8月18日(日)
朝6時前に目が覚める。昨日は知らない間に眠ってしまったようだ。
忘れないうちに昨日の旅のメモを書いていると,Nさんが起き出した。
「こんな早ようから何ごそごそやってんのや。ホント年寄りは困るわ。昨日は今井さん半分寝てしまうから,ベッドまで誘導したり布団かけてあげたり,大変やったんやでー」
ひとしきりぼやいたあと,ふおー,と年寄りくさいのびをする。
テラスでこのホテル最後の朝食をいただく。テーブルの盆栽の種類が変わっていて,気遣いを感じる。
果物の女王と言われるマンゴスチンを食べる。固い殻を剥くとライチのようなミルク色の果実が現れる。甘くてさっぱりした酸味もあって,上品な味だ。結構足が速い上検疫上の理由があって,日本では生の果実は食べられないという。皮に虫が付いているので,皮を剥いた手で果実を触っちゃいけないよ,とNさん。
さわやかな朝だ。中庭に繁茂した熱帯植物と明るい曇り空のコントラスト。フロントではロンジーを優雅に巻いたスタッフの女性たちがが笑顔で立ち話をしている。鳥があちこちで囀っている。



今日は僕らを暖かく迎え入れてくれたヤンゴンに別れを告げ,古都マンダレーへ行く。
是非また来て下さいとフロントのお姉さんに笑顔で送られ,ドアマンにタクシーを呼んでもらう。
運転手に料金を聞くと空港まで5$だという。ご冗談でしょ。来るときは3$だったし。やりとりするうち4$ならと言うことになったが,納得がいかない。エアポートタクシーは3$だったよ,と最後通牒を突きつけると,じゃあ道で拾えといわれる。昨日拾った通りまで荷物を背負って歩くのはしんどい。潔く敗北を認め4$で交渉成立。
国内線発着ロビーの入り口前には,出迎えなのか時間待ちなのか地元の人が大勢いて,歩くのも大変なほど混み合っている。入り口では係官が航空券をチェックして入場を制限している。
一度中に入ったところで,Nさんがここで帰国便のリコンファームをしときませんかと提案する。各航空会社のオフィスは国際線出発ロビーにあるので,もう一度外に出なくてはならない。
出ようとすると,係官に制止された。何事かと思ったら,いかにも高官ぽい一団が歩いてくる。VIPだろう。
彼らが出て行くのを待ち,僕らは人混みをかき分けて,隣の国際線ロビーへ向かう。めざすタイエアーのカウンターにはパイロットのような格好をした係官がいる。聞いてみると,後ろのドアを指してその中へ行けと言う。中へいくと端末がおかれた机がいくつか並んでいるが,誰もいない。困ったな。外に出て誰もいないというと,チケットを見せてみろと受け取り,ぺらぺら捲って眺める。ああこの便なら大丈夫だ。ノープロブレムと自信たっぷりに胸を張る。大丈夫なんだろうか,コンピュータに入力とかしなくてもいいんだろうか。不安一杯で国内線ロビーに戻る。
手続き開始の時刻が来て,チェックインする。パスポートチェック,荷物検査が一通りある。国内線でも厳しい。といっても何も咎められるわけではないが。
セキュリティチェックの時ポケットにライタ−を入れていたせいで,派手に警報が鳴る。ボディチェックが終わるやいなや,制服を着た係官が僕の荷物を持って待合室に入っていった。一瞬,別室で取り調べられるのかと思った。でも疚しいことは何もないし,かかってきなさい。と後をついて行った。
すると待合室のイスの前に荷物を置いて笑顔をみせ,去っていった。Nさんが追いかけてきて言う。「気ィつけな,チップ取られまっせ」
そうだったのかな。ちょっと焦った。でもそんな素振りはなかったし,単に親切だろう。
