11月26日(木)
 朝8時に広尾の寮を出ると快晴である。さあ、今日から九州の旅だ。
 研修のカリキュラムの中にゼミ的なものがあって、その一環で先進的な取り組みを行っている都市でのヒアリングが課せられている。もちろん調査先の選定に関しては教官から厳しいチェックが入り、何故か沖縄と北海道は無条件に禁止されている。どうしても観光的に見られるのを恐れているのだろう。
 沖縄は分かるが、北海道がそのように見られるのは何か釈然としないものがある。でもこちらの人にとって北海道はやはり何より観光地なのだろうな。
 あらかじめ言っておくが両市への調査は大変実りあるもので、実際に会って話を聞かなければ分からない裏話や微妙なニュアンスなど、貴重な情報を得ることが出来た。ここではその話はしない。
 さて、順調なフライトののち福岡空港から地下鉄で博多駅、新幹線で小倉駅と乗り継ぎ昼頃には駅の地下街で昼食を食べていた。メニューにはウニ料理が多い。壱岐の島が名産らしい。当然高くて手が出なかった。
 地上に出ると、頭上をモノレールが走っている。
 以前はJR駅から400メートル歩かなければ乗れなかっただが、今年工事が完成して駅への乗り入れを果たしている。
 ここのモノレールは交通計画上有名なところで、せっかく道が混んでいるからとモノレールを作った時に制度の関係で下の道路を大幅に拡幅したため、結局道路の方がスイスイ流れるようになり、モノレールにはあまり乗らなかったとか、JR駅への直結も駅前の商店街が反対して(その間地上を歩けば客が入るだろうという思惑で)実現しなかったが結局そんなに商店街の客は増えなかったり、有り体に言えば全国の関係者にとって反面教師になっていたのだ。
 しかしめでたく乗り入れも果たし、地下鉄がない北九州市の基幹交通となっており、乗車人員は伸びているという。
 駅から長く続く商店街を歩いた印象は、北九州って地方都市的だということだ。僕の生誕の地室蘭にどことなく似ている。昭和38年に5市が合併して出来たせいで、未だに都心部への経済的集中がなされていないためだろうか。
 調査を夕方に終え、小倉城へ 寄ってみる。
 ここは1569年毛利氏の築城に始まり、熊本に転封される前の細川氏、小笠原氏と城主が変わり1837年天守閣焼失、維新前には長州藩預かりとなり、昭和34年に復元されたものである。
 お城を見るのは別に趣味とかではないが、結果的に今まで随分見てきた。昔のまま残る姫路城とか彦根城とかはある種の情念みたいなものを感じ、心を動かされるけれど、復元ものは中に入ってもどこも同じパターンだ。下層は展示スペース、最上層が展望所兼おみやげ売場。小倉城も例外ではない。
 小倉城で面白かったのは大名駕籠に体験乗車出来ることだ。胡座をかいても意外とゆったりしており、電動でゆらゆら揺れる仕組みになっている。へえー、駕籠に乗るってこんな感じか、とちょっと殿様気分になった。池波正太郎の時代小説で駕籠の場面があったら、きっとリアルな感覚で読めるだろう。
 小倉から新幹線で博多まで帰る。
 言い忘れたが今回の調査は3人で来ている。福島と仙台の人だ。
 福岡はスーパーホテルというビジネスホテルを予約しており、地下鉄で2駅の呉服町という場所にあってちょっと遠い。どうしようかと相談の上、歩くことにする。
 福岡は都会だ。北九州から来るとよけい感じる。札幌に似ている気がする。
 2キロ近く歩いてホテルへ向かうべく華やかな駅前通りからはずれると一転して古い商店や事務所が混在する佇まいとなる。お洒落な女の日常生活を垣間見たような感じがした。
 その一角にスーパーホテルがあった。フロントには自動チェックイン機がありお金お入れるとレシートが出てきて、そこに部屋番号と暗証番号が書いてある。エレベータで部屋に行くと東京以南のマンションのように外に吹きさらしの廊下にドアが並んでおり、それぞれのドア横にテンキーが付いている。ここで先ほどの暗証番号を打ち込むと鍵が開く仕組みだ。つまり徹底的に人件費やキー管理などの経費を節減して部屋代を抑える、ていうか利益率を上げるシステムのようだ。なるほどね。全国展開を始めていて急成長らしいからそのうち札幌にも出きるかも。部屋は変哲もないビジネス仕様だった。
 福岡の食べ物と言えば何か。実はモツ鍋の伝統があるらしい。
