8月22日(木)

 朝起きるとNさんはまだ寝ている。起こさないように部屋を出てテラスに座り,のんびり煙草を吸う。雨がそぼそぼ降っている。よく手入れされた芝生には名の知らぬ花が咲き乱れ,ホテルの塀越しに赤茶色のパゴダが覗いている。雨の匂いと草いきれが肺の奥深くに流れ込んでくる。静かな竪琴の音が頭の中で鳴っている。
 朝食を取るうちに雨は上がった。今日はフルーツは出なかった。

 昼まで時間があるので,散歩がてら近くのミンガラゼディーパゴダへ歩いていくことにした。
 ホテル前の長い通路脇に馬車が数台待機している。その餌なのか,馬草を積んだ自転車を漕いで何人かの女達が運んできている。商売だろうか。
 一人遅れてきた女が,大きな草の束を積んだまま,僕らの前で漕ぎ始めた。売れなかったのかな。ちょっとスーチー女史に似てる。ロンジーを揺らめかせてゆっくりと自転車を漕いでいる姿は絵画的だ。
 突然彼女はアッと叫びバランスを崩してかなり激しく転倒した。荷台の草束は結構重いようだ。
 僕は咄嗟に駆け寄って助け起こしてあげる。
 当然何かお礼の言葉でも出るだろうと無意識に予想していたが,彼女ははにかんだような顔で黙ってロンジーの汚れをはたくだけだ。

 ビルマ語でありがとうというのは「シェーズーティンパデエ」とガイドブックに書いてある。でも一度も聞いたことはない。
 こんにちわは「ミンガラパー」というが,元々ビルマでは挨拶の習慣がなく,それでは他国に向けて体裁が悪いので新たに作った言葉だと何かで読んだ。こちらも一度も聞いていない。
 挨拶には他者との緊張緩和という役割があり,この意味で身内的な共同体の中では挨拶は重要ではない。多分東南アジア全般で多かれ少なかれそうなのだろうが,この国では長い鎖国のせいかそれが色濃いのかもしれない。
 日本の挨拶だって,いつ頃から今のようなスタイルになったのか怪しい。明治維新以降の西欧化教育の匂いがする。もちろん公的な場面では儒教的な礼節がひとつの教養として行われていたろうが,庶民の間で日常的に現在のような挨拶を交わしていたとは思えない。
 一方で初めてヨーロッパに行ったときに違いを感じたことの一つは,ちょっと通行人と肩が触れ合っただけで,皆すかさず「失礼」と言葉を返すことであった。日本だってきちんと謝る人も多いが,彼らのはもっと記号的な感じだ。
 個人間の緊張度が高く,社会的なサインを交換しないと危険だという文化なのだと思った。言葉を交わすことによってしか,敵味方を判断できないのである。それがいわゆる社交,外交であろう。

 さて,すっかり西欧化されてしまった僕は,きちんと挨拶はするし,無意識に相手にも求めていることに気が付いた。
 助け起こした彼女に大丈夫かと聞いても相変わらずはにかみながら頷くだけだ。でも気持ちはとても伝わってくる。
 草を摘み直しはじめたので手伝ってあげようかなとNさんを見ると,知らんぷりしている。僕も草の中の変な虫にでも刺されたらいやだな,と躊躇が頭をもたげ,よけいなお世話になるから,と自分を納得させて,その場を後にした。

 ミンガラゼディーパゴダはホテルから歩いて10分ほどの場所にある。夕日ポイントとしても有名なところだ。1284年に建てられたバガン朝最後のパゴダだ。
 畑の中の赤土の道を歩いていると,子供の頃を思い出す。鳥たちが朝の挨拶を鳴き交わしている。
 境内の入口でサンダルを脱ぎ,まだ準備を始めたばかりの露店の間を通ってパゴダに近づく。
 殆ど垂直に思える急な階段を昇って行く。途中,くぐり門に思い切り頭をぶつけてしゃがみ込む。ちゃんと生きろよ,と最後に叱咤されたのかも知れない。

