8月20日(火)
その朝が来た。
朝4:30,半睡状態で身体を起こす。
忘れ物チェック後,足を引きずってフロントへおりる。外はまだ暗い。
ロビーのテーブルには弁当の袋と入れ立てのコーヒーポットが置いてある。チェックアウトを済ませコーヒーを飲みながらタクシーを待つ。
やがてロビーにドライバーが現れ,ドアマンに送られながら乗り込む。
振り返ってみると,青黒いマンダレーヒルにはまだ灯りが灯っている。
車の殆どいない道路を疾走するタクシー。こんな朝早いのに暗い通りをぽつぽつと人が歩いている。時々煌々と灯りのついた店があり,夜明け前の静けさを深めている。ドライバーは無口だ。
突然ドカンと音がした。振り返ると犬が横たわっている。轢いたのだ。ドライバーは無口だ。仏教徒じゃないのか。殺生はいいのか。
何か一抹の不安が胸をよぎる。
ともあれ,さらばマンダレー。
黒く光るイラワジ川の船着き場には艀が浮かんでおり,その中が事務室や待合室となっている。そこに渡る板橋の周囲では雑貨や果物の露店が商売をしている。
Nさんがバナナを買う。腹が減ったときはこれが一番やて,と手柄顔だ。
事務所の奥まったところの木机に制服の係員が二人いて,そこでバガンまでのチケットを購入する。1人16$だ。もちろん外国人料金。
金を払いチケットを受け取った後,書類手続きのためパスポートの提出を求められる。僕が先に提出し係員が書類を書いている間,Nさんはリュックをごそごそし,盛んに首をひねっている。
「あれ,どこにしまったかな」
「えっ,だってタクシーに乗るときに返したよね」
これまで,Nさんのパスポートは僕が預かっていた。Nさんのリュックはオンボロだし,普段も手ぶらで歩いてる。一方僕のバッグはは貴重品を入れる場所もあり,ウェストポーチも持っているので,成り行き上Nさんのパスポートも一緒に管理していたのだ。
それを,今朝タクシーに乗る直前に「移動の時にはパスポートチェックがよくあるから,自分で持っときます」というNさんにわざわざ返したのを思い出したのだ。
じゃあ,タクシーの中?
Nさんはダッシュで飛び出す。しばらくすると暗い顔で戻ってきた。当然のことながらタクシーは帰った後だったのだ。
通路に落としたのではと探し回るがやはりない。またリュックをひっくり返しても,ない。完全に顔を引きつらせてNさんが宣言する。
「ない!」
次第にことの重大さがのしかかってくる。でも頭が回らない。チケットの係官も戸惑っているが事務手続き上は問題ないようだ。
どうする,とぼんやり顔を見合わせる。
「先に進んでみる?」というNさんの顔から能面のように表情が消えている。「そうだなあ,再発行となったらヤンゴンだろうけれど,バガンからの飛行機は取ってあるし」
のろのろと船に乗り込み船室に座る。室内には20人ぐらいの旅行者が荷物を脇にして思い思いに座っている。
もうすぐ出航の時間だ。Nさんは,バガンの入域時にもパスポートチェックがあるのかな,と心配している。
その時,僕は目が覚めた。だめだ,先に行っちゃ!ここでパスポートを探すのが最優先だ。
やっぱり降りよう,と言うとNさんも同じことを考えていたらしく,すぐに腰を浮かした。出発間際にあわただしく降りていく僕らを回りの客はビックリして見つめている。
ここで何を思ったかNさんはチケットを払い戻してもらうと言い,先ほどの売り場に戻る。
係員に詰め寄るNさん,一転して帰りのタクシー代がないと涙目で懇願するNさん。係員は困惑して,返金は出来ないが,明日の便に変更は可能だという。しかしイラワジ川の船は曜日毎に種類が違い,今日のは高速艇だが,明日はスローボートで2倍以上の時間がかかってしまう。
Nさんはそんなのはいやだからどうしても返金しろときかない。額に汗が浮かんでいる。こめかみがヒクヒク動いている。
まだパニックから抜けていないとみて,僕が割って入り,今はパスポート探しが第一だからもう諦めよう,となだめる。チケットには一応明日の便への変更を裏書きしてもらう。
ひとまずホテルに戻って,タクシーの線で追ってみることにし,外に出る。
船が出航してしまったので,露店は皆店じまいを始めている,タクシーもいない。
Nさんが突然走り出した。客がいないとみて戻りかけたミニタクシーを必死で捕まえている。
ミニタクシーの荷台で揺れながら,二人とも不安で言葉少なだ。ようやく空が明るくなってきた。
パスポートは旅行者にとって命の次に大事だと言われる。もし見つからなかたっら,ヤンゴンに戻り大使館(あるのか?)で再発行手続きをしないと,出国も出来ない。
再発行には通常数日かかり,手続きを早めるためパスポートのコピーや予備の写真を持ち歩くのは旅のテクニックの初歩だ。Nさんにこの点を聞いてみると,パスポートのケースにコピーも写真も一緒に入れていたという。旅の達人Nさんでも,油断はある。
どの国でもパスポートをなくすと殆ど出てこないという。例えば隣国タイの日本大使館情報によるとタイにおける旅券の盗難や紛失は2001年で779冊〔2000年832冊〕に上り,国際的犯罪シンジケートにより悪用されている,そうだ。
Nさんは申し訳なさで小さくなり「この先,今井さん一人で旅行していいですよ」とか殊勝なことを言う。友達に対してそんなことが出来るかよ。旅は道連れ世は情け。僕はここでミャンマー旅行を打ち切ってもいいと覚悟を決めた。