 数年前全国的にブレイクしたおりには、有志によるススキノ彷徨の末、楽しくいただいたことを思い出す。その後いつともなくブームは去り、巷から姿を消したが、ここ福岡では元祖としての伝統をしっかり守ってたくさんのモツ鍋屋があるという。
 福岡市の人間から事前にホテル近くにあるお勧めの店を聞いており、すき腹をなだめて夜の街に繰り出した。
 ところが教えられた場所に行ってもそれらしき店が見あたらない。コンビニやたばこ屋など何軒か聞いたが知らないという。しょうがないから別の店に入ろうかとも思ったが最後に大きな雑貨屋のお姉さんに聞いてみたら、知ってるという。あそこを真っ直ぐいって信号を左に行けばすぐ分かりますよ、という趣旨の博多弁の指示に従い、行ってみた。でもそこには普通の居酒屋があるばかり。
 変だなあ、まあ諦めるか、とその雑貨屋の前を再び通りかかると、お姉さんが走り出てきて、「なかったでしょう。そういえばあの店は駅前に移ったんだった」という意味の博多弁で謝ってくれた。どこかおいしい店とかないでしょうか、と聞くと、奥から別なおばさんが出てきて、「取材拒否の頑固な親父がやってるモツ鍋屋が近くにあるよ」と博多弁で教えてくれ、地図まで書いてくれた。
 そこへ行くと木造2階建てのぼろ屋に「モツ鍋専門みやもと」と書いた看板が控えめに掛かっている。引き戸を開けて中にはいると、婆さん二人が迎えてくれた。
 メニューはモツ鍋オンリー。安食堂のようなテーブルに腰を落ち着け、とりあえず3人だから5人前たのむ。もちろんショーチューをボトルで。
 鉄鍋に味噌味のたれであらかじめ煮込んだモツが入っており、そこにニラの束をどさっと乗っける。確かにタレの味は微妙で力強く、それに負けないようにちょっと歯ごたえのあるモツがニラの風味と解け合ってピンポイントのバランスを保っている。あっと言う間に平らげてしまい、さらに5人前たのんで婆さんに呆れられる。焼酎のお湯割りがまた合うねえ。モツがあらかたなくなると今度はキャベツと豆腐を持ってくる。味が浸みてドンドン食べさせられてしまう。婆さんによるとキャベツはタレが甘くなってしまうので好みでどうぞとか。テーブルには鷹の爪を砕いたのが置いてあり、タレを辛くするのがこちら流らしい。最後はチャンポン麺と言ってラーメンの縮れてないやつを入れて締める。
 これらを堪能していると、でっかいお相撲さんが入ってきた。何と貴ノ浪関だ。付き人を二人連れている。福岡場所のあとこれから九州巡業が始まるため、お相撲さんたちはまだ福岡でうろうろしているらしい。彼らはツイと奥の座敷へ入っていった。馴染みなんだろう。
 大満足してほろ酔い加減。福岡の夜と言えばやっぱ中州だね、と満場一致し、トレーナー1枚でもちょっと暑苦しく感じる気持ちのいい夜道をそぞろ歩く。今頃札幌は雪かなあ、と思ってるうちに中州への橋にさしかかる。
 中州は言ってみれば薄野のようなものだけれど、水辺の美しさ、ネオンが川面に反射して気持ちが叙情的になることと、屋台が立ち並んで親密な雰囲気が漂うところが大きく違っている。橋の上で歌っている兄ちゃんにチップを放り込み、僕らは中州の奥深く引きずり込まれていった。

11月27日(金) 
 目覚めると空がどんより曇っている。このホテルはコンチネンタルスタイル(パンとコーヒーだけってことね)の朝食がセットになっている。ロビーに降りると既に時間が過ぎていて食べ損ねてしまった。
 天神にある福岡市役所に早めに行き最上階の喫茶店でモーニングセットを食べる。窓からの眺めは遠くに山並が見えこちらにビル街が広がっており、札幌に本当に似ている。
 午前一杯の仕事を終え、昼飯は市役所近くのラーメン屋「一蘭」てとこ。ここも奨められたところだ。
 チケットを買って店内に入る、カウンターオンリーで、何ていうかなあ、そうだ、保健室にあるサナダムシの標本のような形に配置されている。でカウンターに座る。隣との間には衝立が立っている。ちょうど選挙の時投票用紙に記載する場所のような感じ。食べているときに隣の人が見えないようになっている。ちょっと孤独だ。目の前には赤い暖簾がかかっている。カウンターの中は一切見えない。その暖簾にこの店の由来からシステムの説明から食べ方まで事細かに書いてある。
 まずカウンターに置いてあるアンケート用紙のようなものに記載しろとある。見ると麺の硬さやニンニク、ネギを入れるかスープの辛さはどうかなど、7項目にわたって好みを書くようになっている。これと一緒に食券をカウンターに置き目の前にあるボタンを押すと暖簾の下から手だけがにゅっと出てきて注文完了となる。
