8月17日(土)
7時に目が覚める。そうか日本ならもう9時半だ。微妙な時差ぼけだが,早寝早起きになって旅行には都合が良い。
トイレに入ったNさんが突然声をあげ,深刻な顔をして出てきた。
「どうしたの。血便でも出た?」
「いや,蚊が一匹いたんで潰したんや」
説明しよう。東南アジアではマラリアを始め蚊を媒介とする病気が多い。事前の情報では,ここヤンゴンでもデング熱が流行しているらしい。
デング熱。名前からして恐ろしい。関係ないけれど天狗の夢を見そうだ。
予防には刺されないことが一番。虫除けスプレーも持ってきた。昨夜は備え付けの電気蚊取りを焚いた上,蚊がいないことをしっかり確かめてから就寝した。それなのに。
「潰したら血ー吸ってまんのや」
「誰の血だろう」
「今井さんのや」
「いやいやNさんでしょ」
ここで押し問答しても意味がない。デング熱の潜伏期は4〜7日だから,感染してたらどっちかがパタンと倒れて判明するだろう。
蚊一匹でえらい騒ぎだ。


朝食は昨日のレストランでバイキングだ。ベーコンや野菜スープなどで,特に変わった料理はない。フランスパンがおいしい。
卵をどうするか聞かれたので,sunny-side up と頼む。Nさんは,そんな面倒なこと言わんでも fried egg でええんや,と対抗する。うーん,確かフライドエッグって言ったら両面焼きが普通のはずだったような。
テラスで食べていると,いよいよ卵を持ってきた。ありゃ。両方とも普通の目玉焼きだった。
それを見て,昨夜のことを思い出した。
深夜,雨の音とNさんのイビキを聞きながら,スカッチ片手に旅日記をつけていると,Nさんがむっくりと起きあがって
「まだ寝んのですか。目が固いですねえ」
と言い,またパッタリと眠ってしまったのだ。
半熟の目玉焼きを食べながらその話をする。
「目が固い」って,僕は聞いたことないけれど関西方言なの?なかなかうまいこと言うね。でもちょっと年寄り臭い表現だな。
Nさんが親切にジュースを持ってきてくれた。僕の大嫌いなメロンジュースだ。



いよいよヤンゴンの街に繰り出す。まずは市の中心にあるスーレーパゴダに行ってみよう。
曇り空で雨が心配なので,傘持って行こうよと言うと,Nさんは持ってきていないと言う。つーことは雨が降ったら相合い傘?。うーん,熟考3秒でやっぱり僕も持たないで出ることにした。濡れた方がましだ。
ホテル前にいたタクシーに中心街までの値段を聞いてみる。
ミャンマーではメーター付きのタクシーはなくすべて事前の交渉制だ。
最初2$といわれる。ここはヤンゴンの郊外だが中心部まではせいぜい3q,昨日空港から30分以上乗って3$だから,とんでもない。交渉して1000K(約1$)まで下がったが,まだ高い。ガイドブックの情報を元にNさんが300Kなら乗るというと,その運転手は鼻で笑って交渉打ち切りとなった。物価も上がっているのかもしれない。
道で拾うことにし,ひとまず大きな通りへ出ることにする。
未舗装の道を歩く。雑草と土の香りに懐かしさを感じる。ロンジーを着た人たちが三々五々優雅に歩いている。たいてい円筒型の弁当箱をぶら下げている。出勤するところなんだろう。あたりは大使館街らしく塀で囲まれた立派な建物が多い。ひときわ大きいピンクの建物を見ると門のところに外務省と書いてある。軍服を着た門衛がこちらを見ている。

