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朝起きると雨が激しく窓を打ち付けている。嵐だ。今日,観光なんてできるんだろうか。
Nさんはとうに朝風呂に行ってさっぱりとしている。

尊敬する中崎タツヤ先生の漫画を思い出した。

中年男とじいさんが居酒屋で飲んでいる。
「どうですか定年後の生活は」
「いやワシも年だ。朝が早くなってしまってなあ」
「健康的でいいじゃないですか」
「現実にその身になって見ろ。そう簡単なもんじゃないぞ。とにかく一日が長い」
まず起きたら、お湯わかしてお茶飲むだろ。ばあさまに線香をあげて、自己流の体操をして、汗を拭く意味もかねて乾布摩擦、それが終わったらご飯炊いてみそ汁作って魚を焼く。ゆっくり朝めし食って、後かたづけをして、散歩にでるだろ。帰ってきたら部屋を掃除して、ズボンのほころび何ぞをつくろって、それから読書だ。読書に飽きて盆栽にはさみを入れていると、やっと
「昼なんですかあ」
「朝刊がくるんだよっ」

ひえー
Nさんもそうなる素質はある。

天気の心配をしてもしょうがないと,僕ももう一度忘帰洞に行ってみる。風呂嫌いの僕を2度も入らせるとは、侮り難し忘帰洞。相変わらず波は荒いが,洞窟からの海景がよく見えて風情があった。満足。

ホテル浦島HPの写真です

帰りの船は,子供が喜びそうな亀を模したものだった。ぼくも喜んで目がキラッと輝いたのをNさんに指摘される。不覚。




相変わらずひどい雨が打ち付ける駐車場から車を出し,熊野本宮へ向かう。
途中に天下の名勝といわれる瀞峡がある。そこで川下りも一興とはNさんのプランだったが,この本降りの雨では風情も何もなかろうと,中止する。
こんな日でも船は出すんだろうか。あの精力満々の団体さんたちなら,どんなことがあってもキチンと観光するんだろうな,きっと。
山あいに見え隠れする熊野川の川面は,鈍いエメラルドグリーンで,川岸はそそり立つ断崖になっており,瀞峡まで行かなくとも雰囲気は窺える。

それにしても山はそれほど紅葉していない。もうシーズンは過ぎているはずなのに,温暖化の影響か,それともこんなものなのだろうか。Nさんも,紅葉そのものは北海道の方がよっぽどキレイでっせ,と言う。
確かに地元の僕でも唖然とするほどの紅葉が道内各所で見られる。しかし,ここの瀞峡の川下りや,京都のお寺の甍にかかる紅葉のような,舞台装置に関しては,やはり歴史がものを言う。同じ自然を取り扱っても,北海道と本州では観光の意味,着目点が根本から違うのだ。
かくして関西人のNさんは無芸大食的で純朴な北海道に憧れ,道産子の僕は本州的せこさ,隠微さに心躍るのだ。

ゴチャゴチャ言うてるうちに熊野本宮大社に着いた。駐車場は無料。Nさんは満足気にうなずく。
いつの間にか雨は小降りになり,けっこう空も明るい。ひとえに普段の僕の行いの正しさだろう。
石段を登って本殿へ。
朝の空気の中で柏手を打つと,清々しい気持ちになる。



神社グッヅが並んでいるのを見て,一つぐらい記念に買ってっかという気分になる。あんまり興味はないのだけれどね。
物色した末,八咫烏(やたがらす)が書かれた交通安全ステッカーにする。
この三本足のカラスは,日本サッカー協会のシンボルにもなっており,神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となったという。いわば観光ガイドの草分けだ。



そういえば,カラスがクルミを食べるため,道路に落として車に轢かせ,硬い殻を割る,という技を前にTVで見た。しかし交通量が多い道路だと,クルミを取りに行くのが大変だ。
ところが先日やってたのは,横断歩道に落として車に割らせ,青信号を待って回収するという技!カラス・・・すっげえー!!!そこまで来てるんだと驚いた。