 出てきたラーメンは豚骨ベースのしょうゆ味で麺が非常に細い。博多ラーメンというとこってりとした白濁スープに紅生姜というイメージを持っていたが,違うのだろうか。おいしい。が、細い麺はズルズルとたちまちなくなってしまう。食券販売機に「かわり玉」があったがまさか2玉も食えないと思って買わなかったのだ。ふと割り箸の袋を見ると、メニューが書いてあり、それに○をつけて現金とともにカウンターから注文できるみたいだ。このー商売上手っ。早速かわり玉を注文する。
 満腹して外に出る。感想その1、何だかブロイラーになった気分だった。その2,僕は札幌ラーメンの方が好きかな。ていうか,食べなれてるせいかな。
 この店は有名店らしく,後日TVで紹介されていた。
 博多駅から、資料とかスーツとか革靴とかすべて宅急便で送り返した。そうなのだ。本当は今日で終わりのこの調査旅行、でも明日あさってと休日なのだよ。ぱらつきそうな空の下、僕らは熊本行き特急ツバメの車中の人となった。
 熊本駅のすぐ横にあるニューオータニが今夜の宿だ。客はまばらで、それぞれツインの部屋に案内される。いいホテルに来ると、どうしてベッドに飛び込みをしたくなるのだろう。ツインだから2回も飛び込んでしまう。つらつら部屋の観光案内とかをめくる。そうか、熊本といえば馬刺ね。なるほど。
 その前にまず熊本城は押さえなくちゃね。
 駅前から電車に乗る。お城の近くが中心街らしい。
 熊本城にはいると雨が本降りになってきた。雨で頭を垂れる木々に守られながら歩く。武者返しで有名な石垣の雄大さと敷地の広さが印象的だ。天守閣まで石垣の谷間を上っていくと、売店があり、たまらず傘を買う。
 ここは加藤清正が1601〜07年に築き、32年以後細川氏54万石の居城となった。高く堅固な石塁上に黒い板張りの櫓(ヤグラ)や塀がそびえ,名城とうたわれたが,西南戦争,第二次大戦で大部分焼失。天守閣は1960年復興された。明治10年の西南戦争前に多くの写真が撮られており、復元の確度は高らしい。時間が遅かったので天守閣しか見れなかった。
 外に出ると、雨がやんでいる。傘が無駄になった。
 夕飯にはまだ時間があったので、お城の近くのアーケード街を歩く。この辺りを宮崎美子も歩いていたんだなあ、と端から端まで歩く。
 すっかり暗くなってネオンが目につきだす。アーケードからはずれても飲食店などが随分あり意外に広がりがあるようだ。
 とにかくお馬ちゃん今行くからね、とお目当ての店を探す。同行者が持っているガイドブックに載っていた店で「らむ」という所だ。
 すぐに見つかった。意外と小体でこぎれいな店だ。まず馬刺を賞味。馬は体温が高く、寄生虫はほとんどいないという。うーん、しっとりとしてモチッとした歯ごたえがあり、赤身のあっさりとした旨みと脂肪の上品な後味が生姜の香りの中で溶け合っている。次はどれにしよう。何でもここは桜納豆の元祖だという。桜納豆というのは馬刺のタタキに納豆をまぶし梅と浅葱を配したものだ。焼酎のお湯割りをぐいぐいやりながら、これもいただく。ちょっと納豆がくどい感じだが、梅と桜の競演は雪に埋もれた札幌の春を待つ心を思い起こさせる。メインは馬肉の焼き肉。霜が縦横に貫入したお肉は柔らかくて癖がなく、いくら食べてもジンギスカンのような飽きが来ない。後味もいい。お馬ちゃんありがとう、しっかり味わったからね。お金もたくさん払ったからね。6千円近くとられてしまった。
 まだ時間が早い。適当に居酒屋を選んで飲み直す。あくまで焼酎にこだわる。先ほどの店でもそうだったが、球磨焼酎のイメージが一新された。球磨焼酎は蒸し米、麹とも玄米を用いるもので、お土産でもらったりしたものはかなり癖のある飲みづらいものだった。しかし当地で普通に飲まれているのは香りよく喉ごしよく、スイスイ飲めてしまう。
 店が立て込んできて場所の移動を頼まれたのを潮にお開きにする。勘定で一人何百円かの端数が出たのを、場所の移動をお願いして申し訳なかったから、と言ってまけてくれた。熊本はいいところだ。
 まだ10時前だ。同行の2人はさらに夜の熊本を奥深く探訪すると言う。僕は遠慮してひとり電車で帰る。
 ホテルの窓からは熊本駅が目の前に見える。そろそろ行き交う人も少なくなってきたようだ。
 シャワーを浴びて広すぎるベットに潜り込むと、単純で幸せな気分になった。

11月28日(土) 