車の行き交う大きな通りに出ると,バス停や商店が並ぶ一角があり,タクシーが数台停まっているのが見えた。
そばに行って交渉してみる。800Kという。Nさんが500Kと粘るが,取り合ってくれない。あきらめて別の車と交渉。こちらも800Kと同じことを言ったが,粘ると700Kになった。きっとそのぐらいが今の相場なんだろうと納得して乗り込む。
300Kなんて笑われるはずだ。よく考えてみると100円か50円かですったもんだしてる訳だ。でも,何もケチっているのではなく,やはりなるべく現地感覚を大事にして旅をしたい。
中心部に近づくとさすがに交通量が多く,大勢の人々が歩いている。ほぼ全員ロンジーにゴム草履姿だ。
Nさんが驚いている。7年前には車が殆ど走っていなかったらしい。目を見張るほどの変わりようだと言う。
運ちゃんが何か指し示して喋っている。一瞬,押しつけガイドであとで請求するつもりかと警戒したが,どうやら通りの名前を教えてくれているようだ。よく聞くと,一方通行なのでスーレーパゴダに行くにはここで降りて歩くのが良いと説明しているらしい。確かにその通りを横断するときにちらっと見ると金色の塔が間近に見えた。停車すると,通りを間違えないように何度も教えてくれる。1000K渡すとキチンとおつりを返してくれた。正直だ。
Nさんが歓声を上げ,カメラを取り出す。
「あれ見て!ウットコのバスや」
それはNさんが住んでいる尼崎の市営バスだった。レインボーのペインティングが目印だ。
こちらの大型バスも殆ど日本の中古バスだった。「京都市営バス」などの表示もそのまま消さずに使っている。右側通行なのでわざわざバスの右側に新たに出入口を付けている。改造されていないのも走っていて,これは道路側から乗客が乗り降りしているのだろう。
「確かここやったと思う」
Nさんが7年前に訪れたときに泊まったホテルがあった。
イギリス風の町並みの一角にあり,覗くと今は家具屋のような店舗になっている。この街も生きているのだ。



さて,ミャンマーへの挨拶代わりにスーレーパゴダに向かう。
道々物売りや闇両替に声をかけられるが,拒否するとあっさり引き下がる。全然しつこくない。
スーレーパゴダは高さ46mの黄金の仏塔を持ち,仏陀の遺髪が安置されていると言われている。スーレーとは聖髪の意。起源は2千年以上前とされる。周囲を円形の建物で囲まれそこには時計屋,写真屋などが並ぶ。「パゴダ」とは英語の言い方で,いわゆる仏塔,仏舎利のことだ。
ここミャンマーは約9割が熱心な仏教徒だという。街のど真ん中にそびえる金色の塔は何かしら象徴的だ。



ミャンマーのパゴダや寺院に入るときは,みな裸足にならなければならない。靴下も駄目だ。だから,僕らも日本からサンダルを持ってきて履いている。DIYセンターで380円で買ったものだ。
実はここ2,3年足の人差し指の付け根に魚の目が出来て苦しんでいる。ちょうど歩くときに力のかかるところで,なかなか治らない。そもそもリーガルの革靴の作りが悪くて,中敷きの皮からほんのちょっと出ていた釘に気がつかずに,いつの間にか魚の目が出来てしまったのだ。
色々専用の絆創膏とか試して来て,今はジョンソンから出ている人工皮膚みたいのを貼り付けている。
だから,ミャンマー情報でパゴダで裸足にならなくてはいけないと知ったときには,絆創膏が汚れるし,鬱陶しいなあと思っていた。
しかし,この僕の魚の目が,ひょんなことからNさんの窮地を救うこととなるとは,まだ誰も知らない。
さて,パゴダの入り口に着いてサンダルを脱ぎ,内部への階段を昇る。4方向に内部への入り口があり,階段を上って2階部分が境内だ。
すると,階段の途中に下駄箱があり,おばさんがオイデオイデと招いている。ふらふらと引き寄せられる。おばさんはサンダルを預けなさいと言う。思わずハイと言って一人100K取られた。自分で持って歩けばタダなのに。なんだか「庶民にも金を落としていけ」と仏様のお導きでもあったかのようだった。
内部は中央の塔の周囲に大小様々な仏像が並び,善男善女が座ってくつろいだり熱心にお祈りしたりしている。ミャンマーはスリランカ系統の上座部仏教だ。仏像も,その周りの装飾もあくまでキンキラキンで,金箔や鏡,色ガラスなどが多用されている。光背がクリスマスツリーのように文字通りピカピカ光って,後光パワーを発しているのもある。顔立ちも荘厳さとか深遠さと言うよりは,親しみやすさ,純朴さと表現した方がいい。温泉地の土産物のような感じと言えば分かっていただけるだろうか。
でも,日本の仏像や仏教建築も最初は派手に彩色されていたらしいので,元々は同じようなものだったのではないか。それがその後の文化史の中で日本的な風土や情緒に吸収されて変容し,様式美にあふれ幽玄な日本的仏教美が形成されてきたのだろう。
その意味ではむしろアジア仏教の派手さの方が原初の仏教的美意識を受け継いでいるのかも知れない。確かにこれだけ蒸し暑くて原色が豊富な自然の中では,微かな陰影や微妙な表情を感じ取る気分にはなれない。はっきりとした極彩色と分かりやすく多様な顔立ち。そういえばアフリカ美術もそうだ。