こないだ知ったミツオシエというアフリカの鳥にもビックリした。この鳥,蜂の巣の蜜が大好物なのだが,クチバシが短くて食べることが出来ない。そこでどうするか。
何と,人間にハチの巣のありかを教えるのだ。まず人間の頭の上で飛び回って囀り,自分の存在を教え,人間の速度に合わせて,ハチの巣の方向へ誘導する。人間が歩き疲れて休むと,鳥もその間待っているという。
巣を見つけた人間は,それを壊して蜜をゲットする。人間が去った後,そのミツオシエはおこぼれを頂戴するってえ寸法だ。もともとアナグマなどを利用していたが,すっかり人間様を操るようになったらしい。
しかも,人間が蜂の巣を残さず持っていってしまうと,鳥は怒り,次回はライオンの所に案内するというではないか。おっそろしい。
さすが恐竜の子孫ども,侮れないなー。
でもその分御利益も期待できるかな。

ついでにおみくじを引いてみる。
悪いけれど占いの類は全く信じていないし,世の中に無くても別に構わない。でもまあ,遊びだと思ってさ。
まずNさんが円筒形の入れ物を振って,穴から棒を引く。4番だ。それを巫女さんに見せると,その番号のおみくじを渡してくれる。
続いて僕も容器を振って,半分出てきた棒を何気なく見ると,4番と書いてある。えー,何十本もあるのに,よりによってNさんと同じ番号だ。それじゃ面白くないなあ。Nさんをちらっと見ると,おみくじを一生懸命読んでいる。しめしめ。
こっそり棒を容器に戻し。今度は渾身の力を込め,身体を痙攣させるようにガラガチャチャカラガッと振って,おもむろに棒を取り出した。で,出てきたのが,またもや4番。
うーーむ。白目をむいて気絶する寸前で,立ち直った。巫女さんに聞くと,同じ番号なら同じおみくじだという。
あまり考えたくないが,ミャンマー占いでも同じ星だったことも思い出してしまう。釈然としない。
でも,まあ旅は道連れと無理矢理自分を納得させ開けてみると,大吉。良しとしよう。

「冬の枯れ木に春が来て花咲き黒雲晴れて月てり輝く如く
次第に運開け幸い加わり家業繁盛します
しかし安心して油断するとせっかくの幸が禍となります用心しなさい」
んーどうなんだろう。続いて
「願い事 目上の人の助けを得て思わず早く調う
旅行 さわりなし
病気 気に病むな治る」
まあまあかなあ。
これも一応チェック。
「恋愛 表面だけ 用心せよ」
微妙。
ふと見るとNさんは、眉間にシワを刻んでいる。
あ、これだな
「相場 見合わせ今が大切」

参道の石段の脇に,山道があり,熊野古道と看板がある。昔の修験者などが通ったの山道だ。折角なので,そちらを下りる。
自然石の石段を5分ほど下ると,もう下に着く。でも,これで「熊野古道を歩いたんだけど,カナリ険しくてサー」とか自慢できる。



下りてすぐの場所にあった民芸風の店で,法被を着たオジサンが客引きをしている。
「モーデ餅と抹茶いかがですかー。お餅つきたてだよー,」
はい2名様ご案内。と通されたのはテーブルが並ぶ食堂風の店内。
モーデ餅は「詣で餅」で玄米粉をまぶした餡入りの餅だった。ホックリモッチリつきたての柔らかさだ。
お抹茶をゆっくりススって,ほーっとため息をつく。
開け放した入口から覗く明るい朝の曇り空。降るか降らないかの空模様。
少し湿った熊野の風が店内にさっと吹き込む。
胸の中が洗われる。



これで熊野三山コンプリート。
これを徒歩で回るのは確かに大変なことだったろう。同じ御利益ならと,時代の経過と共に,安易な平地の伊勢参りに人気が移行したというのも,頷ける。
ぼくらは文明の利器スターレットで,次の目的地,高野山に向かう。この便利さに感謝の気持ちがあるなら,率先して運転すればいいのに,お互いに微妙に譲り合って楽をしたがる,罰当たりな二人。

熊野の山道をしばらく辿る。
Nさんが買ってくれた目張り寿司という熊野名物を食べる。寿司といっても酢飯ではなく,言ってみれば高菜漬の葉で包んだおむすびだ。山仕事などの携行食だったらしい。にぎり寿司程度の大きさだが,昔はもっと大きく作っており,目を見張って食べるからこの名前が付いたともいう。味は素朴で・・・素朴だ。
はいリピートアフターミー,meibutsu ni umaimono nashi ...