待合室はやはり地元の人が多い。滑走路が見えるガラス壁は,日除けの黄色い透明プラ版で全面覆われ,熱帯魚の水槽のようだ。政府専用機らしい小型ジェットが到着してVIPが降りてくるのを見たりしているうちに,時間が近づいてきた。
係員がなにやら大声で宣言すると,ゲートに一斉に人が並びだした。搭乗アナウンスはないらしい。
行き先がよく聞こえなかったので,白い制服姿で立っている人に,ちょっと怖い感じだったが聞いてみた。どうやら違う便のようだ。ありがとうというと,にっこり微笑む。温かい。こういう些細なことでその国の印象が決まってくる。
マンダレー航空の小型プロペラ機は11:00定刻に出発した。1時間半のフライトだ。機内は数十人乗りの狭さで一蓮托生の雰囲気だ。ちょっと心許ないが,機材は新しく,何かあってもプロペラ機の方が安全と聞いたことを思い出して気持ちを落ち着かせる。
機内食のサンドウィッチに生のレタスがはさんである。心配だ。気のせいかちょっと腹が痛くなってきたので,消毒がてらワインを流し込む。

マンダレー空港は近代的で新しい立派なビルだった。しかし,オフシーズンのためか閑散としている。十数年前に行った頃のモスクワ空港を思い出させる。
ビルから出ると,タクシーが数台いて男が1人寄ってくる。マンダレー市街までの料金を聞くと8$という。Nさんが僕に交渉してみろと突き放すので,5$位から始めてみるが,どうしても下げない。何でもここは新しい空港で,旧空港からなら8q位だったが,ここから中心部までは40qもあるんだぜ,と譲らない。
一旦交渉を打ち切ってNさんと相談する。周りを見渡してもこのビル以外には何も見あたらないし,他の客はどんどんタクシーに乗り込んでいく。仕方がない。
Nさんは先ほどの男に近づき再度交渉を始めた。しばらくして僕を呼ぶので行ってみると7$でまとまったという。さすがだ。しかも1人旅らしき日本人男が横で交渉しているのに耳をそばだてて,あっちは6000Kでいいって言ってるやんけ,と文句をたれているる。すると,あっちは1人だからその料金なのだ,と説得されて,渋々引き下がった。
ようやくタクシーの人となる。しばらく高速道路のような広い道を吹っ飛ばす。言うとおりかなり街まで離れている。あたりは水田の広がる田舎の風景だ。
やがて未舗装の道に降りると,道沿いにぽつぽつ竹で編んだような粗末な人家や店が並び出す。集落の信号で止まっていると,車の間まで入り込んで果物などの物売りが押し寄せる。みんな生きることに一所懸命なんだ。でも悲壮感は全くなく,ルーティンワークとして淡々とやってるように見える。
土の道はたまらなく懐かしい。道路工事,土埃,雑貨屋,食堂。確かに見覚えがあるような風景が続く。
マンダレーの中心部に入っていく。ちょっとした都会で,一昔前の日本の地方都市の雰囲気だ。
タクシーは一軒の建物の前で止まり,ちょっと待ってくれと運ちゃんが降りていく。すぐに1人のあんちゃんと共に出てきて,一緒に乗り込んできた。
そのあんちゃん,助手席から振り返り,ホテルは予約済か,観光ガイドはいらないか,と話しかけてくる。警戒して全部断っても別に気にする様子はない。空港からの客は一応勧誘する決まりなのだろう。ホテルに着くと,何かあったらこちらにどうぞ,と笑顔で名刺を渡された。
マンダレーはイギリス占領以前この国最後の王朝が置かれていた都だ。町の中心部には一辺3qはある正方形の旧王宮がお堀に囲まれて鎮座している。その西から南にかけて市街が広がる。北東側には山全体が寺院になっているマンダレーヒルが佇む。