「ニホンジンデスカ,ドコカラキマシタカ」
やせて小柄な青年が寄ってきた。
海外で日本語で話しかけてくる外国人がいたら,金目当てと思って間違いない。常識だ。
「大阪や」Nさんが答えると,盛んにカタコトの日本語で話しかけながら,僕らのあとをずっと付いてくる。
仏像を見ようとすると勝手に解説する。彼によると塔の周囲の仏像はミャンマーの八曜という民間信仰に根ざしたもので,それぞれの曜日の守護仏となっているらしい。ミャンマーの八曜とはヒンドゥー起源の占星術で,自分の生まれた日の曜日(水曜日は午前と午後に分かれる)によりシンボルの動物,星や方角,性格などが決められている。
ガイド料を取ろうという魂胆が見え見えなので相手にしないでいると,あきらめて離れていった。
この手の人の扱いは難しい。寄ってくる人を余りにも拒否してばかりいると,折角の親切心や交流の芽を摘んでしまうかもしれないし,かといって言いなりになってカモにされるのもごめんだし。
彼は人の良さそうな感じだったけれど,僕らはまだ来たばかりで様子が分からないし,特にに説明してもらわなくてもいいので,悪いが遠慮した。
自分の曜日の仏様にお参りすることにして,Nさんと一旦別れることにする。たが,Nさんがずっと後を付いてくる。
「え,何曜日?」
「火曜日ですけど・・」
「俺も・・・」
火曜日のキーワードはライオン,火星,南東,勇敢,エネルギッシュ,情熱的,高慢,暴力的,粗雑,軍人,兄弟,鋼鉄,武器,だそうな。
俺たちって二匹のライオン?一瞬バチバチと火花を散らす。
因みに他の曜日は
| 月曜日 | 【トラ】 | 月 | 東 | 勇敢だが少々頑固 |
| 火曜日 | 【ライオン】 | 火星 | 南東 | 活動的で正直 |
| 水曜日(午前) | 【象】 | 水星 | 南 | 思慮深く流行に敏感 |
| 水曜日(午後) | 【象】(牙なし) | 水星 | 北西 | 冷静な性格 |
| 木曜日 | 【ネズミ】 | 木星 | 西 | 聡明で優しい |
| 金曜日 | 【モグラ】 | 金星 | 北 | 平和を好み賭け事好き |
| 土曜日 | 【ヘビ】 | 土星 | 南西 | 忍耐強く自立心旺盛 |
| 日曜日 | 【鳥】 | 太陽 | 北東 | 頭脳明晰で贅沢好き |
この八曜はミャンマーの人々の生活に深く関わっているようだ。何日に生まれたかよりも何曜日に生まれたかの方が重要だという。名前もそれに因んで付けられるという。因みにビルマ語で名前のことはナメーと言う。
守護仏に手を合わせ,先ほどのオバハンからサンダルを受け取って外に出る。
入り口で女の子に声をかけられる。彼女の手には籠があり,中では雀が10羽近く身を寄せ合ってうずくまっている。お金を払って1羽逃がしてやると,善行を積んだということで御利益があるというものだ。逃げた雀は子供達に再度捕まえられまた何度も籠に戻されるらしい。
昔千葉県の某温泉ホテルで,南米系の女の子達がサンバショーを踊っていたと思ったら,夜のスナックでも接客をしていて,大変だなあと思った。翌朝コーヒーを飲んでいると何とその子達がウェイトレスをやっていて驚いた。これじゃ三毛作だよ。疲れ果てた顔のその時の彼女らのように,何だか雀たちはぐったりしていた。
今回はここヤンゴンと,マンダレー,バガンの三つの街をまわることにしており,ヤンゴン→マンダレーとバガン→ヤンゴンは飛行機,マンダレー→バガンを船で結ぶ計画だ。この国内便は日本で取れなかったので,現地で航空券を買うことにしている。
スーレーパゴダの周辺には市の中心部だけあって店やオフィスが立ち並び大勢の人々が歩いている。どこかにエージェントがあるだろうと探し歩く。しかし勝手が分からずなかなか見つからない。
MTTという国営の旅行会社は見つけたが,ここは不親切で,扱っている国営のミャンマー航空は安かろう悪かろう,しかもたまに落ちるよ,というものらしい。この2年で4回ぐらい落ちたとの話も後で聞いた。だからパス。
ようやく旅行会社らしい看板を見つけた。中に入ってみると,眼鏡屋だった。しかし奥の方に電話が一台置かれた木机があり,その前でいかにも有能そうな女性が書類と首っ引きで電話している。
電話が終わるのを待って聞いてみる。旅行業務は行っているようだ。まず料金を聞くとマンダレーまで73$,バガンからの帰りの便は72$といわれる。マンダレー航空という民間会社だ。
Nさんは事前にインターネットで入手した料金表をコピーしており,それによると帰りの便は35$となっている。あまりにも違うし,何か店構えが今ひとつ信用しにくい感じなので,一旦やめて,他の代理店に当たってみることにする。
またしばらく探して見つけた店は,わりとまともなオフィスだ。コロンブストラベルという。こちらも有能なヤンエグっぽい青年が仕切っている。聞くと,行き78$,帰り69$だ。やはり帰りが高い。一旦店を出る。
どうしようかと相談しながら,別の通りをうろうろしてみる。
この通りはテレビやラジカセ,カメラ,携帯電話などを扱う店が多く,歩道にはサンダルからおもちゃTシャツなどを売る露天商が隙間なく店を広げている。どこかで見覚えが・・・そうだ秋葉原だ。携帯電話が売られているということは情報統制も緩和されているのかも。
ところで,Nさんは先ほどから辛そうに脂汗を流し,キョロキョロと不安げに視線を泳がせている。その顔が一瞬明るくなった。視線の先は小さな公園で,コンクリートの建物がある。小走りに駆け込むNさん。そう,トイレだ。ベンチで待っていると,やがて穏やかな足取りで戻ってくる。
旅行代理店は見あたらない。もう時間の無駄だし先ほどのコロンブスにしよう,と決め,戻る。
希望の日時を言うと,空席確認の電話をかけ始めた,どうも満席らしい。no problem と別のところにダイヤルするが回線が混んでいるらしくつながらない。
もう何十回もリダイヤルした末ようやく相手が出た。行きは大丈夫だが,バガンからの帰りの便が混んでいて午後遅い便しか取れないと言う。他に飛行機がないし,バスだと一日がかりになるほどの距離だ。やむを得ないだろう。