十津川と言うところに出た。
おおこんなところに北海道のルーツが。
札幌と旭川の中間ぐらいに新十津川町というのがある。小綺麗なキャンプ場などもあり,身近なところだ。
後で調べると,明治22年にこの辺一帯をとてつもない豪雨が襲い,「鳥も通わぬ十津川の里」と太平記に書かれた(ひどい書かれっぷりだね)十津川村は,村が壊滅するほどの大水害にあったという。新たな生活地を求めて600戸・2489人が北海道への移住を決断。「必ずや第2の郷土を建設する」と固い意図を胸に秘め旅立つことになった。この歴史はは新十津川物語という小説にもなっている。

道の駅で休む。ここで目覚ましに熱い缶コーヒー買う。ここからは僕が運転する順番だ。
Nさんのナビゲートにより国道を走っていく。なんだか,道が狭くなったぞ。なんだこの道は。本当に国道なの?うわー。
ほとんど片側通行しかできないような狭い道が,蜀の桟道もかくやあらん,とばかりに崖に張り付き,うねうねと曲がりくねっている。しかもそぼ降る雨に濡れたアスファルトには滑りそうな濡れ落ち葉が敷き詰められている。緊張の連続だ。
幸い交通量は少ないが,ブラインドカーブの向こうから時たま対向車が現れ,すれ違えるところまで数十メートルバックすることも数度あった。
ハンドルから手が離せないので,缶コーヒーも飲めない。ものすごく疲れる。
Nさんも最初は「こういうときは小型車の方がいいやろ。」とか「こっち側から高野山に行った人がいない理由が分かりましたわ」とかのんびり言ってたが,次第に緊張の面持ちとなり口数もがくんと落ちた。

1時間ぐらいですっかり疲れ果てNさんと交代する。
すっかり冷めた缶コーヒーで一息ついたのもつかの間,Nさんが緊張した理由が分かった。この道,助手席側が谷となっており,ヒョイと覗くと数十メートルの崖がギリギリに迫っているのだ。しかも柵がなかったりするし。「転落死亡事故発生」とかの看板があるし。カーブや対向車があるたびにビクッとして,ちっともリラックスできないのであった。一句浮かぶ。「まっすぐな道でけっこう」



ビデオはこちら(まだマシな方、こんなモンじゃなかった)

龍神温泉を過ぎ,ようやく,広い道に出たので,すぐに道の駅で休憩とする。
いい時間なのついでに,昼食もとることにした。
うどんを食いかけて,あっと気が付く。写真撮らなくちゃ。
今回の旅,関西人のNさんにとっては地元だから,僕の旅行記だけが楽しみだ,と最初から言っている。まあ付き合ってもらったお礼の意味もあるし,こうして休日の貴重な時間を潰してこの旅行記をを書いているわけだ。
だから旅行記用に食事の写真も一応全部撮っていたのだが,疲れてすっかり忘れていた。
あわてて食いかけのうどんを繕って,写真を撮る。ご覧のとおり,ちょっと気づくのが遅かったみたいだ。



ここの店員のおばちゃんは極めて愛想が悪い。一昔前ならばこめかみに小さく切ったサロンパスを貼っていそうな険悪な表情だった。
このあたりは紀伊山地の奥深く,森のまっただ中だ。人の気持ちをリラックスさせるフィトンチッドも大量に放出されているだろう。
でもあのオバチャンの様子。
森林浴の癒し効果というものに大いなる疑問を抱きつつ先を急ぐ。

ちょうど10月1日から無料化された高野龍神スカイラインを快調に飛ばす。グングン高度が上がり,峠は標高12百メートルとなった。このあたりで,ようやく紅葉が山に美しく彩りを添える風景に出会えた。



やがて,遠い街並みが山中に見え隠れしてくる。高野山だ。
くすんだ色のお寺や古い建物が並ぶ街に入り,無料駐車場に一旦車を置く。車を降りて伸びをすると,団体のジジババが蠢く中,空気に香の匂いが焚き込まれているような気がした。

目の前の門から,奥の院を目指す。お墓の中を道が続いている。
このお墓が面白い。大きなロケットがあったかと思うと,土饅頭のお墓があったり,こちらのお墓の上では福助がにっこりしている,という具合だ。なぜか信長や秀吉など有名人の墓碑もあったりする。
ご存じここは弘法大師の里,真言宗の総本山だ。お墓を見る限り,間口の広い宗派のようだ。全くの憶測だが空海の科学者としての側面がそうさせるのかも知れない。