 最上部のテラスからのバガンの眺め。何度見ても感動する。近景から地平線まで,緑の草の海に赤茶けたパゴダが無数に並び,朝の光を受け止めている。
 ぐるっと回ると今度はイラワジ川が光り,船が数艘流れている。
 折角の景観を台無しにしているとガイドブックに書いてあった国立博物館の変な建物は,やはり折角の景観を台無しにしている。
 これでバガンも見納めと,しばらく座ってぼんやりと眺める。
 目をパゴダの壁面に戻すと,そこには仏陀の物語を題材にしたレリーフがいくつもはめ込まれている。
 Nさんが「ここにはまた来そうな気がしますわ」とつぶやく。僕もそんな気がする。
 地平線からパゴダを縫ってやってきた風が,今僕らの額に届いた。

ミンガラゼディーパゴダ天辺から見下ろす階段,参道 途中のくぐり門に頭をぶつける朝の風裸足に注目頂部を見上げる壁面のレリーフ 仏陀誕生場面か

 ホテルに戻り,庭を散歩し,イラワジ川を眺め,しばらく時を過ごす。
 Nさんがプールサイドで寝てるというので,僕は部屋にもどり余ったビールを飲む。
 のんびりした時間。ありがたい気分。
 NHKの衛星放送で朝の連続ドラマをやっている。「サクラ」というタイトル。ヒロインが無駄に元気で疲れるが,ここはサクラホテルだしいいか,とぼんやり見る。
 雨が降ってきた,とNさんが息を切らせて戻ってくる。

ホテルの庭からイラワジ川ホテルのプール

 11:30荷物をまとめてチェックアウトする。朝食のフルーツ代は取られ定ていない。よかった。
 ここのホテルのオーナーは誰なんだろう。きっと小金をたんまり貯め込んだ名古屋人に違いない,と僕らは理由もなく断定した。
 迎えの馬車が来るまでロビーで待つ。
 昨日の朝食で見かけた例の客が,日本の週刊誌を読みながら腰掛けている。やはり日本人だったか。Nさんが声をかけるとにこやかに答えてくれた。
 聞くとODAの関係で近郊の井戸掘りの仕事をしており,このホテルにもう1か月ぐらいいるとのこと。今の政権になってから日本企業が殆ど撤退し,代わってにヨーロッパ企業がどんどん進出している,と嘆いていた。
 もっと話を聞きたかったが,ドアボーイが馬車の到着を告げに来たので,お別れする。こんな所でもがんばっている同胞がいて嬉しかった。

 馬車はぱかぱかと近郊のニャンウー村へ進む。
 雨はすっかり上がり,いい天気だ。日差しがじりじり突き刺さる。慌てて日焼け止めを塗ったくる。
 途中の集落でセパタクローの試合をやっていた。地元の人や観光客が大勢取り巻いている。
 しばらく行くと道路が池の中に消えている。イラワジ川の水位が上がって2,30mにわたり道路が冠水しているのだ。馬車はかまわず入っていく。馬の腹は水につき荷台すれすれの深さがある。
 歩いている人はロンジーをたくし上げ荷物を頭に乗せて渡っている。
 御者君が言うには毎年決まって冠水するそうだ。道路沿いの家を見ると,さり気なく床上浸水している。
 子供達は水遊びし,ボートまで持ち出している。女達がしゃがみ込んで洗濯をしている。何だか皆楽しそうだ。