発券まで20分かかるというので,その間に両替をすることにした。
町はずれに公設の両替所があるとガイドブックにはあった。でも,既に閉鎖されたとインターネットで見た気もする。近くに両替所はないかとその青年に聞いてみた。彼は知らないと言ったあと意味あり気にニヤッとして,スーレーパゴダの方に行けば,と付け加えた。
そう,いわゆる闇両替が黙認されているのだ。でも違法は違法なんだろうから気をつけるに越したことはないだろう。
パゴダ方面へふらふら歩いて声を掛けられるのを待つ。ここに来るときには何人も声を掛けられたのに,いざこちらがその気になると誰も近寄ってこない。ついに一周してしまった。僕がサングラスでコワモテ風だからだろうか。Nさんと少し離れて歩いてみる。
程なく,Nさんにするすると男が近づいてきた。やっと両替屋だ。
両替しそうだと分かると,わらわらと数人の男が近寄ってきて取り囲む。仲間か。僕も近づいてにらみをきかす。どこかの裏小路の店にでも案内されると思っていたのだが,男の一人が腰に分厚い札入れを下げている。この場で両替できるようだ。
20FECを両替したいと言うと,1FEC850Kだという。ドルなら950K。ずいぶん違う。100FEC替えるなら870Kにするとも言う。Nさんが彼らの電卓をたたきながら得意の交渉術を駆使し1FEC860Kで話が決まった。
男はじゃあ16200Kだな,と電卓を見せる。何を言うのやら。先ほどから何度も電卓をたたいているので正解が17200Kと覚えている。電卓を取り上げてそれを示すと,悪びれた様子もなく,ハハハそうだな,と笑う。
財布男が札を取り出し目の前で数え始める。1000K札1,2,3・・・17。500K札1,2,3・・・「ちょっと待った!」Nさんが止める。それ500Kじゃなくて50K札じゃないの。男はあたかも単純な間違いだったかのような顔でにやりと笑い数え直す。
札束を受け取ってNさんが最終確認のため数え直す。5千,6千,7千と声を出して数えると,回りの男たちが3,4,5とか合いの手を入れて邪魔をする。時そばか!と突っ込む。もうお互いに半分遊んでる。もちろん両替する20FECは僕が持っていて,まだ渡していない。
最終確認が済んでこちらもFECを渡し,取引終了。
その場を離れたところで,やはりもうちょっとチャットがあった方が良いなと相談し,まだたむろしていた両替一味のところに引き返す。今度は20$を950Kで両替する。例によって札を数えていると,警察が来るとか言って一人を残しそそくさと散っていった,残った男も何か言っているが,英語が曖昧でよく分からない。これもこちらを焦らせる手口かもしれない。Nさんがガッチリと金額を最終確認し,20$渡す。
まあ色々なテクニックを見せてもらったが,こっちには関西商人の子供がついているんだ。甘く見るなよ。でも実際の相場はどうだったんだろう。比較のしようがない。
旅行代理店に戻って航空券を受け取る。僕の名前がIAMIとなっているのを指摘すると,ああIMAIだと言って笑いながらno problemを連発して書き直す。その間IMAIと何回も声に出してはくすくす笑っている。笑いすぎだ。
昔ユーリ海老原というロシア人ボクサーがいて,世界チャンプになってからユーリ・アルバチャコフという本名に戻した。日本中キョトンとしていた。ぼくは理由がわかった。エビハラという音がロシア語の下品な言葉に近いからだ。大学1年の時に,同じ下宿でロシア語を取っている友達に教えてもらった言葉を覚えていて,推測できたのだ。
IMAIってまさかビルマ語で変な意味ではないんだろうなと憮然とする。
待っている間タバコを吸って良いかと断ると,青年は自分のタバコを差し出し,百円ライターも貸してくれる。ありがたくいただく。このライター,後にNさんのポケットから出てくることになる。無意識とはいえ,この場を借りて僕からも謝っておく。
Nさんの提案で再度ヤンゴン秋葉原に向かう。そこに7年前にロンジーを買った店があるはずだという。
歩きながら,時刻,料金表のコピーを再度眺めてたNさんが,あっ,と声を上げた。バガン→ヤンゴンは35$と思っていたら,それはマンダレー→バガンの料金だった。本当はやはり70$ぐらいするのだ。でも,それを知っていたら最初の怪しい眼鏡屋で買っていたね,結果良しだね,と僕らは自己肯定。
目指すロンジー屋はすぐに見つかった。間口一間ほどの小さな店だ。店内にはガラスケースや壁一面にロンジーを並べている。女店員が3人,奥にじいさんが座っている。ここのは皆男物だという。
二人で物色し,Nさんは紺絣のような柄,僕は赤っぽいチェック柄を選ぶ。1枚2000Kぐらいだ。
普通ロンジー屋では布だけを売っており,別の仕立屋のところに持っていって縫ってもらうと聞いていた。でも,ここのはレディメイドで既に円筒状に縫ってある。
時代はどんどん進んでまんなあ,と驚くNさん。以前来たときは,ここで布を買い,離れた仕立屋まで店員に連れて行ってもらったらしい。女店員の一人が間違いなくそのときの人だという。彼女に7年前に来たのを覚えているか,と盛んに聞くが,彼女は全然覚えていないようだ。ちょっと迷惑そうな戸惑った顔をしている。かまわず奥のじいさんにも,7年前に来たんやで,とにこにこ話しかける。
店を出るとき,じいさんは仕方なく社交的な笑みを浮かべ,Nさんと固く握手をした。