 さすがに1流ホテルは朝食もうまい。一転して快晴の日差しを左斜め前35度から受けながら、香ばしいパンをちぎる。同行者も降りてきた。フレッシュジュースを流し込んで昨夜の”その後”を聞く。何でも恐ろしい妖怪に会って這々の体で逃げ帰ってきたという。道理で浮かない顔だ。
 今日はレンタカーで阿蘇に行く予定である。
 駅前の営業所で車を受け取り、朝日がまぶしいバイパスをどんどん走る。遠くに霞んでいるのは、あれが阿蘇の山並みだろうか。
 しばらくするとワインディングロードとなり標高を稼いでいく。外輪山を越えたあたりで有料道路となる。
 外輪山に囲まれたカルデラは東西約18キロ,南北約24キロで世界最大の規模という。次第に風が冷たくなってくる。標高千メートル以上だもの。
 草千里に着く。ここは元の火口の一つで直径1キロの窪地がきれいな草原となっている。夏には放牧が行われ、緑の絨毯と2つの沼、草を食む馬たちが一幅の絵画となる名所だ。でも、今は冬なので沼は干上がり一面枯れ草色となっていた。
 実はここに一度来てみたかった。というもの詩人の三好達治が草千里の詩を書いており、好きだったから。中学校ぐらいの時からしばらく、詩が大好きだった、という恥ずかしい暗い過去があるのだ。もっとも好みはどんどんかわり三好達治から八木重吉、朔太郎、伊東静男、ヘルダーリン、ジョン・ダン、エリオット等々と節操なく、漢詩に行って和歌に行って道に迷って今に至る。
 山頂を目指す。
 火口を目前にしたロープウェイ乗り場で降りると、火山ガスのため今日は展望所への立入は禁止となっていた。残念だがやむを得ない。
 ほんのり漂う硫化硫黄ガスのにおいを嗅いでから山を下り、草千里近くにある阿蘇火山博物館に行ってみることにした。
 入場料は840円とこの手の観光地博物館にしては高いなあと思った。しかし、展示はかなりの水準だった。阿蘇はもちろん、世界の火山情報や溶岩などの実物を通して体系的に展示されており、飽きない。
 阿蘇火口に設置されたカメラでリアルタイムの画像も流している。そのうち一台は遠隔操作で方向やズームなど誰でも操作できるようになっている。火口の湯だまりがもうもうと水蒸気やガスを噴出している様子が大スクリーンに映し出される。最近また火山活動が活発化しているらしい。
 またマルチスクリーンの劇場があって、阿蘇の歴史や生活などをまとめたフィルムが上映されている。それによると、既に縄文時代から阿蘇の火口原に人々が暮らしていたらしい。
 十分堪能して外に出ると、草千里がまぶしく輝いていた。
 次は阿蘇ファームランドに向かう。
 ここは外輪山のちょっと内側、有料道路に入る手前に位置する自然テーマパークである。100万uの敷地に牧場や農場、自家製の農産物や乳肉製品、あるいは工芸品の直売店などが並んでいる。札幌サトランドのでっかいものと思えばいいかな。温泉やアスレチック、動物園からパターゴルフ場まである。
 しかし、我々の目指すところは日本最大の地ビールレストランと称する阿蘇ビール園だ。内部は札幌ビール園のような感じだが、カフェテリア方式で各自好きなものをトレイにとって精算する仕組みだった。牛丼とステーキとサラダとスープ、と取っていくと、すぐに2千円を超えてしまう。全部自家製の肉らしいがそんなにおいしくはなかった。大量供給だから仕方ないか。
 もちろんお目当ては地ビール。カウンターにドイツの居酒屋やイギリスのパブで見かける陶器製の太いレバーが立っており、これをぐっと押し下げてビールを入れてくれる。
 地ビールに旨いもの無し、とは僕の格言である。ぐっとメニューを睨んでペールエールというのにする。パンフレットによると「英国風の淡色ビール。発酵の後段階でホップを再度投入し、その香りを十分溶け込ませた香り高いビール」だそうだ。他のは黒ビール系統か蜂蜜やらハーブやらを混入したもので、これが一番まともそうだったのだ。
 これは結構おいしかった。今まで飲んだ地ビールの中でも相当上位にランクで来ると思う。酵母がまだ生きているような舌触りで、後味がほんのり甘い。本当はもう一杯(以上)飲みたかったが、運転者に悪いのでやめておいた。
 飛行機の時間までかなりあるので、それぞれ2時間ほど単独行動をとることとした。
 僕は早速温泉に直行する。露天風呂がいくつもあるという。入浴料を払い、タオルを買って、早速露天風呂に行く。風がかなり冷たく裸だとぶるぶる震えが来る。いくつかある小ぶりの露天風呂に次々と入ってみる。だが周りは塀や植栽がしてあって阿蘇の山並みは見えない。入り口には阿蘇の大自然を眺められるとあったので楽しみにしてきたのだ。
