例によって朝寝坊。もも引の破れをつづり笠の緒付かえ,あたふたと荷造りして,JRに飛び乗る。
千歳空港。
飛行機は濁った水底のナマズだ。苦いコーヒーを飲んで眺める。
搭乗。ベルトを締め,滑走路に向かう。
待つ。
飛ばない。
待つ。
あれ,ターミナルに引き返してる。
アナウンス。
尾翼の故障?っておいおい。
結局30分遅れて離陸。いきなり不吉な。
関西に近づくにつれ雲の量が増えてくる。
おお,ミャンマー旅行以来の関空だ。懐かしい。
今朝のNさんからの電話
「駐車場代が勿体ないから,外の路上で待ってるでー」
関西人らしい。
でも飛行機遅れてるし,電話も通じなかったし,どうしてるかな。と思ったら案の定,憮然とした表情で到着ゲートの椅子に座っている。Nさんともミャンマー旅行以来だ。
第一声
「何で遅れたんや」
「(僕のせいじゃなくてー)何か尾翼の故障だったらしいよ」
「わー久しぷりー」とか女の子同士なら手を取り合ってはしゃぐところだが,僕らは疲れた中年どうし、
「ほな行こか」
つい昨日も会ったような平然さを装って旅を始める。
空港ビルを出ると,Nさんの車が路上駐車されている。くすんだ群青色のスターレットだ。
数年前に初めてこちらに遊びに来たとき,Nさんは地元の尼崎市街を一通り案内してくれた。その時と同じ車だという。
当時はもっと大きくていい車だったような印象があったので,こんな小型車だっけ、と意外に思った。きっと,当時より親しくなって遠慮がなくなった分,冷静な目で見られるからだろう。
尼崎市のように狭い車内に身体を押し込める。

さあ,お伊勢参りに出発だ。
伊勢市まで出来る限り高速で行くと言う。
ぼくは下道の方が,生活感を感じられて好きなのだが,Nさんによると関西の下道は,北海道の一般道の感覚とは全然違うらしい。確かに北海道の一般道は高速道路と大差ないが。
こっちは高速の3倍ぐらい時間がかかるよ,と例によって大げさなことを言う。まあ原住民とは友好的に接しなくては。
交通量が多く単調で煤けた高速道路をひた走る。
助手席から眺めていると,時折フェンスの切れ目からゴチャッとした街並みが見える。ああ関西だ,と思うけれど,まだ旅のワクワク感は湧いてこない。
今回は,伊勢から入り最後は高野山から帰ることにしているから,伊丹空港出発の方が良かったらしい。関空は高野山に近いらしい。
そんなことを言われても,北海道人にはここらの入り組んだ県の配置は理解できるはずもなく,だいたい今どこへ向かってるのかさえ分からない。
「まず大阪に向かってるンや。」
「????」
そのまましばらく走り,サービスエリアで休息することにした。
そこには、たくさんの車とトラック,アベックから子連れからお年寄りまで,パワフルっぽい大勢の関西人,埃っぽい日射しに薄汚れた食堂の幟がはためく。
わー関西だ関西だ!!
ちょっと小綺麗であまり人もいない北海道のサービスエリアと比べたとき,あまりの違いに驚き,すっかり嬉しくなってしまった。
大阪万博の頃のTVドラマが再放送されたような,色褪せて垢抜けないこの活気。
うーんいいねえ。これだよ。飛び交う関西弁の中でポンと膝を叩く。
ようやく旅心が沸き立ってきた。