もう昼だ。どこかで食事をしよう。ヤンゴンに戻った夜に一泊する予定の高級ホテル,トレーダーズヤンゴンへ下見がてら歩いてみる。ホテルの向かいに小洒落た店を見つけた。カフェアロマ,ここにするか。
曇りとはいえ30度は下らない中ずいぶん歩いたので,疲れて汗びっしょりだ。吉野家の牛丼は育ちが邪魔をしてまだ一度も入ったことはないが,「つゆだく」という注文の仕方があるらしい。だったら,大盛り「汗だく」ってのはどんなのかな,なんて下らないことを考えながら,店内にはいるとクーラーの冷気で生き返る。
Nさんはクラブサンドとコーラ,僕はホットドッグとタイガービールを頼む。ホットドッグの生野菜がちょっと不安だ。二人で3000K弱。でも現地感覚では非常に高い。
近くの席には暇そうな若者グループがいて,ダベッている。あれは将校クラスの軍人のボンボンかな,と僕。アジアウォーカーのNさんは,いやいやあの顔は中国系だな,きっと金持華僑の坊ちゃんたちだよ,と推理する。確かに他の客もインド系や中国系住民,西欧系観光客ばかりだ。ガラス戸の外では絵葉書売りの小さな女の子がこちらをじっと見ている。


