8月21日(水)
朝ゆっくり起きて,レストラン棟へ歩く。天気はまあまあだ。
朝食はパンと目玉焼き,コーヒーのシンプルなものだ。
客は僕らの他には,隅のテーブルの日本人らしき男が一人。旅行者でもなさそうだ。
食べているとフルーツの盛り合わせを持ってきた。え,頼んでないけど。不安がよぎる。
大学に入ってすぐの頃,先輩がバイト代入ったからススキノで奢ってくれるという。世間知らずの僕らは客引きの後について怪しいスナックに入った。緊張して飲んでいると,お姉さん達がフルーツ盛り合わせ頼んでいいかと何気なく聞き,先輩は慣れたふりをして承諾した。勘定書を見て先輩の顔は引きつり,結局バイト代では足りず全員があり金を出し合ってようやく支払った。面目丸つぶれの先輩と共に無言で歩いた帰り道,星がきれいだった。そう,今から思えば完璧なボッタクリバーで,それでも学生だから手加減したのだと思う。諸兄姉はくれぐれも客引きについて行かないようにね。


馬車は約束通り待っていた。昨日の若い御者1人だ。Nさんはその隣に座り,ぼくは荷台に上がり込む。出発するとバイクに乗ったおっさんが併走してきた。私は画家だが,絵はいらんかね,と大声で話しかけてくる。断ると,スピードを上げどこかへ消えていった。
あらかじめ決めていた見たい場所を告げると,まずマヌーハ寺院に行くことになった。ルートは任せてある。
ちょっと雲は出ているがまあまあの天気だ。幌を畳んでくれたので,風を受けながら周囲を見渡せる。のどかですがすがしい気分だ。
バガンは日差しが強く,乾期にはあまりの暑さに観光するのも辛いと聞く。今も雨期でまだ朝は早いのに既に太陽光線がチクチク刺さるのが感じられる。
草原の中に当たり前のように建っている仏塔。修復や再建が進んでおり,赤茶色の煉瓦で出来た真新しい物も多い。薄汚れて崩れかけたものが古いパゴダだと教えてくれる。ここは世界遺産の候補となっているが,色々な条件があってまだ登録に至っていないと聞いた。
規則正しい蹄の音。ときおり「オレ1人が,何でこんな,辛い労働せにゃ,ならんのさー,フルルル」と馬の鼻息。「いやいや,まだまだ,ほれほれ,ピシッ」と鞭をふるう御者君。独特のフイッフーという喉声でお馬さんを叱咤激励する。空を見上げると鳥の声が降り注ぐ。

オールドパガンから南へ1kmほど下ったミンカパー村の南端にマヌーハ寺院はある。
バガン朝の創始者アノーヤター王に侵略され捕虜となったタトォン国のマヌーハ王が,その後1059年にこの寺院の建立の許しをもらい,作ったものだ。壁などはのっぺりして単純な作りだが内部には建物に比べて異常に大きい3体の座仏像と1体の寝釈迦仏像が安置されている。
マヌーハ王の幽閉による鬱屈した気持ちを表しているといわれており,特に寝釈迦仏象と壁の間は1人通るのがやっと位の隙間しかない。仏様が閉所恐怖症なら既に発狂しているだろう。そういえば何となくアッチの世界に行ってしまったようなお顔をしてるし。
入口でカメラ撮影料を取っていたが,別に撮らないからいいよ,と払わなかった。でも,やはり写真を撮りたくなって戻り,笑われながら支払う。お金を渡すとカメラのひもに紙のタグを付けてくれる。






仏様の足の裏をくすぐったりした後,境内に並ぶお土産の露店を物色する。
朝早いのでまだ一軒しかやってない。殆ど仏教関係の物のようだが,金属製の動物像が目に付いた。これなら宗教色もないからお土産にいいかな。
大きさは様々で,一番小さい水牛の値を聞くと6個セットで7$という。長さ3pぐらいから1pぐらいまで同じ形でだんだん小さくなっている。象などは細工が細かいためかもっと値が張る。
Nさんのアドバイスを受けながら値引きし4$までになった。さらに買わないで離れる素振りをした結果,3$でいいがスモールプレゼントをくれという。Nさんに聞くとこれはラッキーマネーともいい,今日の一番最初の客からのご祝儀だという。200チャットをブラスして渡す。
汚い紙に丁寧にくるみ汚いビニル袋に大事に入れて水牛たちを渡してくれる。商品を大事にしているのが伝わる。小さくともずっしりと重かった。
馬車に戻る途中振り返ると,先ほど渡したラッキーマネーを商品に満遍なくすりつけていた。