道路冠水洗濯する女たち無事渡り終えた

 道路冠水をもう一ヶ所通り過ぎて,めざすシュエジゴンパゴダに着いた。ニャンウー村の近くにあるので,ちょっと観光することにしたのだ。
 バガンの空に向ってすくっと伸びる金色の仏塔。バガンを代表する黄金のパゴダで,ここの建築様式がビルマ式仏塔の原形となったと言われている。
 回廊となっている長い参道を裸足で歩いていく。ここの物売りは相当しつこい。断ると,ケチ野郎とか何とか言っているのだろう,声高にわめく。
 中心には黄金の塔が荘厳にそびえている。塔の前に直径5pぐらいの穴があり,水を張ってある。これを見下ろすとちょうどそこに塔が映る仕掛けになっている。王様の頭飾りが重いので,見上げなくても拝めるようにしたものとか。
 美しく立派なパゴダではあるが,さすがにもうパゴダは満腹だ。
 ざっと一通り見て回廊を戻っていると,ミャンマー人の団体さんがバスからぞろぞろおりてきた。御者君に聞くと,ヤンゴンからの団体で,バス代は多分5000K位とのこと。それだけバガンが聖地としてとらえられているのだろうし,都会のヤンゴンと田舎との経済格差も生まれているのだろうことが伺える。

シュエジゴンパゴダ一面の黄金境内創建者のアノーヤター王とチャンスィッター王菩提樹参道

 ニャンウー村に着き,昼食にする。日本人がオーナーというFuji食堂へ行く。馬車は食事の間待っているという。
 庭のテーブルで不良っぽい若者がたらたらしていた。僕らが入っていくと彼らがあわてて立ち上がり,素早く商売モードに入る。従業員だったのか。オーナーの指導が入っているのか皆非常に腰が低い。
 日本語のメニューを持ってくる。チャーハン,野菜炒め,焼きそばを頼む。気を遣ったのかTVを点けてくれる。NHKのニュースだ。なんだか日本のどこか田舎の駅前食堂にいるのじゃないかと錯覚してしまう。

Fuji食堂リラックス酔っぱらい

 次に市場を見てみる。びっしりと身を寄せ合って並ぶ店の間の泥濘んだ狭い通路を歩く。軒で覆われて薄暗い中,米,野菜,香辛料,仏具,タナカの店,雑貨屋,オモチャ屋,この辺の日常生活が色鮮やかにぎゅうぎゅう詰め込まれている。

右手が市場市場内部下は泥濘唐辛子と?バナナと?バガンの胃袋

 市場を出て眩しい光りに目を細めながら,辺りを散策する。人が鈴なりになった乗り合いバス,買い物籠を下げて行き交う女,賭博に興じる男達。いつもの午後のいつもの日常風景。御者君によれば,朝はもっと人が集まって活気があるという。

買い物する女の子のどかな昼下がり暇そうな男

 空港への道は一直線の立派な舗装道路だ。
 コンクリートが辛いのか馬は息づかいが荒く苦しそうだ。御者君は例のかけ声で叱咤し,容赦なく鞭をふるう。
 馬にだけは生まれたくないな,とNさん。どうしてもというなら北海道の馬に生まれたいと。
 僕は昔日高の牧場でサラブレッドに乗ったことがある。悲しそうな目をしたその馬はいわゆる当て馬だった。当て馬とは牝馬を発情させて種牡馬の種付けをサポートする役目だ。要はかわいいカノジョとラブラブになる寸前にエリートに横取りされる哀れな男。僕が乗った馬は遠くの牝馬を見つけて鼻息を荒げたっけ。Nさんに同情を覚える。
 直線道路はどこまでも続く。確かに結構な距離だ。
 御者君が問わず語りに話す。この馬車はおじさんがオーナーで僕は単なるドライバーだ。子供が二人いて2歳の男の子と8か月の女の子。かわいくてたまらない。

空港への道

 空港に着いた。
 小さな空港ビルはフェンスに囲まれていて,門番がいる。その門番が,今は中に誰もいないので外で待ってろという。
 塀の外の広場には一本の大きな木があり,その幹を取り囲んでベンチになっている。遮るもののない炎天下でそこだけが木陰を作っている。
 御者君に約束の8$と,子供たちにと500Kのチップをあげる。笑顔で手を振りながらパカパカ遠ざかる馬車。昼下がりの情景。

