と民主化を弾圧している怖い軍事国家という印象を持ちながら来てみた。
 ところが実際にここにきて人々の暮らしぶりを見ると,どうも様子が違う。
 確かにヤンゴンの公的施設には銃を抱えた軍服姿の衛兵が配置されていた。しかし,人々はおびえる様子もなく優雅にロンジーを揺らめかせてお寺参りに余念がないし,ビジネスマンは誇りを持って働き,食料もふんだんにあって,世界最貧国という位置づけが腑に落ちないほどだ。
 もちろん政府に対する不満はいつの時代でもどの国でもあるものだ。また国民の本音の部分がどうなのか旅行者にはうかがい知れないことは承知している。
 でも現地の空気を嗅いだ直感が”何か思ってたのと違うな”と知らせる。

 帰国後,本当に少ない情報をあさって次のようなことが分かった。
 まず,ミャンマーは連邦であり,日本の1.8倍の国土を持つ多民族国家だと言うこと。最大のビルマ人のほかカレン族,シャン族やカチン族など100以上の民族が独自の文化,歴史を持っている。
 近年の歴史をおさらいすると,19世紀に英国が最後の王朝を倒し植民地化して以来,百年に渡って分割統治策いわゆるデヴァイドアンドルールにより過酷な統治を行ったこと。これはインド系,中国系住民や一部の少数民族を高い官位に付けて,ビルマ人を最下層に止め,国民同士で統治させるものだ。
 その後独立を勝ち得てビルマ人中心の政権になった後,植民地時代に優遇された多くの少数民族が反旗を翻した。
 独立後一時民主政権が誕生したが派閥争いに明け暮れて腐敗し,ネ・ウィンによる独裁軍事政権に取って代わられた。
 その後ビルマ式社会主義と呼ばれる長い鎖国政策で国が疲弊し,ついに88年8月に学生運動から始まった民主化運動が高まった。
 この期に軍部がクーデターで政権をとりネ・ウィンは失脚した。
 これが,軍の集団指導体制による現政権であり,当時民主化のための選挙を約束していた。
 たまたま帰国していた国民的英雄アウンサン将軍の娘スーチー女史を担ぎ出した政党が勝利を収めたが,軍は政権を渡そうとしなかった。
 このため各国から批判を浴び経済制裁を受けて現在に至る。こんなところだ。

 しかし現政権は歴史的経過から常に火種となっていた多くの民族と一つ一つ和解し,今ではタイ国境近くのゲリラ的組織が残るだけとなったこと。憲法制定など国造りための努力を継続しており,暫定政権という意識が強いこと。一方スーチー女史の主張を見ると政策論が殆どないこと。女史の後ろ盾の姿がなかなか見えないこと。このように,マスコミが安易に流している”独裁的軍事政権対民主化運動の旗手スーチー女史”という一神教教的二項対立では語れない事情が随分あるようだ。
 国名一つとってもミャンマーという呼称には合理的な理由がある。(日本でも漢字表記では昔から緬国と書く)
 ここで政治的な話をするつもりは全くないけれど,公平な目を持つことは本当に難しい。
 何より自分で実際にその国を訪れて人々の表情を見なければ分からないことが確かにあるな,とつくづく思いを新たにした。

 滑走路の向こうの緑の木々が雨で柔らかく霞んでいる。その風景が滑らかに動き出した。離陸だ。
 ミャンマーよ。さよなら。また来るから。

さらばミャンマー