僕らのホテルは観光名所であるこのマンダレーヒルの麓にあるノボテル。ごく一般的なアメリカンスタイルのチェーンホテルだが,ここマンダレーでは最高級に位置づけられる。もう一つセドナホテルという高級ホテルがあり,こちらは街に近く同料金だったので,Nさんがホテルを決める時最後まで迷った経緯がある。
午後のロビーは日差しにあふれ,静寂が覆っている。
フロントの女性に,なるべく上の階のいい部屋にしてね,とNさんにこづかれながら言ってみると,にっこりして分かりましたと請け合ってくれた。
部屋はマンダレーヒルを一望に出来る上層階だった。やったねと荷をほどきながら喜ぶ二人。
しかし後で分かったが,何のことはない客が少ないので皆同じ階に集めただけだった。夜ホテルを見ると僕らと同じ階だけしか明かりがついていなかったのだ。
一息つくと,Nさんが腹減って死にそうや,と喚きだした。僕は機内食のせいかちょっと腹がちくちくしている。むろんビールで消毒しなくてはならない。


ホテルのカフェで,Nさんはスパゲッティナポリタンとコーラ,僕はチーズサンドとビール。すっかりミャンマービールファンになっていたが,ここは古都に敬意を表してマンダレービールにする。誰もいないテラスの日差しが静かだ。こんなゆっくりした気分の午後はどのぐらい過ごしていないだろう。



部屋に戻りNさんからアリナミン2錠をもらって飲む。日課だ。中年旅行の疲労回復には必須の物と,日数×2人分をピルケースに入れて持ってきてくれたのだ。
お腹が心配なので,正露丸ももらおうとすると,正露丸はお腹の細菌を全部殺してしまうほど強力だから,予防のために飲んじゃ駄目やって,と制止された。でもかまわず飲む。
窓一面に広がるマンダレーヒルは美しい夕日が見られることで有名だ。
時間を見計らって4:30頃ホテルを出ることにする。
Nさんは無謀にもロンジーを着ていくという。どや,現地の人みたいやろ,と同意を求めてくるが,どう見ても怪しい観光客だ。特に腹回り。ロビーに降りると早速ロンジーがずり落ちてきて,ドアマンに正しい巻き方を聞いている。
ヒルの入り口まで10分ほど歩く。
例によってここからは裸足だ。標高236mの頂上まではかなり歩かなくてはならないので,入り口のばあさんにサンダル預をける。夜9時までやってて,一人100Kという。
参道は屋根付きの石段になっている。1729段もあるとか。入口近くでは例によって仏教関係の店が並ぶ。料金所があって,我々外国人は入山料3$を徴収される。
一段一段と上っていると若いミャンマー女性がきれいな英語で話しかけてくる。もちろんガイド希望だ。特に必要ないので断る。ひたすら上る。石段は幅3m位になり,両側には石段と一体になったコンクリートのベンチが一定間隔で作られていいる。このベンチに腰掛けてたり,寝ころんでている人たちもいる。
石段の脇には粗末な小屋が見え,炊事をしていたりする。ここに住んでいるのだろうか。
ベンチに座る家族らしい人たちの間を通り抜けたとき,女の子たちがNさんのロンジーを見てくすくす笑いをこらえていた。通り過ぎたとたん一家そろって声を上げて笑っている。僕も密かに頷く。
さらに延々と上る。息切れして何度か休む。
犬があちこち随分たくさんいる。皆ぐったりと寝ころんでいる。石段に寝そべっている奴がむっくり頭をもたげてこちらを見た。ミャンマーではまだ狂犬病がなくなっていないらしい。心の中で,噛まないでよ,もし噛むならNさんにしてよ,とお願いしながら脇をすり抜ける。



ハアハア言ってひたすら上る。もう膝が笑っている。限界だ。と思った頃に展望所のテラスに出た。一休みすると,汗が一気に噴き出し頭がぼんやりしてくる。気温は当然30度を超えている。