その時,ギッと音がした。疾走するミニタクシーの下から白っぽいものが現れ,遠ざかる。ニワトリだ。轢いたらしい。殺生してもいいのか。
前途への不安が高まり,胸がドキドキする。
ホテルに着く。マンダレーヒルが相変わらず柔らかい姿で僕らを迎える。こんにちわマンダレー。また戻っちゃった。
ロビーのドアボーイが不思議そうな顔で近づいてくる。どうかしましたか。
事情を話し,タクシーかもしれないと言うと,驚いてフロントに行き,おそらくタクシーの手配先だろう,電話をしてくれている。
その場にいた別のタクシーの運ちゃんが聞きつけて,きっと分かるから大丈夫だよ,と慰めてくれる。
ボーイが戻ってきて,運転手は分かったから連絡が付くまで待っていろという。ロビーの椅子に座っているとコーヒーを持ってきてくれる。弱っているときの親切は身にしみる。
まあ,けがや病気じゃない,たかがパスポートだし,と居直ってコーヒーを飲む。Nさんも少し落ち着いて来た。
ぼんやりと玄関の方を見る。朝の白い光がまぶしい。
そのドアがゆっくりと開き,光の中から男のシルエットが浮かび上がる。
その男がゆっくりと手を差し上げた。
ボーイが駆けつける。僕らも席を立って駆け寄る。
リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が頭の中で流れる。
あの運転手だ。彼の手には燦然と赤く輝くパスポートが握られている。
奇跡だ!
聞くと,後部座席にパスポートを見つけ,すぐに船着き場に戻って僕らを探してくれたそうだ。ミニタクシーに揺られていた頃か。その足でホテルに届けに来たらしい。なんて親切なんだ。
Nさんは殆ど泣き出さんばかりに感激している。僕もホッとして力が抜ける。そのとたん僕の弁当がないのに気が付く。きっと船着き場に忘れたんだ。やはり僕も動揺していたんだろう。
Nさんはお礼として運転手に5$渡し,ボーイにもチップを弾んでいる。大盤振る舞いだ。気持ちはよく分かる。
さてこれからどうしようか。もう6時をかなり過ぎている。船は出てしまった。これからバガンまで飛行機を取るのは,混んでいたようだし難しそうだ。金もかかる。オンボロバスなんかは当然勘弁願いたい。かといって,ここにもう1泊して明日の船に乗ると,バガン着は夕方になり,その翌日にはもうヤンゴンに戻らなければならない。
困ったなあ。
すると玄関先の僕らを取り巻いていた従業員と例の運ちゃんが何やら相談し,ミンジャンまで行けば船に追いつけるという。
ミンジャン?どこ?
そこには高速船の中継地点で,ここから50マイル,つまり80qほど先のの町だそうだ。
タクシーを飛ばせば今朝の船にそこで乗れるけれど,どうする。
いくらか聞くと20$でどうかという。
一も二もなくその話に乗る。
ホテルマン達の,良かった良かった,という笑顔に送られてタクシーに乗り込む。彼らには親切にしてもらった。そのかわり噂話の格好のネタを提供したなあ。
Nさんは感激がまたこみ上げて,運転手の肩をもみもみしながらお礼を言っている。本当にホッとした。地獄を見た分,一入明るい気分だ。
マンダレーの隣町サガインのパゴダを横目に通り過ぎ,観光ルートとは全く縁のない地域に入っていく。
当たり前のことだがそこでも人々は確かに暮らしており,日常の風景を見せてくれる。こんな経験できて結果的に良かったんじゃないの。僕とNさんはウキウキしながら頷き合う。
運転手の知り合いがいたらしく,声をかけている。ミンジャンまで行くんだ,20$だ,と自慢しているらしい。知り合いの方はうらやましそうに驚いている。
途中イラワジ川を渡る鉄橋にさしかかると,運転手がこれは日本が造った橋だと説明してくれる。帰国後に知ったが,この国の親日感情は,戦争中は他の国同様随分酷いことがあったにもかかわらず,世界でも一二を争うらしい。
その橋から,遠くに船が見える。僕たちが乗り損ねた白い船だ。きれいな航跡を描いている。あれに追いつくんだ。
中古日本車タクシーは未舗装の道を猛烈なスピードで飛ばす。
道路工事の現場にさしかかった。運転手はポケットからお金を出して人夫のひとりに差し出している。通行料かな。
またしばらくして,橋の手前にボックスがあり,そこでも通行料を出している。何の変哲もない小さな橋だが有料なんだろう。
途中の集落でお経のような放送が流れている。女達が手に手にザルを持ち,寄ってくる。運転手はそこにも幾ばくかのお金を入れた。これはお寺か何かの寄付集めで,寄進は功徳になるとのこと。
こちらの仏教では輪廻転生が根本であり,功徳を積むことによって次はより良い境遇に生まれ変われると信じられているのだ。因みに死ぬとすぐに何かに生まれ変わるから,お墓や先祖崇拝などには重きが置かれていない。
そうこうするうち8時少し前にミンジャンの町に着いた。
たくさんの人が行き交い,活気がある町だ。
運転手はこの町に知り合いが多いらしく,何人かに声をかけている。どうやら船会社の人を捜してくれているようだ。待っててくれと言い残し,車を降りてどこかへ消えたと思ったら,年配の人をつれてきて一緒に乗り込んだ。
さらにある事務所の前に止まり,僕らのチケットを受け取って一緒に入っていった。
しばらく待っていると,にこにこして出てきてOKと言う。どうやら事情を説明して途中乗車が出来るように手配してくれたみたいだ。ありがたい。


