朝6時頃から団体さんの足音がどたどたとうるさい。
朝のお勤めがあるので,是非参加してみてくださいと,昨日の坊さんが言っていた。
布団の中で迷う。
今日に限ってNさんは鼾をかいている。
お勤め始まるというアナウンスが流れた。
決心して飛び起きる。
本堂に入ると,一段高くなったところで昨日の悪そうな坊さんと,その奥さんらしき女性,若い坊主たちで,お経が始がまっていた。
途中で悪そうな坊さんが離脱し,法話を始める。
例年なら雪が降るのに今は夜も昼も12℃,異常気象だと何度も話す。
観光に来て雨が降ると恨む人がいるが,と話し出したので,うんうん心がけ次第で雨もいいものだよな,と自分たちに置き換えて結論を待っていると,途中から別のエピソードに行ったっきり戻ってこないし。
構成がなってない。まだまだ修行が必要だ。
でも,お札や供養の宣伝とかのセールストークに入ると途端に流ちょうになった。この辺は微笑ましい。
昨日奥の院など各所で見た真言宗独特の円い灯明は、50万円から100万円もするみたいだ。
高っけー,との僕の小声に,いつの間にか浴衣姿で隣に座っているNさんが、場所代だよ,と答える。
朝食も精進料理だ。美味しいけれど,味付けが薄いためか,ちょっと飽きてくる。
そのときNさんが,秘密兵器、と懐から袋を出した。フリカケだ。昨日,ホテル浦島の朝食バイキングの時に失敬したという。
ありがたや、Nさんはワカメ海草,オレはオカカのフリカケをご飯にたっぷりかけ回す。
ああ美味しい。
って,あれ?カツオは動物だよね。殺生しちゃったじゃないかー。
せっかくの精進料理の意味が無くなってしまった。
僕は海草だからしてないもんね,と胸をなで下ろすNさん。


庭を散歩したり,左甚五郎作のイタチのような虎でふざけたり、のんびりして出発。
お土産としてミサンガをもらう。折角だけど,ちょっとケバイ色なので,普段は付けられないな。
庭にあったマニ車を回して宿に別れを告げる。いい宿坊だった。









今日は雨も降っていないが,濃い朝靄が街を覆っている。
Nさんの親も今の季節の高野山ということで,随分雪を心配していたというから,やはり異常気象なのかな。
金剛峰寺近くの大師教会というところに行ってみる。昨日の悪そうな坊さんに,是非行ってみてくださいと強く勧められたのだ。ここでお受戒というものを受けられるというのだ。
朝靄の中に浮かび出た大師教会の大きな建物に入ると,こんな朝も早よからお遍路姿の団体さんがいて,ざわついている。
若い坊さんの受付でお受戒を頼む。500円。何事も金次第。始まるまで待っていてくださいと言うことなので,ありがたいビデオが流れるロビーで時間を潰す。
壁には最新技術を駆使したホログラムの大きな曼陀羅が怪しく光っている。空海にはふさわしいかも知れない。曼陀羅だってよく考えるとフラクタル構造だし,彼は科学的精神のようなものを持っていた気がする。
などと高尚な思考を巡らせてじっと眺める僕に,「ここまでやったら,有り難さが無くなるで」とNさん辛辣だ。