西洋人グループが年配のお坊さんと話している。それを見て,Nさんが釈然としない顔で思い出を語る。
7年前ここに登った時やはりお坊さんに話しかけられ,色々親切に説明してくれた。Nさんは感激し,その親切に報いるため中腹の茶店で飲み物をおごってあげた。そして,それまでNさんの言葉を忍耐強く聞いて会話していたお坊さんは,別れ際に,もっと英語を勉強しなさいと,忠告したそうだ。
Nさんとしては,たまたま居合わせたお坊さんが,みすぼらしい一人旅のNさんを哀れに思い,慈悲の心で接してくれたと思っていた。美しい思い出として大事にしていた。
でも,目の前の観光客とお坊さんの様子を見ると,どうもここの坊さんは誰にでもガイドして,小遣い稼ぎをしているのではないか。そういって悪ければ,寄付集めをしているのではないか,という疑念が持ち上がってきたらしい。
僕はベンチに座り汗がだらだら流れるのに任せる。心臓の鼓動が頭の中に響く。
Nさんがちょっとこっち来てみ,と手招きする。重い腰を上げてそちらに行くと,そこは眼前を遮る物もなく下界の素晴らしい光景が一望できる。田園風景の遠くに雨期で氾濫し木々を水没させているイラワジ川が煌めいている。心の容量が一気に広がっていく。
イラワジ川は現政権がエーヤワディ川という本来の名称に戻しているが,イラワジ川の方が何かロマンを感じますね,とのNさんの感覚に賛同してそう呼ぶことにする。
彼によると,ここの上に行ってももう展望所はないというので,また夕陽の頃に戻ることにして,さらに上ってみる。


中腹ぐらいに仏殿があり,高さ8mの金箔に覆われた仏像が旧王宮を指さす姿で立っている。
一応お布施を10Kずつガラス箱に入れ手を合わせる。
道々僕がガイドブックを見て,あれは「予言を与え給う仏陀」って言うんだって,と教えると,Nさんは「失敗した」と叫び,激しく後悔している。だったらちゃんとお願いすることがあったんだ,帰りに絶対もう一度お参りしようと決意している。でも,何度も言うけれど日本円にして1円2円のお布施で,仏様にきつい要求しちゃいかんて。

さらに上ると一層生活の色が濃くなってきて,仏教施設の合間で暮らしている人が結構いるようだ。仏殿の中で子供が追いかけっこしていたり,炊事場から湯気が上がっていたり,水浴びをしていたり。あの子供たちは一生山を下りないで暮らすのだろうかね,などと話しながら,さらに上へと歩みを進める。
土産物屋が店を連ねる場所に出た。何軒かの店では,長さ2,30cm,太さ3cm位の木の枝を積み重ねている。あれは何だろうね,多分香木か何かな。Nさんがその木に花を近づけて匂いをかぐ。
それを見た店のおばちゃんが,すわカモが来た,とばかり売り込み攻勢をかけてきた。いらんいらんと振り切って歩くと,ずっと追ってきて,先の方の店にも,ほらそっちにカモが逃げるよ,と声を掛ける。
と言っても,穏やかなこの国の人のこと,取り囲んで無理矢理売るというようなことでは全然なくて,商売のチャンスを逃がしたくないだけのことだろう。僕らが相手にしないと分かると,すぐにあきらめて戻っていった。
旅行中あの木はずっと香木だと思っていたが,帰ってから調べるとタナカの木だった。
タナカというのは一種の化粧品で,ミャンマーの女性が頬や額に塗っている。パウダー状にして固めた物も売っていたが,本来はこのタナカの木を石版で擦り水溶きして塗る。白っぽい肌色をしており,丸く塗ったり,渦巻きにしたりと,おしゃれに工夫している。日焼け止めも兼ねていて,子供は男女とも塗っていた。さすがに都会のヤンゴンではあまり見かけなかったが,田舎に行くと皆ほっぺに白丸が付いていて,見慣れるとかわいらしい。