空港前の木陰馬車ともお別れ

 木陰に荷物を下ろし門が開くのを待つ。そのうち一台のタクシーが止まり,日本人らしき若者が降りてきた。こちらを気にしながらも遠慮してるのか目を合わせない。
 Nさんが声をかけると,「ああ日本の方ですか。そうは見えなかったので」という。確かにNさんは坊主頭に無精髭の怪しいアラブ人風だし僕もアロハっぽいシャツにサングラスと東南アジア裏社会風だ。
 話を聞くと横浜在住の27歳で私立の中学教員だった。オールドバガン近くの安ホテルからここまでタクシーで1500Kだったという。馬車が8$ってのは高かったかな。
 でも回り道してパゴダも見たし食事で待たせたし,きっとタクシーだって安ホテルの客だからその値段だったのだろうし,第一日本円で千円弱だからいいか。都合悪くなると日本円で換算してしまう。
 Nさんによると日本人は2日目に弱いという。最初一所懸命値引きするが,すっかり信用してしまって翌日は言い値を払わされる傾向にあるとか。
 でも何となく悔しいので,彼が安ホテルでずいぶん蚊に刺されたと聞いて,デング熱が流行っているという情報を教え,怖がらせてやる。
 面白かったのは,彼もロンジーを履いて1日過ごしたが,現地人と間違われ,レストランなどでは邪険にされるし,いいこと無かった,という話。

 他に数名のグループが集まった頃空港職員が到着し,ようやく門が開かれた。
 空港ロビーはは日本の田舎の駅の待合室を広くしたような感じだ。
 土産物屋が2軒ある。明日の朝くミャンマーを離れるので土産買うならここが最後だ。
 ミャンマーは適当なお土産が難しい国だ。だって国中仏具店のようなものだもの。仏教関係のものをあげて何か変な祟りがあったとか言われるのもいやだし。ビルマ語を書いた安っぽいTシャツなんかはもらっても迷惑だろうし。ここバガンの名物の漆細工なら,と考えたけれど,意外と高価で,嵩張るものが多い。しかも,やっぱり抹香臭い。
 もうパゴダには行かないだろうと,サンダルを捨てる。こちらの人は草履というかビーチサンダルが主流だが,道ばたでサンダルも売られていた。誰かが拾って使ってほしい。

 マンダレー航空ヤンゴン行きは小さなプロペラ機で,席は自由席だ。飛行機の自由席なんて初めてだ。予定より20分早く離陸する。
 窓から見下ろすバガンは昼下がり。イラワジ川が光り,そして一面のパゴダ。
 いつかまた来るような確信がある。だから別れの感慨は湧かない。

僕らの飛行機

 1時間半ほどで,見慣れたヤンゴン空港に着く。
 先ほどの若者と話すと,宿は僕らのホテルに近い安ホテルらしい。3人でタクシーをシェアすることにした。
 国内線ロビーには空港タクシーのカウンターはない。日暮れ間近の屋外に出て,たくさん並んでいるタクシーと交渉する。もちろん達人のNさんに任せる。3000Kか3$+300Kということで成立したようだ。

 やってきたのは大きなボンゴ車で,ビニール座席のスプリングがゴツゴツと尻に突き刺さる。
 厚い曇り空が次第に光を失い,懐かしいヤンゴンに明かり灯る。猛スピードとクラクションの悲鳴。
 今夜の宿トレーダーズヤンゴンホテルは,スーレーパゴダのほど近く,街の中心部の高級ホテルだ。
 若者に聞くと明日帰るのにまだチャットがたくさん余っているというので,タクシー代はひとまず彼に3000K払わせることとした。
 Nさんは冗談半分に,このまま若者とさよならする真似をする。彼の顔が一瞬引きつったのを僕は見逃さなかった。海外にはたちの悪い日本人もいるからね。意地悪は止めなさいNさん。
 貧乏旅行の若者だし,僕らの分として3$渡してあげた。車の中でNさんとこっそり相談してたのだ。
 明日会うみたいに,またね,と手を振って別れる。きっと2度と会わないだろうに。いいジンセイを。