明日は午前中にヤンゴンを離れるし,最後の日もヤンゴンは泊まるだけだ。
今日中にいくつか観光スポットを見ておこう。
まずタクシーでチャウッタージーパゴダへ向かう。タクシー代は言い値700Kを600Kで。
この旅行記では出来るだけ値段を書いておく。ちょっとうるさいけれど,参考にする人がいるかもしれないので。
ただし何年か前は1$400K位だったのが,僕らが得た直前情報では800K,実際現地に着いてみると約950Kとどんどんインフレが進行しているし,物価もそれにつれて上がっている。じゃあドル換算で見るといいのかというと,タクシーなどインフレ以上に値上がりしているようだし,臨機応変に考えてほしい。あくまで2002年8月現在ということで。


丘の麓にチャウッタージーパゴダの入り口はあった。ここは1907年建立,1996年改装と比較的新しいが,巨大な寝釈迦で有名だ。
裸足になって汚れたコンクリートの参道を歩く。両側は仏具などを売る店になっている。広々とした本堂に出ると巨大な仏様が長々と横たわっている。高さ17.7メートル,長さ65.8メートルという。妖しいぐらいハンサムだ。
せっかくなので10K札を寄進してお参りする。10Kって・・1円かよ。御利益は期待薄だな。
建物の壁を見上げると寄進者の名前がびっちりかかれており,日本の人や会社名も寄進額とともにたくさん書かれている。企業の社長さんが25000Kとか意外とみんなケチだ。
足の裏を見にいくため延々と歩いていると,どこからか爺様が湧いてきてNさんを連れて行った。一人戻ってきた彼に聞くと単なるガイド料目当てだったらしい。




超然と物思いにふける仏様を後にして,次はヤンゴン最大にしてこの国を代表するシュエダゴンパゴダへ向かう。タクシー代は500K。
約2500年前に釈迦の聖髪を納めて創建されたといわれ,高さ99.4m,基底部周囲433mの塔は,金箔8688枚,ダイヤ5451個,ルビー1383個が散りばめられている。ダイヤは総計2000カラットを越えるという。ミャンマー人の聖地であり,市民や地方からのお上りさんでにぎわっている。
パゴダはシングッタヤの丘の上にあり,4方向にある麓の入り口では巨大なライオンが2匹ずつ門を守っている。そこから屋根付きの参道が続いている。境内まで一気に上るエレベータもあるようだ。
僕らはサンダルを脱いで幅広い参道の階段を上っていく。両側は例によって仏具やお供えもの関係の店が延々と並んでいる。





境内まで上がると外国人は入場料を1人5$取られ,胸にシールを貼られる。境内の地図も買えといわれる。ガイドブックに出ている案内図とたいして変わらないぺらぺらのものだ。3$だという。いらないと言うと,Donationだからといわれる。Donationて何だっけ。焦って意味を思い出せない。払わなくてはならないのだろうか。迷ったが振り切って離れる。
広い境内には大小の仏殿や仏塔が数十も建ち並び,中心にひときわ高い黄金の塔がそびえている。
磨かれたタイルの上を歩いていると,若い女性が寄ってきてchinese?と聞く。いや日本人だというと,傘いらないか,もうすぐ雨が降るよという。見上げると確かに雲の動きが怪しい。またガイド志望だと分かっているので,雨でもかまわないから,とあしらう。そうか雨が好きなんですか,といいながらずっと付いてくるので,自分たちだけで見たいから,とはっきり言うと,残念そうに離れていった。すると,預言通り突然雨が降り出した。女は怖い。