ちょっとした広場のようなところにたどり着いた。鏡に装飾された仏殿がある。Nさんがここが天っぺんやで,と言う。眺望できるところを探すが,山の木が邪魔になる。辺りには現地のおばちゃんや子供がたむろしており,確かに落ち着いて夕陽を眺めるような場所ではない。



じゃ戻ろうかと,降りようとして,奥の方にさらに道が続いているのを見つける。
あれ,あっちは何処に行くのかな。細い通路を通り抜けると,階段が見える。ありゃまだ上に行けるのか。Nさんが首をひねっている。
その階段をしばらく昇っていくと,突然視界が開けた。そこは中央に大きな仏殿があり,周囲が広いテラスになっている。たくさんの見物人が歩いている。ここが本当の頂上だったのだ。Nさんも初めて来たと驚いている。
テラスでは夕陽待ちの人たちが三々五々景色を眺めている。



Nさんが袖を引くので指さす方を見ると,若い西洋人カップルがいる。彼らはロンジーを身につけ,シャンバックを肩から提げている。シャンバッグというのはマンダレーから西のシャン州の伝統的な肩掛けバッグで,幅広の肩ひもと底についている房が特徴である。ロンジーはポケットがないせいか,これを提げている現地の人が結構いる。
件の西洋人カップルはまだ若くてすっきりした体型のため,この格好がよく似合っている。
「やっぱり西洋人は全然似合いませんねえ。どうや,僕の似合うこと」と対抗意識に燃えているが,どう見ても分が悪い。
先ほどのお坊さんが,一人置いて行かれて寂しそうにたたずんでいる。寄付をもらえなかったのだろうか。
手摺りに肘を預け,眼下に広がる景色を眺め渡す。
暮れかけた濃密な空気の中に,夕餉の準備なのか焚き火なのかいくつかの煙がたなびくのも懐かしい。
王宮の水路が最後の光を反射している。
イラワジ川が次第次第に赤く染まり,街の明かりがぽつぽつと灯り出す。
それを眺める群衆のシルエット。
世界が大きな慈悲に包み込まれていくような暖かさ。
やがて柔らかい闇がゆっくりと舞い降りてくる。
呆然としてしばらく言葉を失う。


ふと我に返ったNさんが「缶コーヒーでも飲みましょか」とテラスの端にある売店へ誘う。
僕は缶コーヒーを買い,Nさんに渡すために振り向いた。
夕闇の逆光に浮かぶNさんの笑顔。
その顔がみるみる歪み,恐ろしい形相に変わる。
突然Nさんは激しく踊り出した。
足を交互に踏みならしてロンジーの裾を乱し,腕を激しく振り回している。
びっくりして後ずさる僕。どうしたんだNさん。
一心不乱に踊り狂うNさんに僕の声は届かない。
周りの人も唖然として見つめている。
マンダレーヒルの鬼だ。鬼が取り憑いたのだ。
この世界への呪詛の叫びがNさんの口から発せられた。
それが「痛い,痛い」という言葉だとやっと気づく。駆け寄ると,飛び跳ねながら「蟻,蟻」と足下を指す。下を見ると店の横の床に小さな蟻がたくさん蠢いている。「噛まれた,噛まれた」。
なんだ蟻に噛まれたのか,そんな大げさな。ヨシモトの流れをくむ体を張ったギャグか,さすが関西人。とホッとして笑う僕。
売店の女性も心配そうに出てきた。蟻を見つけて箒で掃こうとして彼女も蟻に噛まれ,叫び声をあげて痛がっている。どうやら,この蟻は極めて凶暴で,手当たり次第噛みつくらしい。
Nさんごめん,本当に痛かったんだ。でもこれって昨日仏様の前で腹を出して眠りこけたバチだよきっと。