馬車に戻ると御者君はグービャウッジー寺院が近いけれどどうするか,と遠慮がちに勧める。素晴らしい壁画があるという。予定はしてなかったが行っててみることにした。
ここは1113年建立でミャンマー最古のフレスコ画がある。古い建物の内部は薄暗く,目をこらすと壁一面に美しい彩色のフレスコが見えてきた。絵柄は幾何学模様や仏教関係のようだ。貴重な物らしくさすがに撮影禁止となっていた。
外の庭にはおみやげ屋の他に,仏画を広げて売っている。布に手書きで彩色しており,実演販売を行っている。冷やかしていると,あっという間に取り囲まれて,次々と絵を広げて見せてくれる。切れ端にささっと牛の絵を描いて見せてプレゼントだと渡す。大攻勢だ。
曼陀羅の様な仏教色の強い絵柄が殆どだ。その中に,森の動物たちのデザインがあった。なかなか面白い。Nさんが買うようだ。当初1枚5$だったのが神業のごとき値引きで3$まで下がった。それでもNさんは2$と言って譲らない。店のオヤジは呆れて2$なら小さい方の値段だ,と半分ぐらいのサイズの物を見せ始める。
今井さんも一枚どうですか,うんいいよ,と密談の後,2枚で5$だったら買うと最後通牒を突きつける。職人兼売り子のオヤジは迷った挙げ句,親方と相談するから待ってろと言う。
出てきた親方は,なんと朝バイクで僕らの馬車と併走していた男だった。この辺の観光客相手の人たちは持ちつ持たれつという訳か。親方の許可が出て,僕も色違いの物を買うはめになった。
図柄にはパターンがあるようで,よく見ると下書きの線が見える。その布を買い取り彩色して売っているのだろう。後で御者君に聞くと仕入れ値は布と絵の具で一枚2000チャット位というから,Nさんの厳しい値引きで,殆ど利益がなかったはずだ。かわいそうに。


続いてシュエサンドーパゴダへ向かう。
バガン朝初期の1057年に建立され,5層のテラスを持つ。パゴダの中には征服したタトォン国の所有していた釈迦の遺髪が納められているという。ここは最上段まで上ることが出来て眺望ポイントとしても有名だ。
恐ろしく急勾配の階段を上っていくと,小さな女の子が後を付いてくる。何かもらえるのを期待しているのがひしひしと伝わってくる。かわいそうだが無視していると諦めて別の観光客の所へ離れていく。
最上階のテラスから眺めると,緑の草原ににょきにょき生えている3千近いパゴダ群が見渡せる。風が気持ちいい。