結構本降りなので,屋根のある仏殿の一つに上がり込んで,雨宿りすることにした。奥に仏像があり何人かがお参りしている。
Nさんがdonationの意味分かりましたで,と手柄顔で言う。寄付とか寄進という意味だそうな。あ,そうだった,思い出した。どうして分かったのか聞くと,黙って仏様を指さす。え,君ってオカルト?と一瞬退いたが,何のことはない,お札がぎっしり詰まったガラスケースの賽銭箱にdonationと書いてあった。
僕らの隣りではアベックが肩を並べている。小さい子を連れた家族連れも雨宿りがてら弁当を広げている。
ああー,と声を出してNさんは床に大の字になり,腹を思い切り出して眠ってしまった。仏様の前で何と不謹慎なとTシャツを下ろしてあげようかと思ったが,腹の出っ張りが邪魔して到底無理だ。絶対バチが当たるよ。
ぼんやり外を眺める。大勢の人がロンジー姿で行き来している。見るからに田舎から出てきたお上りさんグループ。お揃いの衣装を着てなにか清掃道具を持っている人たち,皇居の割烹着奉仕団のようなものだろうか。ここは国中の仏教徒のあこがれの場所らしいから,その意味でも皇居のようなシンボルかも知れない。そういえば,ここでスーチー女史が最初の演説をしたという。
目の前の祠では数人の男が仏像を丁寧に磨き続けている。隅にある仏像にはお坊さんが飽きることなく水をかけている。



雨が小降りになったので,ようやく目を覚ましたNさんと外を歩いてみる。タイルが水浸しで生暖かく,裸足の感触が気持ちいい。プールサイドを歩いているようだ。
ひととおり見て歩くと,ご詠歌のように歌って祈る集団や,地方から到着したばかりの団体客が声を張り上げるガイドの説明に集まっていたりして賑やかだ。
写真を撮りたかったが,入場料を払ったところにカメラ撮影料3$と書いていたとNさんがいうので,こそこそ見つからないように写す。というのも,制服を着た警備員らしき人が結構歩いていて,気になるのだ。ところが僕らと同じシールしか貼っていないオッサンが一眼レフでばしばし撮っているのを見つけて杞憂だったと感づき,こちらも遠慮なく撮る。






Nさんが脂汗を流している。そう,トイレだ。境内をあちこち探すが見つからない。下に降りたらあるよ,と励ましながら,参道を降りる。彼は心なしか内股で歩いている。ようやく下界にたどり着き,エレベーター乗り場にトイレがあると聞いたとたん,小走りに駆け込んでいく後ろ姿。僕は仏様のような慈愛に満ちた眼差しで送る。
やがて悠然たる態度で戻って来たNさんと話した結果,歩いてホテルに帰ることにした。地図によるとここから意外と近いのだ。
しかし,問題が発生した。参道は4方向にあってどれも同じような感じなので,今降りてきたところが何処の出口なのか,ガイドブックの地図と見比べても判然としないのだ。
僕らのすぐ横にしゃがんでいた3人の子坊主に,Nさんが地図を見せて聞いてみる。まだ幼稚園児ぐらいだろうか,つるつる頭で僧衣がかわいらしい。怖いオジサンに声を掛けられて怯えた笑いを浮かべながらも健気に地図を見ているが,何を聞かれているかも分からないようだ。それを見かねて近くにいた男が教えてくれる。ホテルへの道は,目の前の道路を渡り,この出口から真っ直ぐ続いている道だと言う。
道路を渡ったところに Happy World と書いた看板があった。遊園地のようだ。ちょっと寄ってきますかとNさんが言うので,恐る恐る入ってみる。入り口にはなぜか軍服姿の係官がパイプ椅子に座っていて,入場者をチェックしている。地元の人は入場券を買って渡しているようだ。僕らが勝手が分からないまま近づいていくと,何で外国人がこんなところに来るんだ,みたいな顔をして,しゃあないなあ行け行けと,通してくれた。
ベトナムでも同じようなことがあったな(ベトナム旅行記参照)。単に外国人に説明するのが面倒くさいのか。それとも成りのいい外国人ならただで入れても箔がつくから,という姑息なクラブみたいなことなのか。きっと後者だろう,うんうん。
中は薄汚い20年前のゲーセン,といえばイメージが伝わるかも。若者たちが楽しそうに打ち興じているのは,コンピュータゲームが出回る前の,コイン落としとか,パンチングゲームとか,腕相撲とかモグラたたきみたいな古い日本製のゲームだ。若い坊さんも夢中で遊んでいる。いいのかな。
ガラス張りの部屋があってその中ではカラオケを熱唱している。聞いたことがあると思ったらサザンの曲だ。一番奥にはゴーカートがあってカップル同士がガンガン車をぶつけ合って騒いでいる。
チャチだけど何だか楽しくなってくる。
あ,食堂がある。外から覗くとビールを飲んでる人もいる。僕はNさんに子犬のような懇願の目を向ける。ビール飲みたい。
「あきませんって。歩けなくなりますって」
しょんぼりする僕を尻目に,Nさんは売店でミネラルウォーター仕込む。