 露天風呂のある位置はちょっと小高い丘の上で、丘の先の方に道が続き、突端にはパルテノン風の列柱が配されている。ということはあの道をあそこまで行けば露天風呂に入りながら眺望を楽しめるのかな、と歩いていく。ありゃ。風呂がない。デッキチェアが何基か並んでいるだけだ。うう寒い。やむなく引き返す。何かだまされたような気分だ。
 それででも熱めの露天風呂に浸かって十分からだを暖め、先まで歩いてデッキチェアーに寝てみた。風は相当冷たいが、日差しは強く、眼前には阿蘇の山々が大パノラマを作っている。誰も来ないのをいいことにタオルもとって素っ裸で目をつぶってみる。阿蘇の大自然に包み込まれるような、心の深い場所が静かになるような、何とも言いようのない気持ちよさだった。
 10分ばかりもそうしていたろうか。ふと、俺はいったいなぜ九州でフリ○○で寝ているんだ、と思ったとたんに寒くて震えだした。引き返してゆっくり風呂に浸かり、外に出る。
 まだ時間があるので直販店をつらつら眺めて歩く。そうだ、風呂の後は当然コーヒー牛乳だ。絞りたてを使っているというコーヒー牛乳はもー冷たくてもー甘くてもー濃厚で、思わずもーもー啼いてしまった。
 熊本空港は阿蘇と熊本市街の中程にある。空港の最寄り駅はJR肥後線の肥後大津駅だ。
 ここで僕は車から降りた。そう。他のメンバーは帰るけれど僕ひとり更に九州の旅を続行するのだ。俺ってお莫迦さんなんだろうか。
 肥後線は全くのローカル線であり、肥後大津駅もまさに田舎駅だ。線路上をわたって駅舎と離れたホームに停まっているワンマン列車に乗り込む。午後の緩んだ日差しの中を各駅停車でゆっくり熊本駅に向かう。
 途中に武蔵塚という駅がある。それで分かった。阿蘇への道沿いに武蔵屋とか武蔵蕎麦とか武蔵を冠した店がいくつもあった。もしかしてと思っていた。駅に説明板があり、やはりここで剣豪の宮本武蔵が生涯を終えたという。
 司馬遼太郎に実録宮本武蔵という本があり、それで武蔵の晩年のことを読んだ記憶があった。宮本武蔵といえば吉川英二の大著が有名で僕も読んだ。これで高揚した武蔵のイメージを司馬の本で現実に引き戻された。もしこれから読んでみようという人は読む順番を間違えない方がいいだろう。
 熊本駅に降りると折良く次の目的地への特急列車が発車を待っていた。すぐに飛び乗る。鹿児島行きだ。
 九州は実は2回目だ。去年初めて九州の地を踏み、大分、佐賀、長崎と横断した。今回はこれで福岡、熊本、鹿児島と縦断することになる。
 次第に暮れていく車窓から海とその向こうに蜃気楼のような天草諸島が見える。そのうちすっかり暗くなり窓に映る自分の顔を通してたまに民家や街の灯が見え隠れするだけとなる。車内に目を戻すと蛍光灯の下で皆黙りこくっている。
 西鹿児島駅に列車は滑り込む。鹿児島駅もあるのだが、西鹿児島の方がメインらしい。この列車もここが終着駅だ。
 駅前に降り立つ。もう8時近い。一つ深呼吸すると何とはなしに夜の空気に甘みがあるように感じた。南に来たんだなあ。
 駅前通りはナポリ通という。バース通というのもあって、何のこっちゃと思ったら、あとで気が付いたが多分鹿児島の姉妹都市の名称だ。ところで、福岡の駅前通りを歩いているとやはり姉妹都市のエンブレムを彫った車止めの石柱がいくつかあり、そこには「ボルドー」もあった。ワイン好きの諸兄姉殿、福岡侮り難し。
 ホテルはナポリ通からちょっとはいったところ、西鹿児島駅から5分ぐらいの所にあるガストフホテル。インターネットで探したところだ。便利になったなあ。
 チェックインして驚いた。ビジネスホテルなのだけど、内装から調度までアンティークでそろえているのだ。ドイツあたりの伝統的な小ホテルそのものといってもいいだろう。木のドアを旧式の真鍮の鍵をガチャガチャ回して開けると、これまたアンティークな机とイス。腰の高さほどもある分厚いマットのベッド。なかなかのものだ。ベッドにデイバッグを投げ出しすぐに外出する。
 といっても、鹿児島市内の地図は持ってないし、ホテルにも置いてない。それでも、フロントには駅周辺の地図とお勧めの店を記したコピーがあった。裏には天文館という地区の詳細図がある。フロントに人がいなかったので、さっぱり分からない。