1044年アノーヤター王がバガンに統一王朝を立てたころ,日本では平安時代後期,前九年の役など武士政権への転換が忍び寄る時期である。
バガン朝はその後最盛期を迎え,多くのパゴダや寺院が建立される。やがて元のフビライによる4度の討伐軍に破れ,1287年ナラティハパティ王が暗殺されて2世紀半の繁栄を誇ったパガン朝は滅亡する。
一方日本は鎌倉時代となり,バガン朝滅亡とほぼ時を同じくしてフビライによる侵攻,いわゆる元寇を受けたが何とか跳ね返した。
目の前のパゴダ群を見ると歴史の不思議を感じる。
それにしても何かこの世の物ではない不思議な異世界の光景だ。大きさも色も形も様々な仏塔が,足下から地平線まで一面に連なっている。
一体これは何なのだろう。より良き輪廻転生を願って功徳を積み上げる,この情熱。壮大だが無為な営み。
でも,現世の欲望と快適さの象徴である現代都市の摩天楼,それとどこが違うのだろうか。
諸行無常・・・
パゴダ群が夕日を浴びると真っ赤に染まるという。今は眩しく輝く午前の光が草の海を照らしている。その光のスペクトルに含まれる深紅の色が一瞬見えたような気がした。
パノラマ写真
へっぴり腰で手すりにつかまりながら地上に降りる。早速物売りが押し寄せてくる。絵葉書や,ビルマ文字が書かれたTシャツを手にして,まだ中学生ぐらいの子供達がしつこく後を追ってくる。
女の子が50円玉を2枚出して何$かと聞いてくる。日本人観光客があげたのだろう。about1$と答えると,じゃ1$と交換しろと言ってきかない。
これだけの観光地になると,穏やかなミャンマーとはいっても,気合い十分の物売りにつきまとわれるのはやむを得ないだろう。
振り切って馬車に乗ると,それでも皆バイバイと手を振る。やっぱりまだ子供だなと安心したら,先ほどの女の子がコノーという仕草で手を振り上げた。たくましく育っておくれ。
アーナンダ寺院は1091年建立で,バガン王朝を代表する寺院だという。確かに雄大で均整の取れた建物だ。一辺53mの正方形で4つの入口を有し,白い壁と黄金の塔が遠目にも美しい。内部には高さ9.5mの黄金の仏像が各方角に向けて4体立っている。このうち2体は復元された物だが区別は付かなかった。
中で写真を撮っていると少年が近づいてきた。カメラ撮影料の徴集だ。30K。500K札ではおつりがない。細かいのが20K札しかないと言うとまけてくれた。
境内の四阿にはグロテスクな人形が並んでいる。死人の腹を鳥がついばんでいたりする。地獄の情景を表したものだろうか,不気味だ。







次はダマヤンヂー寺院だ。ここは1165年にナラトゥ王によって建立された。この王は父王と兄王子を暗殺して即位しており,その贖罪のためにこれを建てたが,彼も結局暗殺されて未完成に終わる。いわば呪われた建物であり,夜な夜な幽霊が出ると言われている。
建物は大地を押さえ込むような巨大な量感が印象的で,近代的といってもいい装飾性が,素材は違え北海道庁の赤煉瓦庁舎を思い出させた。内場は暗く,確かに幽霊寺院の趣がある。
テラスに出てみて,床一面に黒い木の実のような物が散乱しているのに気づいた。何だろう。確かめようとした時,建物内から僕らをかすめてコウモリが飛び出してきた。じゃあ,これはコウモリの糞なのか。
寺院やパゴダの境内は裸足にならなくてはいけない。今ももちろん裸足だ。思わず飛び跳ねる。チーチーというコウモリの鳴き声に追われ,糞を踏まないように足元を注意しながら,這々の体で脱出した。




朝頼んでいた両替屋に行ってくれるという。
そこは塀で囲まれた広い敷地にある民芸品の工房だった。入口には竹細工や漆塗りの絵付けをしている職人が数人働いている。内部は土産物が棚一杯に保管されており,その一角が事務所になっている。ちょっとヤバイ匂いがする。
ボスとその手下らしきなおっさんと話す。1ドル930Kだという。ヤンゴンでは950Kと言うと,ここはヤンゴンとは違う,と一蹴される。昨日の人のいいおばちゃんも930Kと言っていたので相場なのだろう。
了解すると,ボスは隅に座っていた若い女に命令し金庫から札束を持ってこさせる。お互いに枚数を確認しあって取引は成立した。
外に出ると庭に馬車が数台おり,僕らの御者君も知り合いと話している。きっとここは地元の顔役のアジトで,手広く事業をしているのだろう。