意外な拾い物をした気分で外に出て,ホテルへ歩き出す。
だが,どうも道が違うような気がする。そこで,なるべく頭の良さそうな奴を選ん聞いてみることにした。
いかにも目の表情に知性がほとばしる青年が歩いてきた。再度地図を見せて確かめる。
案の定この道ではなく,パゴダ入り口の前から別の方向へ行け,と流ちょうな英語で明確に教えてくれた。さっきのオヤジは何だったんだ。
ぶつぶついいながら教えられた道を歩く。正しい道ならば,人民公園という大きな公園が右手に現れるはずだ。だが,なぜか左手に公園が広がっている。おかしいな,さてはあいつ似非インテリじゃないの,とNさんが不安がる。その時ぼくはハッと思い出した。ハッピーワールドの敷地内にゲ−トがあり,ハッピーワールド2と書いてあったのだ。きっとそこだよ。不安を抱えながらしばらく歩くと公園内にハッピーワールドと書いた看板が見えた。思わず手柄顔の僕。
さらに歩くと広大な人民公園が右手に見えてきた。塀の向こうにはプロパガンダらしい看板や本物の巡洋艦が展示されているのが見える。
大きな交差点には信号があり,詰め所のようなところで数人の警官がたむろしている。手動切り替えかもしれない。
しばらく歩くと左手に目印にしていたサミットビューホテルが現れほっとする。
そのホテルの看板に,8月のスペシャルディナーの案内が書かれている。安い。今夜はここにしよう,と衆議一決。
ホテルに戻る前に,雑貨屋でビール,コーラ,それと歯ブラシを買う。ミャンマーでは高級ホテルでも歯ブラシとカミソリは置いてなかった。はにかむ店員の女の子の笑顔が微笑ましくて,一日の疲れを吹き飛ばしてくれた。



ホテルは極楽だ。クーラーが効いた広い快適な部屋で冷えたビールを飲むと,もう安宿の旅行は出来ないかもしれないと思ってしまう。
しばらく休んだあと,重い腰を上げて夕食に出る。先ほど見つけたサミットビューホテルだ。
街灯がほとんどない甘く暗い夜道を歩く。懐かしい闇。子供の時の夏祭りに向かう道。その闇と土の感触。
大使館なのか,所々の門の前で軍服の警備員が機関銃を抱えている。こちらには向けないでよ。
サミットビューホテルの前の道路には多数の車が駐車している。検問でもしているのかな。玄関へのアプローチにも高級車や軍用トラックが並んでいて,何だかものものしい。VIPでも来ているのかもしれない。
ロビーではビルマ音楽の楽団が演奏をしている。歓迎レセプションだろうか。
食事はビュッフェ形式で,アジア各国の怪しい食べ物がたくさん置いてある。スープが異常にうまい。それと鶏の味が違う。本当の地鶏の味だ。もちろんミャンマービールを賞味しながら味わう。Nさんはコカコーラ。
僕ばかりが酒を飲んで,割り勘ならNさんがかわいそう,と思う人が1万人に1人ぐらいいるかもしれないので言っておく。たとえばこのレストランではビールが1.68$に対しコカコーラは2.5$高級品なのだ。そこら辺の店で缶を買っても,ビール,コーラどちらも500K位。誤解しないように。
結局料金は二人で15$だった。



満足してホテルに戻る。
それぞれ今日買ったロンジーを着てみる。ガイドブックを見ながら何とかまねしてみた。しかし特にお腹の所の結び方がよく分からない。あれこれ試して鏡を見ても,どうもしっくり来ない。そのうち根本的な原因が判明した。ミャンマーの人は例外なく皆やせているのだ。僕らのように腹が四六時中膨らんでいる人,要するに中年太りの人間が着ても全然似合わないのだ。

シャワーを浴びて,僕はスカッチNさんがコーラを飲みながら,四方山話をする。
Nさんが親孝行した話に,自分のことのように涙ぐむ。
窓の外ではミャンマーの夜が優しく更けて行く。