女店員は噛まれながら sorry sorry と謝ってている。いや,あなたのせいじゃないから。Nさんは裸足の足をさすりながら,蟻に対する怒りをその店員にぶつけるように「そこのイス借りまっせ」と店のプラスチックイスを強引に借り出す。
これを持って夕日の見えるテラスへ戻り,缶コーヒーを飲む。甘さが疲れた身体に染み渡っていく。
しばらくすると空は昼と夜の境界をフイと越えて暗くなり,テラスの仏塔にも灯りが付いた。
そろそろ戻ろうか。



帰りの参道は電灯がなく真っ暗だ。おばさんたちの羽毛のようなおしゃべり声や子供達の笑い声が,暖かい闇の中にとけ込むように聞こえてくる。足下を探りながら石段を下りる。
目が慣れると,早々眠り込んでいるおじいさんや家族の談笑,人目を忍ぶアベックの後ろ姿などがぼんやりとみえてくる。
子供の頃の日本の夏,記憶の底の夕涼みの風情。
中腹ぐらいまで降りてくると,所々裸電球がぶら下がっていて,そこだけ少しは明るい。
着慣れぬロンジーが下がって来たNさんが,直すために立ち止まるる。しかしなかなかうまく着付けられない。何度もトライして手間取っていると,二人連れの男が笑いながら近づいてきた。自分のロンジーを一旦ほどき,こうやるんだ,と手本を見せてくれる。不器用なNさんはそれでもなかなかうまく出来ない。
その時Nさんが突然「わー何か変なもの踏んだ」と叫び足の裏を払うが,取れないらしい。ほどきかけたロンジーを片手で押さえ,手足を奇妙に動かしながらパニックになっている。男達もビックリして成り行きを見守っている。またか。今度は何だ。
灯りの下に連れて行って見ると,それはガムだった。
「変な虫やなくて良かったけれど,誰や,こんな所に捨てて」怒りながら,異常に粘るガムを剥がしている。ガムを見せると男達は納得してうなずいた。
ロンジーの着付け教室が再開され,何とかきれいに着ることが出来た。親切な男達は笑いながら去っていく。
来るときに拝んだ「予言を与えたもう仏陀」にさしかかる。
Nさんは帰りにもう一度絶対拝んでいくと息巻いていた。しかし仏殿の扉は既に閉じられている。扉の編目を透かして黄金の仏像が光っている。
Nさんは門番らしき人にもう終わりか,入れないのか未練がましく聞いて,あっさり断られている。それでも扉の前に座り込んで,熱心に何か願い事をしている。
「何を頼んでたのさ」
「それは内緒ないしょ。大事なこと。言うたら僕の夢や」
「で,何か予言はあったかい?」
「あった。でもあんまり良い答えやなかったわ」
彼は意外と謎の多い人物なのだ。
しばらく降りていくと「わー何かまた踏んだ」とNさん。足をバタバタさせている。
「そういえば石段の上で小っちゃいヤモリが何匹か走ってるの見たぜ」と僕。
「きっとそれや,なんで早く教えてくれんのや」
今度は僕に怒りをぶつけてくる。
色んなものを踏む人だ。僕は何ともないのに。寄付もしないで仏様にきつい要求をしたから怒られてるのかも知れないよ,と言うと,素直にうなだれて反省している。
ふっと灯りが消えた。
あ,停電だ。ミャンマーは停電が多いと聞いていたので,わざわざペンライトを買った。でも今この肝心なときには持ってきていない。
真っ暗だ。本当の闇だ。おっかなびっくり石段を探りながら降りていくうちに,それでも目が慣れてくる。
アベックがここでも何組かいちゃついている。意外とオープンなのかな。
ミャンマー人には姓がない。名前だけだ。ということは,結婚しても夫婦別姓にしようかとか,何々家がどうしたとか悩むことはないのだ。もちろん名前の問題だけでは語れないだろうが,僕の直感では,女性が堂々としている,というか自然に生きているように感じた。