町はずれの船着き場にタクシーを止めると,彼は目の前の雑貨屋らしき所に案内し,ここで待とうという。
店の前には子供や地元の人が座っており,僕らにも座れと言う。船が着くまで一緒に待ってくれるようだ。
ここでは外国人は珍しいらしく,道行く人から好奇の目を向けられる。子供達も興味津々の目で見つめてくる。
船は8時ちょうどに着く予定だという。今は5分前。ぎりぎりセーフだ。かなり飛ばしたからね,と運転手は手柄顔だ。回りの人たちに,これまでの事情を解説している。得意気だ。
店のおじさんがにこーっと笑いながらお茶を出してくれた。トレイにはポットと水に浸けた茶碗が載っている。この水が例によって相当濁っている。川の水かも知れない。でも,こんな親切は断れない。肝炎覚悟で飲む。Nさんは恩知らずにもちょっと口を付けただけで,さりげなく席を立った。ウーロン茶だろうか,しみじみ美味しい。
「シェーズーティンパデェ(ありがとう)」と言うと,おーっ(知ってるね)と皆驚きの声を挙げた。






手持ちぶさたなので,デジカメで回りの人たちを写す。液晶ですぐに見られるのでみんな驚き,自分の顔を確認してはケラケラ笑っている。
子供達の笑顔は本当に気持ちを暖かくさせてくれる。言葉は通じなくてもすっかりうち解けた。
運転手にはお世話になったので写真を送ることにして住所を書いてもらう。
目の前に米袋のようなものが積み上げられている。これは何かとNさんが問うと,米だという。店からおばさんが出てきて,検品用の道具を躊躇いもなくグサッと袋に刺し,米粒を僕らの手に乗せてくれる。
ひときわ貧しそうな子供が寄ってきて,ペンをくれという。どうしようか。でも,色々考えてやめることにした。別の子供がおもちゃの鉄砲で得意げにバーンと撃ってくるので,死んだふりをしてあげる。