スラマニ寺院は1181年建立の2層構造で,1階には東西南北を向いた4体の真っ赤な仏像が置かれている。内部の壁面には床から天井まで一面にフレスコ画が描かれている。
長い長い寝釈迦仏や何とも情けない顔の仏様,貴族の行列やボートの絵,何かの行事だろうか。見ていて飽きない。
入口に並ぶ露店でNさんがまた絵を見ている。もう一枚ぐらいほしいそうだ。僕は外に出て待っている。
あまり良い絵柄がないようでNさんは立ち去ろうとしているが,売り子達に取り囲まれて,次から次へと商品を見せられている。大変な騒ぎだ。
Nさんは笑顔を引きつらせながら「今井さーん,助けてー」とせがむので,連れ出してあげる。








ティローミンロー寺院はパガン後期 1211年に建てられた大きな寺院だ。5層の階段式の構造をもち,この上層のテラスからの眺望も素晴らしいという。しかし,遺跡保護のためか階段は閉鎖されていた。ここもタトォン国の所有していた釈迦の遺髪を納めているといわれる。美しい建物だ。
もう,この辺になると感動も薄れ,お寺関係はお腹一杯という気分になってくる。
京都で一度観光バスに乗ったことがある。気が乗らなかったが,つきあいで仕方なかったのだ。たくさんのお寺に引きずり回されて,結局金閣寺しか記憶に残らなかった。



昼休みのためここで一旦ホテルに戻ることにした。
帰り道でオールドバガンの城壁跡に唯一残るタラバー門を通る。ここには民間信仰のナッ神の兄妹像が安置されている。

記念写真を撮ってホテルに戻る。お馬ちゃんもよく頑張った。ゆっくり休みなさい。
2時に迎えに来てもらうことにして,レストランで昼食をとりシャワーを浴びてのんびりする。
どこのお寺に行ったのか記録しておこうとするが,なかなか思い出せない。年を取ったね,と嘆き合う。
さて午後の部に出発だ。


タビニュー寺院は12世紀半ばに建立され,高さ61メートルとパガンで最も高い。精巧な煉瓦造りの立派な寺院だ。内部には大仏が収められているというがここも閉鎖されていた。
Nさんは懲りずに露店の絵を物色し,とり囲まれている。ここの売り子たちはちょっと目つきが悪く不良っぽい感じだ。にこりともせず,追い払ってもしつこくまとわりついてくる。1人がタイの100バーツを出して交換してくれと言う。これからタイに行くしいいだろうとNさんは判断し,2$+200Kで交換する。



次第に空が暗くなってくる。シュエグーヂー寺院に着いた頃にはポツポツと雨が落ちてきた。
1131年建立,内部は漆喰で装飾が施されている。
本降りになる前に上まで昇る。バガンの遺跡群の中で最上部に昇れるところは数少ない。ここはその一つ。
怪しい雲の下でパゴダ群が草原に林立している。微妙な光の陰影が,最早語られない物語の存在を暗示している。



雨宿りのため露店は皆建物の中に商品を撤収している。中央に大きな仏像がある。その前で金箔を売っている男がいて,盛んに勧めてくる。自分の身体の悪いところと同じ位置に金箔を貼ると良くなるらしい。
Nさんが試すことにした。金箔は200Kだ。右の肩が凝るからそこに貼りたいというと,男は仏像によじ登って手を貸しNさんを引っ張り上げる。遺跡に登ったり金箔貼ったりしていいのだろうかとも思うが,ミャンマーの人たちにとっては現役のお参り対象なのだ。無事貼り終えて記念撮影。御利益があるといいね。



2階に上がり,窓から景色を眺める。雨は本降りとなって激しく打ち付けている。僕らの馬車も木陰でうなだれている。寺院やパゴダが遠く霞んでいる。美しい。
先ほどの金箔男がずっと付いてきて,あれはタビニュー,あちらがアーナンダ,とガイドしてくれる。



小1時間ほど過ごしたが雨は止みそうもないので,戻ることにした。入口で金箔男が遠慮がちに絵はがきを買わないかと持ちかける。気をよくしているNさんが大枚1$で買う。翌日同じ物を半値以下で売ってるのを見て地団駄踏んで悔しがることをこのときのNさんは知るべくもない。続いて男はポーチを出し,これはいらないかと遠慮がちに勧めてくる。さすがに断る。
一応日が暮れるまでのチャーターだったが,予定していたところは全部見たし,これで切り上げることにした。
馬車は水浸しの道をジャバジャバと走る。雨の中でサッカーに興じる子供達。竹細工の村。
ビールを買いたいと言うと,わざわざ遠回りして両替した場所の近くの店へ行く。その村に御者君も住んでいるとのことなので,村中助け合いながらやっているのだろう。