暗闇の中から男の歌声が聞こえてくる。石段を上ってくる人が歌っているようだ。よく聞くと聞いたことがある節回し。そうか,北国の春だ。この曲はアジア方面で大人気だと聞いたことがあるが,まさかミャンマーで聞くとはねえ。
Nさんは喜び,日本語で歌い出す。一瞬驚いたのか向こうの歌が止まった。でもすぐに,Nさんと節を合わせて歌い出す。やがて暗闇から夫婦連れの姿が現れる。にこにこ笑いながらすれ違う二重奏。暖かく嬉しいものが僕らの胸に広がる。
ようやく麓の入口にたどり着いた。サンダルを受け取って道に出たとたん,屯しているサイカーの運ちゃんたちがわらわら寄ってくる。サイカーとは自転車タクシーだ。ホテルはどこか,これからどうする,とかなりしつこい。
その時,あたりの電灯がぱっと付いた。ようやく停電が終わったのだ。
周辺にいた人たちがおーっと声を挙げ,拍手がわき起こる。
歩いてすぐそこのノボテルに泊まっているし,今晩は寝るだけだと言って運ちゃん達を振り切る。しかし1台のサイカー後しつこく僕らの脇を併走し付いてくる。明日はどうか,今夜は人形劇のショーは見ないのか,としつこいこと。無視しても延々と離れないでついてくる。ホテルの近くまで来るとようやくあきらめて帰っていった。
部屋に戻る前にホテルの横手に見える露店で飲み物を買い込むことにする。
店番は頑固そうなお婆ちゃんだ。話しかけても,英語が全く分からないようだ。仕方ないので横に置いてあるブリキのクーラーボックスを開けてみると,ビールはなく,コーラもあやしい地元製の瓶しかない。その瓶を取り出してNさんがいくらだと聞いても,お婆ちゃんはとまどうばかりだ。
店の横は建物の門になっていて,その奥は飲み屋か何かになっているのだろう。イスを持ち出してビールを飲んでいる男達がいる。1人の男が見かねてお婆ちゃんに何事か言う。お婆ちゃんは納得して「シッセー,シッセー」という。全然意味が分からない。
イスの男に聞いてみるとはっきりしないが80Kらしい。ただ,Nさんが瓶を持ち帰る仕草をすると160Kと言う。確かにばあさんの後ろには中身の残った瓶が並べてあり,グラスも置いてある。ここで飲むなら80,ビンごとお持ち帰りで160ということか。よく分からないので,Nさんがお金を出しそこからお婆ちゃんにとってもらうことにした。やはり160Kだった。それにしてもコカコーラの500Kに比べると安い。160Kということは20円ぐらいか。ばあさんは最後に欠けた歯を見せてニイっと笑う。いい笑顔。
ホテルに戻りガイドブックを見るとシッセーというのはやはり80という意味だった。
いかにも怪しい「なんちゃってコーラ」を前に,Nさんは「僕1人が変な病気になるのはいややから,今井さんも飲んでや」としつこい。やむなく一口飲んでみる。相当甘ったるいが一応コーラの味はした。
ミャンマーには一時期ペプシが攻勢をかけ,すっかり国民の間に定着した。しかし経済制裁なのかミャンマー側の排除なのか,撤退したらしい。確かにコカコーラは売っているが,ベプシ製品は見あたらない。因みにクレジットカードでもマスターカードだけは使えない。
コーラの味は一旦覚えると麻薬的で忘れられない。僕が子供の頃初めて飲んだ時だって,薬臭くてなんでこんなまずいものをアメリカ人は飲むのかと思ったものだ。それが今やマクド(関西風に)で普通に飲んでいる。
そういえばガラナが好きだったな。ガラナは当時全国で売り出されたようだがコーラに押されてすっかり姿を消した。でも北海道など一部の地域では根強く残っているのだ。あれも一種の疑似コーラだった。
足がガクガクする。体力の衰えを嘆き合う中年二人。晩飯に遠出する元気はない。ホテル案内を見ると中華料理店があるのでそこにしよう。