本棚に並ぶ宗教雑誌の中に,御詠歌の楽譜集を見つけた。音楽家の僕としては若干興味を惹かれて手に取った。パラパラ捲って驚いたね。
この御詠歌専用の電子楽器が開発されているのだ。写真入りで解説されている。弁当箱ぐらいの大きさのようで,ボタンを順番に押していけばジジババでも正しいメロディーが分かるようになっている。旋法(というより短調長調)も切り替えが出来るし,良くできている。怪しい。キッチュだ。
日本で過去に月琴なるものが一家に一台と言うほどブームになったことがある,と初めて知った時は腰を抜かした。その他にも大正琴とかウクレレとか,日本の家庭には手軽なB級楽器(関係者は怒らないでね)が自然に入り込める音楽的土壌があったようだ。そこが不思議で面白く,愛しい。
昨今はお父さんが酒に酔って民謡を揉み手拍子で歌ったり,ばあちゃんがたまらず踊りを披露したり,とかという情景はほとんど残っていないのだろうな。殺伐としてしまって。
だからこそ,そういう習慣が未だに続く南の島とかのTVを見ると,たまらなく気持ちが締め付けられてしまう。
夕方になると皆何となく浜辺に涼みに出て,三線を爪弾き酒を飲んで波の音を聞く。案外それが僕の理想だったのかも知れない。
さて,時間となり,若い坊さんの後を付いて,団体さんと一緒に案内される。大広間を通り抜け,別棟のお堂に入る。そこが会場のようだ。
そこは窓の明かりもなく,全員が入って入口の扉が閉められると,内部は真っ暗になった。隣の人の顔さえ見えない。
部屋の奥に一段高くなったステージがある。そこの中央に弘法大師の絵。両脇には例の円燈の明かりが配され,ぼんやり浮かび上がっている。
やがて司会進行の坊さんとアジャリと呼ばれる高僧が登場し,お経を読み始める。そのシルエットが燈明に怪しく揺れる。
木魚のリズム。倍音豊かな読経のうねり。暗闇で視覚が奪われ、他の感覚が研ぎ澄まされていく。ヒステリー傾向の人間なら何かが取り憑きそうな,そんな雰囲気だ。
お経が終わり,各グループ代表者が呼ばれる。まず四国からの団体さん。
続いて俺たち代表Nさん。名前を呼ばれて立ち上がったNさんは,アジャリの前まで行って神妙に座っている。暗くてよくわからないが,アジャリが法衣を翻してNさんに覆い被さったように見えた。
また神妙に戻ってくる。
呼ばれたのは結局この2組だけ。僕ら以外は皆同じ団体さんだったようだ。
アジャリに何をされたのか,ひそひそ声で聞いてみると,ただお札を渡されただけだという。
何だ。血でも吸われたら面白かったのに。
続いて法話。ここでも異常気象の話が出た。読経の時は年配のような気がしていたが,普通に話す声を聞くと,アジャリ氏は結構若いようだ。話もうまい。
このお受戒,宿の悪そうな坊さんによると胎臓界曼陀羅を象徴するらしい。つまり子宮内部の世界。
儀式は終わり,僕らは新しい生を受けて外に出る。眩しい。
目が慣れると,まだ靄は晴れていない。朝の空気が清々しい。



ともあれ,不思議な満足感を残して,浅き夢見し高野の山里を後にしたのだった。
あとは帰るだけだ。
紀伊半島,思ったより大きな懐だった。
道々の農家の風情,ミカンの木。名残惜しい。
僕は宗教の特にオカルト的側面からは最も遠い位置にいる人間だと思うし,例え死に際してもそれにすがることは決して無いであろう。
でも,だからといって,神仏を信じる人間の気持ち,本能みたいものは十分理解できるし,尊重もしたい。或いは自然界に対する畏敬の気持ち,焚き火を飽きずに見たり,巨木に惹かれたりといったアミニズムというか生活感情は,僕の中にも人一倍ある。もちろん哲学や歴史としての知的興味は尽きない。
だから,いままで書いてきた言動を是非誤解しないでほしい。決してそういものを揶揄しているわけではないことを,一応断っておくから。
途中鄙びた商店があったので,車を止めて休憩し,自販機の缶コーヒーを飲む。
店にトイレを借りに行ったNさんがなかなか帰ってこないので,覗いてみる。
薄暗い店内の一角にブリキのカウンターがあって,立ち食いコーナーになっている。そこに坊主頭を揺らして味噌田楽にかぶりつく男がいた。あ,Nさんだ。人を待たせておいて何やってんのか。
僕の気配に,田楽を囓ったままハッと振り返るNさん。目が合った。
彼はばつが悪そうに外に出てきて,半分食べる?と聞いてくる。
あ、ありがとう・・・
って、そんな歯形のついたコンニャク食べれるかっちゅーの。
人にノリツッコミさせんなっちゅーの。
次第に人家が多くなってきた。
僕らの知らない生物が森の中を徘徊しているような熊野の山々。そんな別世界から,現実世界へと下りていく。
河内長野,そして堺へ。
塵を掃き寄せたような市街地に,午後の疲れ果てた光。アジア的雑踏。
買い物袋からネギが飛び出ているオバチャン。薄口醤油で煮染めたようなジャンパーを着たオジサン。
道を行き交う堺市民を観察する。それぞれの人生を想像する。
やがて,Nさんの小型車は薄汚れた阪神高速に乗っかり,伊丹空港へ向かう。
ふと気が付いた。
そういえば今回の旅は,若者,特に若い女の子の姿を全然見かけなかった。ジジババ,オジサンオバサンさん,それと付録の子供たちだけ。
うーん。でもそういう僕らも疲れたチューネン。
こんな旅もいいよね。
空港だ。
努めてセンチメンタルにならないように。
さよなら。 またね。
飛行機は北に向かっている。
「感謝」を連発する人はちょっと嫌だ。だって,大抵自分の気持ちに酔ってるし。何かを押しつけられているようで。
たとえ一言でも、その一瞬だけでも、100%向き合って気持ちを伝えられたら、その方がずっと僕はうれしい。
だから,Nさん。きちんと伝えておくよ。一度しか言わないよ。
君にとっては手垢の付いた地元巡りを計画してくれて,大事な小型車を出してくれて,そして何より楽しい旅を一緒に出来て,
「ありがとう」
また,どこかへ弥次喜多に行こうぜ。