ホテルに着いた。満足できたので約束どおり7ドル渡す。ついでに明日の空港までの足も頼むことにした。
昼に出て少し観光し,食事をした後空港へ行く,というコースで8$という。今日一日で7$だったじゃん。でも空港までは結構遠いですから。そっか,じゃ頼むよ。
さすがにびしょ濡れだ。航空券のリコンファームが出来ているというので,取りに行く。フロントでは,飛行機が夕方発なのを見て,レイトチェックアウトしないかと盛んに勧めてくる。シーズンオフだし少しでも稼ぎたいのだろう。昼から観光したいからと断る。
夜になって雨も小降りになった。
馬車の上からチェックしていたレストランに食べに行くことにした。タラバー門の近くにあるSARABAHという中華の店だ。
オールドバガンの夜道を歩いていく。道々考えると,歩くには結構距離がありそうだ。ちょうど馬車に声をかけられたのでいくらか聞くと「up to you」と言う。じゃ200Kでどうか。いいよ。
レストランは思ったより小洒落たオープンエアの店で,白人系観光客の姿が多い。大方英語ガイドブックの定番ロンリープラネットに載っているのだろう。
奮発してエビ料理と野菜炒め,鶏肉のチリソース,フルーツを頼む。
雨上がりのせいで蚊が飛び回っている。Nさんは短パンなのでしきりに気にして蚊取り線香を頼む。なかなか持ってこないので苛立って催促するNさんの剣幕に驚き,ウェイターはあわてて空き缶に入った蚊取り線香を持ってきて足下に置いた。さらに大きな扇風機まで持ってきた。
バガンの暖かい雨は夜の空気を濡らしている。ビールの酔いが心地いい。庭の木々の濃い緑が,テラスの明かりを受け,闇の中に浮かび上がっている。何だか幸せだね。
食事とビール2本,コーラ,ミネラルウォータで7100Kだった。ドルで払うとレートは1$=900Kだったから悪くない。500Kのチップを弾む。



外の馬車にホテルまでの料金を聞くと5$だと言う。そんなアホな。店の客層を見て値段を決めているようだ。交渉しても3$以下はダメだという。確かに他の客はまだいるしね。
諦めて歩きだした。するとバイクの音が響き,僕らの隣で止まった。1$でいいから乗れと言う。モーサイ(モーターサイクル)と呼ばれるバイクタクシーだ。後部座席が長くなっており,客を2人乗せられる。轟音を響かせてあっという間にホテルに着いた。ただし,体中ずぶ濡れだ。
熱いシャワーを浴びて,くつろぐ。
Nさんによると,オールドバガンのこの辺りは昔,民家や食堂,雑貨屋などがたくさんあり,賑わっていたという。それを,今の政府がほぼ全部撤去し,住民は南にあるニューバガンという町に強制移住させたらしい。
さすが軍事政権,なんと強権的なことか,とその時は思った。
だが,帰国後調べると,そう単純なことでもないらしい。
昔の状態というのが随分酷かったようだ。パゴダの周辺どころか境内までテントや住居が占拠してスラム化し,当然ちゃんとしたトイレなどは有ろうはずはなく悪臭紛々であったという。それで政府は歴史的遺産を守るため,近くにニュータウンを建設して学校なども整備し,そこに住民を移住させたというのだ。ニューバガンには行かなかったけれど,結構活気のある町らしい。
このことをイギリスに非難されたとき,バッキンガム宮殿にホームレスが住み着いたらどうするのか,と反論したが,なかなか理解を得られなかったという。
物事を一面的にだけ見てはいけないものだ。
ベッドに潜って明かりを消す。パゴダの壁画や仏像が脈絡なく脳裏に浮かぶ。敬虔な気持ちになる一歩手前で眠りに落ちる。