 まあ、とにかくぶらぶらしてみようと駅方面に向かい、居酒屋系統を探す。しかし何かぴんと来るも店がない。
 そこで、駅を背にして右と左に続く大きな電車通を見渡し、野獣の勘で左に決める。
 途中、川があって橋に何だか偉そうな人の立像がふんぞり返っている。道ばたに周辺地図を記したボードがあった。それを見るとこのまま行けば天文館というところに行けるみたいだ。じゃあ行ってみようじゃないの。
 1キロほども歩いたろうか。繁華街らしきネオンの一群が見えてきた。電車通りと直角にアーケード街がある。そこが天文館通だった。とりあえず、目星をつけながら端から端まで歩く。裏道も覗いてみる。かなりの人通りがあり、客引きもちらほらいる。
 心を決めて、電車通との交点にある居酒屋に入る。「甚兵衛」という店で、本店という表示から判断し、チェーン店や(つぼ八もあった)他の町の料理屋ではなく(函館料理屋もあった)、地元の店だろうと踏んだのだ。
 とんとん、と地下への階段を下り、暖簾をくぐるとカウンターに通される。鹿児島といえば黒豚。そこでトンコツ(骨付き肉を味噌味で煮込んだもの)と薩摩揚げをたのみ、酒はもちろん薩摩焼酎。「田苑」という銘柄でクラシック音楽を聴かせて醸成したという。驚くことに焼酎は380円で飲み放題という。デンとボトルが置かれる。
 面白いのはグラスに目盛りが3つ刻まれておりそれぞれ7:3,6:4,5:5とふられている。そう。お湯と焼酎の比率だ。当然5:5のお湯割りでいただく。僕は豚肉も薩摩揚げも大好きなので、ひとりでうれしがって食べかつ飲んでいた。
 はああ、鹿児島まで来ちゃったぜ。
 隣では年輩のおじさんが2人ワーワー話していた。しばらくするとそのうちひとりが帰った。残った方はまだ焼酎をちびちびやっているが、かなり聞こし召しているようだ。話しかけようかなとも思ったが、もうそろそろ帰る気配に見えたので止め、例のコピーをじっくり見ていた。
 すると突然、いいものを見てますね。とその人が話しかけてきた。それをきっかけに鹿児島のことや札幌のことなど何だかんだ話して盛り上がった。
 やはり天文館(昔薩摩藩の天文観測所があったという)というのが鹿児島市の中心部で、今飲んでるこの店の位置がまさに中心中の中心だという。通りに日本と韓国の小旗が並んでたくさん掲げられていたのは、日韓閣僚会議が開かれているそうだ。このところニュースを見ていないので知らなかった。また薩摩焼きが朝鮮半島からもたらされてから今年で四百年を迎えるなど大変盛り上がっているそうだ。
 そのおじさんは五十がらみぐらいで、名前もいわず職業も明かさなかった。生まれも育ちも鹿児島という。あなたみたいに標準語はしゃべれない、という意味のことを薩摩弁で言ったりした。単なる遊び人と称し、ボーリングと北島サブちゃんをこよなく愛しているという。ただ、「こちらへは公務で来たの?」という台詞から、ははーん公務員関係かな、とは思った。僕ももちろん単なる旅人ということにしておいた。
 こうやって知らない同士が飲んでまた別れるというのはいいなあ。とか最初のうちは言ってたのが、次第に気に入られてしまい、ちょっとここのお姉さんたちともう一軒行こう。と誘われてしまった。もうお金の心配なんか一切させんから。というので、人柄は見切ったし、好意を無にしたくなかったので連れて行ってもらうことにした。
 店の外で待っているとお姉さんが二人出てきた。四十代半ばぐらいだろうか。
 言われるままに焼き鳥やみたいところに入り、また楽しくお話をする。この三人はよくカラオケやボーリングなどで一緒に遊んでるとのこと。
 一人はあそこの店の店長格で国生さゆりの親戚とか。ちょっと似てるかな。もう一人は自称妹分とのこと。
 話すうちに、もしご迷惑じゃなかとでしたら、名前とか教えてくれんとですか、と言うから、北海道の人はみんなオープンマインドだよー、と自慢した手前、名刺を上げてしまった。お姉さんたちも律儀に住所と名前を教えてくれた。
 自分たちの店に誇りを持って働いているみたいで、たくさんある店の中から甚兵衛を選んでくれて、しかも滅多に店に来ないそのおじさんがたまたま隣だったるなんて、何かの運命やろうねえ。本当に今井さんいい人たちと出会ったと思うよ、としみじみ言っていた。
 彼女らも本当に人柄がいい。彼女らから店のバックにはコカコーラがついていることや、おじさんが実は公立の女子高校の事務官だということを内緒で教えてもらった。