奥の院に着くと,何組かの団体さんがお参りしている。お遍路姿の人も多い。
お堂の脇に戸口があり,団体がぞろぞろ入っていくので,後に付いていくと,屋外にもお仏様がいて,地方都市の寺の2代目坊主が修行に来たのだろう,大音声でお経を上げている。
団体のジジババも熱心に何やらお経を唱え,線香の煙が彼ら全体をうっすらと覆っている。
この団体のガイドの男が由来や心構えなどを訳知りに解説しており,Nさんも僕も等しく反発を覚える。だって,バブルの時に買ったようなスーツをびしっと着た,茶髪のあんちゃんだぜ。オレオレ詐欺で年寄りを騙してそうな感じだ。善良なジジババ達はそうとも知らず熱心に頷いている。

このオレオレ君の案内で,お堂の地下に入る。
ここは壁や整然と並んだ棚にびっしりと小さな仏像が並んでおり,それぞれに名前が刻まれている。上を見上げると,真言宗独特とされる円筒形の灯籠がびっしりとぶら下がっており,これにも名前が書かれている。つまり寄進額に応じてここに名前が刻まれるわけだ。
ここでも偉そうに説教しているオレオレ茶髪ガイド君を残して,本堂へ戻る。

本殿内部への上がり口が端にあって「ご自由に上がってお参り下さい」と書いてあるが,だれも上がっていかない。
普通坊主しか中に入れないよなあと,躊躇していると,若い坊さんが通りかかり,どうぞ上がってください,と勧める。
Nさんと二人で靴を脱ぎ本殿中央まで上がる。正面に座って手を合わせる。背後では団体さんが注視して緊張する。

お墓をぶらぶら見ながら駐車場に戻り,今度は金剛峰寺へ行ってみる。
ここは高野山真言宗の総本山である。816年(弘仁7)空海の創立だが、伽藍は没後完成。東寺とともに真言宗の中心寺院。平安末期以後、空海の入定処として多くの参詣者を集め、大師信仰・納骨信仰の中心,だそうだ。

もう夕暮れ時だ。内部を見るのは拝観料500円が必要だ。どうしよう。でも高野山の中心施設だし,高いけれど入ってみることにした。そうすると僕らが最後の客であった。4時半で門を閉めるという。
僕らと一緒に入った団体さんの後について説明を聞いていく。各時代の襖絵や,調度,庭や,昔からの大きな台所など,特に歴史的価値が大きいものではなかったが,素朴な信仰が伺われるような造りだった。
最後に広間でお茶が供され,お守りなどの記念品もくれた。これなら500円でも許す、と目顔でうなずく僕ら。





外へ出るともう暗い。今夜の宿,赤松院という宿坊に向かう。
宿坊の入口をごめん下さいと入っていくと,太った悪そうな坊さんが仁王立ちしていた。無愛想に誰何され予約客であることを告げると,先に立って部屋に案内する。
こちらが食事,あちらが風呂と,館内を案内しながら連れてこられたのは,古い造りの広間だった。中央にこたつが置かれている。ふすまを隔てた隣が寝室,さらに隣が食事部屋。計3部屋を僕らが占有するようだ。
まあどうぞとこたつに皆で入り,宿帳の記入を行う。この坊さん話してみると三十代半ばぐらいか,意外と若い。話し好きで,高野山の観光ガイドを一人で喋って出ていった。





客は僕らだけだったが,後で団体さんが来るという。コンクリートの新館も併設されており,そちらに入るようだ。混まないうちにお風呂を頂いた後,先ほどの四畳半ほどの食事部屋で精進料理をいただく。
最初若い坊さんがお櫃などを持ってきてくれる。どこかの田舎から修行に来させられたのだろう。先ほどの悪そうな坊さんが現場トップらしく,この若い坊さん達を叱りとばす声が聞こえていた。修行は辛いだろうが耐えるんだよ。
精進料理はヘルスィーでおいしい。ごま豆腐やがんもなど味付けも洗練されていて,殺生をしてないんだ思うだけで,何かいいことをしたような気になる。植物だって生きてるんだ,なんて突っ込んじゃあいけない。



こたつ部屋に戻り,ごろごろしながら,酒を飲む。
TVの愛新覚羅溥傑と浩のドラマを見る。浩役の常盤貴子の声が心地よく眠気を誘う。
Nさんは,僕のノートパソコンをブツブツ言いながら見ては、何やら身をくねらせて悔しがっている。
旅の夜だ。



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