結局船は8時半になって到着した。
運転手には20$の他に5$をチップであげた。彼も今日はいい稼ぎだった。今夜は大宴会だろうな。でも,それ以上の価値はあったよね,と確認しあうNさんと僕。
断っておくが,今日の騒動に関係する支払いは全てNさんが持った。僕がいくら気にしなくていいと言っても,頑として聞かなかった。信頼できる友だ。
運転手は船の座席まで僕らの荷物を持ってくれた。そこで固い握手をして別れる。
乗客は不思議そうな目で僕たちを見つめる。確かこいつらは出発前に突然降りたはずなのに,何でこんなところで乗り込むんだ。しかも現地人と握手なんかして。
船が動き出した。船着き場の人々が手を振っている。その姿が遠ざかっていく。ぼくらも手を振る。熱いものがこみ上げる。



感慨に浸りながら座席に座ると,お腹が空いているのに気がついた。そういえばまだ朝食を食べていないのだ。
Nさんがパニックになっても決して手放さなかったホテル弁当を開けてみた。ミネラルウォータ,パンとゆで卵,バナナが一本だ。
僕はNさんが朝買い込んだバナナをもらう。マンダレーの暗い船着き場が脳裏に浮かぶ。ずいぶん昔の出来事に感じる。
周りは殆どが欧米人のバックパッカーだ。先ほどの船着き場では地元の人も乗り込んでいたようだが,船室は別になっているのだろう。
デッキに出てみる。空は高く,イラワジ川は広々と流れている。思わず,はーっと声が漏れる。胸の扉が全て開け放たれ,川風が吹き込んでくる。

さらに船室の上の甲板まで昇ってみる。一応安全な場所は柵で囲んでいるが,甲板の端まで自由に出入りできる。一歩踏み出せばイラワジ川に落ちそうな場所で景色を眺める。
刻々と移ろう川岸の様子は見飽きることがない。川は雨期で増水している。岸辺の家々。水没しているのもある。木々は先端だけを水面から突き出している。言葉にならない開放感だ。
そのうちに昼時になったので,食堂に行って焼きめし,野菜炒めなどを食べる。もちろんビールも。



気温はぐんぐん上がり日差しが痛くなってくる。甲板は鉄板で,焼けるように熱い。酔いのせいか眠くなってきた。日焼け止めを塗りたくってからガイドブックを枕に寝ころび,目を閉じる。背中が熱い。
絶え間ないエンジン音,頬に感じる川風,瞼の向こうの日差し。この柔らかな世界の中で,僕は遠景の一つとなって遠ざかる。
5月に亡くなった母の葬儀の夢を見た。ミャンマーの人々の信仰心に触れたせいだろうか。
僕は科学的実証主義の立場をとるし,世界の紛争が殆ど全て宗教がらみなのをみると,ジョンレノンのように宗教のない世界を夢見たりもする。でもそれはきっと永遠に無理だし,彼らの純粋な信仰心を否定したりはできない。それぞれが尊重し合って仲良くやることができればと願うだけだ。
あまりの暑さで目を覚ました。冷えた缶ビールを買って飲む。
船は途中の船着き場に向かっている。そこでは女達が布地をを掲げ,デッキの観光客に売ろうと声をかけている。茶色の川と淡い緑の風景の中で,布地の鮮やかさが一際目を奪う。
しばらくして空が一転暗くなり雨が降り出した。僕らは再度食堂に陣取り,だらだらとビール,コーラを飲む。



先ほどの船着き場で,乗り込んだのか,押しの強そうなあんちゃんが近づいてきた。ホテルは決まってるのか,タクシー1000Kでどうかなどと,しつこく話しかけてくる。バガンはミャンマー観光のハイライトであり,このような手配師が跋扈しているのだろう。
デッキから歓声が上がるので行ってみると,川岸に次々とパゴダの姿が浮かび上がる。バガンだ。