 12時を回ったので帰ることにする。みんな西鹿児島方面なので一緒に歩くことにする。でも妹分の方はちょっと別の所に自転車を置いていて取りに行かなければという。
 みんなでそちらに歩いていこうとすると、国生さゆり似の方が突然立ち止まって、「私らはいいけれど、今井さんこんなに振り回していいんやろうか。知らんうちに迷惑かけてんやないやろうか。早くひとりで帰りたいんと違うやろうか。」と、真剣な顔で言い出した。他の二人も、そうか、という面もちで僕を注視する。一緒に歩きたいから全然かまいません、こちらこそ邪魔でなければ、と言うと、ようやく安心してみんなに笑顔が戻った。純粋な心を持った人たちだなあ、と密かに感動してしまった。
 気持ちのいい夜風をあびながらおしゃべりをして、ホテル近くまで送ってもらった。
 いい夜だった。

11月29日(日)
 寝ぼけ眼でベッドから降りようとすると、あれ、足が床に届かない。うわっとっと。異常に高いベッドのせいで股裂き状態になり、一気に目が覚めた。
 シャワーを浴びてチェックアウトし、駅前にある観光案内所に行ってみる。今日も快晴だ。ただで観光ガイド付きの地図をくれた。これがコンパクトにまとまっていてわかりやすく、大きな地図もついている。非常に役に立った。
 つくづく思い出すのは鎌倉の案内所で400円も払わされた地図だ。あれは全く情報密度が薄く、地図もわかりにくいイラストのみで、役立たずだった。鹿児島は偉かー。
 駅のマクドナルドでモーニングメニューを食べながら、今日の作戦を練る。
 鹿児島へ来た第一の目的はドカーンと雄大な桜島を見て、細かいことはナニモカモ忘れてしまうということだ。
 昨日のオッサンから西鹿児島駅に降り立ったときに見える桜島は地元の私でも感動すると聞いた。昨日は夜に着いたので何も見えなかった。ここの駅は橋上駅なのでまずエスカレーターで後ろ向きに上がってみる。
 おおお見えた見えた。朝の霞の彼方、ビルの向こうに悠然と姿を現した。噴煙も上がっている。これは近くまで行かねばなるまい。
 その前に西郷さんの生まれたところが近くにあるのでそれを見てからにしよう。
 電車通を少し行くと昨日も歩いた橋がある。高見橋という名で、橋上の銅像は大久保利通だった。
 案内に従って橋のたもとから川沿いにしばらく行くと大久保利通の生誕記念碑がある。ふーん、と眺め、更にしばらく歩くとありました西郷隆盛の碑。へー、と眺める。両方とも明治20年建立の古めかしいものだ。
 途中にあった「維新ふるさと館」にも入って見る。維新期の状況や薩摩地方の歴史風土を紹介した展示がされている。
 薩摩藩では郷中と称する地域グループごとに武芸や学問などを学び、年長者が年少者を教育するなど「郷中教育」といわれる独自の教育制度を取っていた。この辺りの加治屋町は下級武士の住むところであり大久保や西郷など多数の人材を輩出した郷中があった。
 つらつらと展示物を眺めていると、まもなく維新体感ホールでアトラクションが始まると放送があった。他の人たちがぞろぞろそちらへ向かう。僕は見なくてもいいや、となおも一人でぶらぶらしていた。すると、カッカッカッと足音が聞こえ、入り口でモギリをやっていた美人のお姉さんが走り寄ってきた。「まもなく始まりますので是非ごらんになって下さい」と真剣な顔でお願いされてしまった。そこまでいわれたら見なければ悪いなあ、とホールへ向かう。
 アトラクションはマルチスクリーンや口や腕がカクカクと動く西郷さんらの実物大人形で維新の動乱期の様子を説明するものだった。感想としては、別に見なくてもよかったなあ。
 さて、桜島だ。地図を見るとフェリーターミナルが一番間近で見られそうだ。
 早速電車に飛び乗り最寄りの駅で降りる。どんどん海に向かって歩き、新しくできた水族館を横目に更に進むと、フェリーターミナルに着いた。沖縄や奄美大島への航路がここから伸びている。
 ターミナルの3階は展望所になっていて、潮風が吹くデッキに出る。
 ほんの目の前、視界一杯に桜島が迫っていた。桜島というと男性的なイメージを持っていたが、僕には何か腕を大きく広げてすべてのものを包み込む女性的な感じがしてならなかった。
 午前の太陽光を受けて噴煙がたなびく様は、何か大きなものの存在を知らしめている。それが自然の力なのか神なのか、そんなことさえどうでもいいことに思える。