ここまで読んだ方は,折角異国の地に来てどうして現地の料理を食べないんだ,と苦々しく思っていらっしゃるだろう。宜なるかな。
ヤンゴンでもここマンダレーでも地元料理の食堂や屋台がたくさんあり,夜遅くまでにぎわっていた。僕だってそれにトライしたい気持ちはあるし,日本食がなければ生きていけないタイプでもない。
どこの国でも地元の人たちが食べているものは本当に美味しかった。食はその国の文化の重要な要素であることも分かっている。まさに旅の醍醐味の一つだ。ミュンヘンのビールやソーセージ,フィレンツェのプロシュート,ヴェローナのパスタやピザ,バルセロナのパエリア,パリのクロワッサン,ウィーンのシュニッツェル,思い出しただけで胃液が分泌される。アメリカやイギリスなど思い出したくない国もあるが,それでも我慢して食べた。
そんな無邪気な考え方は,初めてアジアに目を向けベトナムに行ったときに,打ち砕かれた。
詳しくはベトナム旅行記に書いたが,何でも食べてやろうと意気込んで行ったその地で,激しい腹痛に見舞われ,死にそうな目にあったのだ。
そのせいで東南アジアの食事に少し臆病になっていることが,今回あまり積極的になれない理由の一つだ。
次に,事前に調べたところビルマ料理があまり美味しくなさそうだったこと。インド圏に近いせいでカレー料理が中心だが,具が少なく,どの料理も異常に油っぽいと言う。その油もあまり質のいいものは使ってないとも書いてあったし。
ベトナムではそれでも生春巻きやフォーなど美味しいものがあり,他の料理も食に対するセンスを感じた。だが,ここミャンマーではどうもあまり食事に対するこだわりが感じられない。ひょっとするとベトナムがフランス統治だったのに対して,ここはイギリス統治だったことが影響しているのかも知れない。イギリスの食事がまずいことは世界的に有名である。僕もロンドンで大きくうなずいたものだ。だからビルマ料理を是非とも賞味したいという気持ちにはなれない。
最後の理由は,衛生上のことだ。都市部でもデング熱が流行っているし,マラリアやアメーバ赤痢などにも気をつけなくてはいけないから,蚊に刺されるな,とか生水,氷,生野菜には細心の注意をとかは,基本中の基本だ。しかし,いくら気をつけても肝炎ウィルスなどの恐れはぬぐえない。
いずれにしろ,究極の無菌国家の住人としては,いくら大雑把な性格でもなかなか勇気を出せないのだ。
「現地の人が食べているものは大丈夫やっていうけど」
「いや,現地の人もずいぶん病気にかかってるらしいから。わざわざ危険を冒すことはないよね」
「お腹壊すぐらいならええけど,肝炎なんかになったらシャレにならんで」
こうして疲れた中年たちは,高級中華レストランに向かう。
ところが,レストランは真っ暗で扉が固く閉ざされている。どうやらシーズンオフのためやっていないようだ。
仕方なくラウンジでやっているバイキングにする。2人で31ドルだった。約3万チャットだ。先ほどのばあさんの顔が思い浮かぶ。何だか申し訳ないような気持ちで胸が一杯になりながら,腹も一杯になる。破裂しそうなほど食べまくる。


部屋に戻ってミャンマー国営放送を見る。先ほどのなんちゃってコーラを始め様々な商品のCMが流れている。殆ど同じ女優を使っている。ミャンマーの国民的アイドルなのかな。
歌番組が始まり,4人の暗い顔をした女性が暗いセットの前で暗い声で暗い曲を延々と歌っている。Nさんのイビキがそれに絡む。
スカッチのグラスを傾け,窓を見るとマンダレーヒルにはまだ灯りがついている。