 フロントには日本人の女性スタッフがいた。部屋まで案内してくれる間,初日に泊まったパンシーヤンゴンホテルは有名なところで,結婚式なんかも行われるんですよ,とか僕らの荷物がリュック1個なのに驚き,旅行は荷物少ないのが一番ですよねー,とか,とてもフレンドリーで感じがいい。
 どういう経緯でミャンマーなんかで働くようになったんだろうか。普通に考えればトレーダーズホテルチェーンの人事異動。でもミャンマーの男性と恋に落ちて色々あって,と言うことだってありうる。ともあれ異国で頑張っている同胞の姿には僕も勇気づけられる。
 そんな彼女にNさんがチップをやろうとして丁重に断られている。ホテルは一種の身分社会だからチップで生計を立てているドアボーイなんかと彼女のようなフロントスタッフとは一線を画している。でもNさんも「失礼かも知れませんけど」と断った上での気持ちだから,彼女もいやな顔はしない。

 教えられて窓を覗くと,ライトアップされ黄金に輝くスーレーパゴダが間近に見えた。
 部屋に目を戻すと2つのベッドがぴったりくっついている。ツインのベッドをぴったりくっつけてダブルにすることを業界用語でクロスにするというらしい。いやいや,豆知識を披露している場合じゃないよ。二人でベッドを引っ張って一定の距離を開ける。

夜のスーレーパゴダ落ち着いた調度問題のベッド

 夕食の前にスーレーパゴダまで散歩に出てみる。
 ヤンゴン中心部の夜は初めてだ。歩道の上には様々な屋台があり,周りには風呂場にあるような椅子と50センチ角位の木の板のテーブルがたくさん並んでいる。大勢の人々がそこに座り,焼鳥や麺類などを頬張りながら,闇の中でおしゃべりしたり,楽しそうに笑いあったりしている。いいなあ。
 夜のスーレーパゴダは,観光客やそれにまとわりつく商売人もいない。地元の人たちが思い思いにお祈りしたり,涼んだりしている。
 お祈りなんてしそうもない厳つい顔をしたアンチャンが足早に自分の守護仏に近づき熱心に何事か祈願している。若い女の子がノートを見せ合って英語の勉強をしている。アベックが額を寄せて囁き合っている。ここにはミャンマーの人たちの日常の顔が確かに見える。

スーレーパゴダは夜も賑やか境内 昼とは違う顔を見せる静かにお参り街も夜の表情

 ホテルに戻り,夕食にする。日本食レストランの「竪琴」にしようかとも思ったが,バイキングのBBQナイト一人14$ディスカウントにする。タコスやらチキンなど盛りだくさんで,デザートのクルミタルトやマンゴータルトがなかなかいける。高級ホテルだけある。

最後の夜地鶏の味わいお腹は快調

 ミャンマーも今夜が最後だ。色々なことがあった。ビルマと呼ばれた時代から,この国に旅行してすっかりハマってしまう人は多いらしく,彼らはビルキチと呼ばれるそうだ。その気持ちがよく分かる。何があるわけでもない。ただ人々の気持ちの優しさが忘れがたいのだ。

 Nさんは何だかウキウキしている。
「さあ明日はタイや。なんだかタイに行くいうより帰るいう感じやなあ」
そりゃ毎年行き慣れてるからね。
 僕はしばらくスカッチを飲みながら窓の夜景を眺める。暖かい暗さだ。
 少しグラスを上げてヤンゴンに別れを告げ,ふかふかのベッドに潜り込む。

部屋の絵