 最近のはやり言葉で「元気をもらった」とか「パワーをもらった」とかいう。僕はこの表現が、陳腐で想像力の欠如そのものとしか思えなかったけれど、何かその言葉に近い感情が湧いたことを白状しなければならない。
 ここまで来たら桜島まで行ってみよう。ターミナルから5分ばかり歩いた所から桜島フェリーがでている。
 乗り場に着いて案内を見ると15分おきぐらいにどんどん出航している。料金は何と150円。バスの感覚だね。運賃は桜島で払えと表示されているので止まっている船に乗り込む。船の規模を表現する語彙を持っていないので何と言ったらいいのかな。湖なんかにある遊覧船程度の大きさだ。一丁前に自動車も何台か積んでおり、自転車を押して乗り込むおばさんもいる。
 中層のデッキの先頭に座り、出航を待つ。船は当たり前のような顔で動き出した。
 外海に出るとやはり潮風が冷たい。桜島がどんどん大きくなっていく。ずっと見ていても見飽きると言うことがない。10分余りで桜島の船着き場に到着した。
先のパンフレットによると何カ所かある展望所や林芙美子の文学碑(彼女の母親が桜島出身とか)までは、歩くにはかなり遠い。そこで近くにあるビジターセンターに行ってみる。ここは入場無料で桜島の歴史などを紹介した展示物が並んでいる。
 桜島は「鹿児島県鹿児島湾内にある面積約77平方キロの島で、御岳(北岳,1,117メートル),中岳(1,060メートル),南岳(1,040メートル)が複合火山をなし,1914年の大噴火には安山岩質の溶岩を多量に流出,大隅半島と地続きになった。南岳は現在も日本で最も活動的な火山の一つである。霧島屋久国立公園に含まれ,荒涼とした溶岩原に島内一周道路が通じ,古里温泉,火山博物館,水族館がある。東半部は鹿児島市,西半部は鹿児島郡の桜島町に属し,ミカン,ビワを産し,桜島ダイコンを特産。鹿児島港からフェリーボートが通じる。」とのこと。
 この1914年大正大噴火の際の溶岩原に今僕が立っているわけだ。ごつごつした溶岩原の海岸沿いにある遊歩道を歩く。ちょっと脇道にそれて溶岩に上ろうと草むらをこぐと、葉の上に堆積した火山灰が舞い上がる。振り仰ぐと溶岩源の彼方、桜島の雄姿が空の一角を占め噴煙を上げている。
 トレーナーを着ていると暑い。日差しもジリジリとして確実に日焼けしているのが分かる。思わず酷寒の地札幌の家人に電話を入れ、何をやっているの、と怒られる。 帰りのフェリーは後方最上階デッキに陣取った。傾きつつある光りに山肌のディテイルを鮮やかに浮かび上がらせている桜島が、ゆっくりと遠ざかっていった。
 さてと、鹿児島に来たもう一つの目的を達成するため、天文館に戻る。
 まずは昼をかなり回ってお腹がすいたので、薩摩ラーメンを食べよう。その名も薩摩屋というところに入ってみる。トンコツベースのしょうゆ味で、麺は太麺縮れ無し。チャーシューの代わりに豚バラが数枚乗っかっているのが特徴か。全体としてはスタンダードなおいしさで、豚の脂身がこってりとした香ばしさを醸し出している。
 満足してそぞろ歩きにCDショップを探す。店内を見て回ると、あったあった。歌之介コーナー。落語家の三遊亭歌之介さんだ。
 昨年九州に来たおり、バスの中でガイドさんがテープを流した。それがもう爆笑に次ぐ爆笑で、ほろりとした人情もあり、札幌に帰ったら是非入手しようと決意したのだ。しかし、どこへ行っても見あたらなかった。有名な林家こぶ平と同時に真打ちに昇進したそうだが、やはりマスコミは2世のネームバリューの方が大事なのだろう。
 諦めきれずにいて、東京に来たときに九州の連中に聞いてみた。すると地元では大変な人気で、薩摩の爆笑王と言われているそうだ。CDやテープもたくさん出ているというのだ。
 そのとおり、専用コーナーまであって、CDも5,6枚あった。さすがに全部買うと高いので、2枚買った。これで発行元が分かるので、札幌からでも注文できるだろう。楽しみだなあ。
 外へ出るともう夕方だ。空港行きのバス停を見つけ、高速バスに乗り込む。途中チラリと見えた桜島に別れを告げると1時間ほどで鹿児島空港に着いた。
 本当は9時近くの最終便の変更不可チケットしか取れなかったのだが、渋るカウンターのお姉さんに下手に出てお願いし、ようやく5時過ぎの便に乗っけてもらえた。
 外は既に暗くなっていて町の灯もすぐに見えなくなった。しかし、その空虚さを旅の感慨が静かに満たしていき。長い間暗い窓を見つめ続けた。
 さらば九州。いい旅をありがとう。