バガンの小さな船着き場は,まだ降り止まぬ雨のためぬかるんでいる。その一角に係官が座る机があり,乗客が並んでいる。ここでパスポートをチェックされバガン入域料10$を払うのだ。この時とばかり兌換券FECを使う。
手続きが終わり坂道を上がると,タクシーや馬車,ホテルの客引きが屯している場所に出る。ワッと寄ってくる彼らにホテルまでの料金を聞くと,タクシーも馬車もサイカーもみんな1000Kと言う。
ホテルまでは歩いても行けない距離じゃないし,吹っかけているのか,示し合わせているのか。他の客はどんどん乗り込んでいる。
一旦その場を離れると,1人のおっさんが寄ってきて,馬車700Kでどうだというので,400Kならというと冗談じゃないという顔をする。やはり観光地のせいか,したたかだ。
もう行きましょ,と交渉を放棄して歩き始めると,先ほどのおっさんが走ってきて,400Kでいいと折れてきた。OKすると馬車を一台連れてきた,一頭立てで幌付きの荷台を引いている。番号が掲示しているからライセンス制だろうか。御者は若いあんちゃんで,隣にそのおっさんが座る。僕らはマットを敷いた荷台に座り込む。
御者のかけ声で馬車が走り出す。パカラッカラ,ポコロッカラ,リズミカルな足音,思ったよりも力強くぐいぐい引いていく。雨を透かして遠く赤茶色のパゴダが見える。
おっさんが振り返って勧誘を始める。
明日はどうする,観光に雇わないか。
別にガイドは必要じゃないから。
いやいや俺たち単なるドライバー,ガイド料は取らない。
いくらだ。
一日8$だ。
5$だったら。
7$が限度だ,だって一日朝から日が沈むまでだよ。
うーん,じゃ6$で僕らが満足したら+1$でどうだ。
よかろう,明日何時に迎えに行く?
じゃ,9時。
昼は馬の食事と休憩で1時間休みをもらうよ。
OK。
1日借り切って7$とはね。
馬車はメイン通りから曲がり,ホテルの門へ続く長い道路を進んでいく。
バガンのホテルはティリピサヤサクラホテルというこの地で随一のホテルだ。元迎賓館を日本資本が買い取ったものだという。広大な敷地にバンガロー形式の建物がいくつも並んでいる。
入口の事務所棟でチェックイン。川が見える場所を希望するが,無理だと言われ,一番奥まったバンガローに案内される。1つのバンガローで客室は背中合わせに2つ取っている。
部屋の入口はテラスになっており,ホテルの塀越しにパゴダが一つ覗いている。






バガンは日本で言えば鎌倉時代頃に王朝が置かれていた場所で,代々の王が競って仏塔を建立し,蒙古軍によって王朝が滅ぼされた時には万余のパゴダが林立していたという。現在でも3千近いパゴダが野原の中に点在し,アンコールワット,ボロブドゥールと並び世界3大仏教遺跡に数えられている。
王宮があったエリアはオールドバガンと呼ばれ,ホテルはその南端からすぐの所にある。
荷をほどいた後,チャットがなくなったので両替をしに外に出る。まだ雨は止まず,フロントで傘を借りる。夕暮れ時の上,空は厚い雨雲に覆われ,風景は仄暗く霞んでいる。
さて両替はどこで出来るのだろう。オールドバガンの入口で絵はがきを売っている連中に聞いてみると,向かいの雑貨屋で聞けと言う。雑貨屋に行き,待ってましたと飲み物を売ろうとするのを制止して,聞いてみる。目の前の横道をもっと奥に行けと言う。行ってみると次第に道幅が狭くなり獣道のようになってきたので,引き返す。
メイン道路に戻り,オールドバガンの中へ歩いていくと,食堂や土産物屋が並ぶ一角に出た。食堂のおばちゃんに聞いてみると,大丈夫出来る。隣の店の友達がやってるから呼びに行くという。しばらくして戻ってきた。友達が留守でダメらしい。
仕方がないのでドルでビールやコーラを買いおつりをチャットでもらうことにした。おつりの計算に苦労しているので手伝ってあげると,こちらを信じ切っておつりをよこした。あんな人が良くて誰かに騙されやしないかとNさんは心配している。
夜はホテルのレストランにする。日本料理がある。僕はトンカツ定食 Nさんは天ぷら定食。ミャンマーの食材を無理矢理日本食にした代物で,トンカツはそれなりに美味しかったが,天ぷらは変に甘いコロモに,タネもその辺の道路で摘んだような葉っぱだったり,正体不明の魚だったり。Nさんは落胆して殆ど残した。かわいそうなのでトンカツを一切れ振る舞う。
席の近くのステージでビルマ音楽の生演奏が始まった。竪琴と木琴,鉦太鼓のトリオ。そこら辺の農家の素人を安く呼んできたような演奏だった。やっつけ仕事でやる気もない感じ。それがかえって疲れた僕らには心地良い。



フロントで帰りの飛行機のリコンファームを依頼し,部屋に戻る。
スカッチを傾けると甘い蜜のような疲労感でぐったりとなる。
何という一日だったのだろう。不安と緊張から安堵と開放感へ。今ここにいるのさえ幸運なことなのだ。
早めにベッドに潜り込む。枕に押しつけた頭にミニタクシーの荷台から見たマンダレーの朝や,ミンジャンの子供達の微笑みが浮かぶ。
やがて僕の身体はイラワジ川にぽっかりと浮遊し,流れのままにたゆたっていく。