「関西の道は狭いから、ここらで運転の練習しとき」
「いやいや,まだまだNさんがしてていいよ。遠慮しないでよ」
とか美しい譲り合いの末,僕が舌打ちしながら運転を代わる。
こんな車だらけの高速道路は初めてだ。実に走りづらく,邪魔だ。でも,こいつらのお陰で,キタキツネも楽に横断できる北海道の高速道路が人並みの料金になっているのだ。全国料金プール制万歳!
優しい目となって,トロい車を追い越そうとすると1300ccのエンジンは意外なほどパワーがなく怖い。普段こんな小型車に乗ったことがないので,慣れるまでとても疲れる。
Nさんといえば,横でうつらうつら始まりそうだ。何たって地元だもんな。退屈だろうさ。
そのうち天理市に着く。ここで有料区間が終わり,シームレスに自動車専用道路となる。ただし制限速度は60キロ,ついついオーバーしがちとなる。
それにしても,紀伊半島を甘く見ていた。かなり大きい。横断するだけで何時間もかかっている。
先ほどかから自信ありげに指示を出す人間カーナビ関西弁バーションのNさん。その指示に従ったばかりに,一般道に降りるべき上野インターを通り越してしまう。でも,原住民の機嫌を損ねないよう,文句は言わない。
下道に降りると,北海道なら路地でももっと広いぜ,という狭隘道路を結構なスピードでみんな走っている。子供がいきなり飛び出したら・・とか不安に思わないのだろうか。本州での運転は,ある種想像力の欠如が必要かも知れない。とはいえ,交通事故は北海道が一番だし,どうなんだろう。
まあ,郷に従えと色んなものを欠如させて運転してみる。そうすると余計なネジも緩んだのか,いきなり眠気が襲ってきた。昨日あまり寝てないしなあ。
それを口実にNさんに運転交代してもらう。
周りはすっかり田舎の風情だ。山道にはいると,北海道には存在しない竹林が目を引く。それさえエキゾチックだ。紅葉シーズンはとっくに来ているはずなのに,木々はあまり色付いていない。
再び高速道路に乗っかって,ようやく目的地の伊勢インターで降りる。
さっそく伊勢神宮の内宮へ。
伊勢神宮は内宮(ナイクウと読む。皇大神宮)と外宮(ゲクウ。豊受(トヨウケ)大神宮)とからなり,合わせて「神宮」という。皇大神宮には皇祖神である天照大神を,豊受大神宮には五穀の神である豊受大神を祀っている。
Nさんによると本来は外宮へ行ってから内宮へ行くべきで,どちらかひとつだけお参りするの片参りといい,あまり良くないらしい。でも,律儀に両方は行く人はあまりいないとのこと。
内宮の駐車場は無料だったが故に,Nさんから一定の評価を含むお言葉が与えられる。
平日だというのに,そこそこの数の観光客が目に付く。ただし彼ら彼女らに決して華やいだ雰囲気はなく,休日にちょっと近くのヘルスセンターに連れ立ってでかけるご近所のじじばば達,という風情だ。
関西圏の人たちにとって,お伊勢さんはとても,身近な,幼少の頃から身体に染みついた存在らしい。でも,北海道では,多分だれーも詳しくは知らないだろう。むろんTVなどを通じて名前を聞いたことはあるし,戦前の教育を受けた人や,ちょっと気の利いた人なら,天照大神を祀ってあることなど上代の神話,皇室との関わりぐらいは知識として持っているかもしれない。しかし,ほとんどの道民は,一生のうちお伊勢さんの話題を多くて3回ぐらいしかしないまま死んでいくのが実情だ。
だから旅は面白いとも言える。
境内にはいるとすぐ詰め所があって,帝国海軍の軍服のような黒い制服を着た衛視が数人タムロして,目を光らせている。宮内庁直轄の神社だから,とNさんの解説。
してみると彼らは役人か?
本殿は川の向こうにあり,まず木の橋を渡る。フト見ると橋の横に橋脚のような杭のような木が並んでいる。
そこで,衝撃的な事実がNさんの口から発せられた。なんと,伊勢神宮は20年に一度,式年遷宮といって,橋から本宮から全て建て替えるのだという。それが奈良時代から続いているという。
っへー。全っ然知らんかった。僕だけが無知なのではないぞ。北海道でそんなことを知っているのは10q四方に一人いるかいないかだぞ,と断言しておく。


ということは,それほど古い建築物ではないのだな,と考えながら,砂利道を歩く。その代わり,この遷宮のため,神明造という古来の様式がよく伝えられている。鬱蒼とした木々が清々しい。
無知な僕は,何となくもっと朱色の鳥居や神社が並ぶ,けばけばしい場所だとイメージしていたが,苔生した四阿や杉の巨木の緑の他に目立った色彩はなく,しっとり落ち着いた雰囲気だ。明治神宮を思い出す。



神楽殿を過ぎて,階段があり,その上が正殿だ。上がってみると,門が閉ざされ,隙間からわずかに覗くだけだ。写真撮影も禁止だ。Nさんの関係者がここの奉仕団かなにかに所属しており,そういう人たちは特権として門の中の本宮まで入っていけるらしい。
厳かな気持ちで柏手を打ってみた。

階段を下りながら,Nさんは近くにいた衛視に「どうして遷宮するのか」と聞いている。
先ほどからその理由を二人で推測していたのだが,どうもストンと納得できる理由が思いつかなかったのだ。
落ちぶれた公家さんのような衛視は,噛んで含めるように「神様も新しくしないと飽きますから」と僕らに言う。
全然よく分からない。だからそれはどうしてだと聞いてるのだよ。
Nさんがさらに突っ込んで聞いていくとその公家さんはシドロモドロになって,そそくさと立ち去っていった。テヅルモヅルという海生動物の存在を最近知った。関係ないけど。
疑問を抱えたまま,帰り道,橋を渡ると,整列して歩く大集団に遭遇した。最初中学生の修学旅行かと思ったら,徐々に高校生,大学生の風情となり,大人が混ざり初め,最後はじいさんばあさんとなった。人間の一生を見るようだ。数百人はいるだろう。何の団体か分からないが,よく見るとみな同じワッペンをして,一糸乱れぬ隊列だ。何かの宗教関係かも知れない。
参道の商店街をそぞろ歩いてみる。徳川時代からお伊勢参りの人たちで賑わったという由緒ある通りだ。
皇室と伊勢神宮のつながりは明治以降に強化されたようだ。明治以前は一度も天皇や上皇は参拝していないらしい。むしろ伊勢神宮の伝統的な位置づけは,お伊勢参りの目的地,民間信仰の憧れの地としての姿であったに違いない。何と言っても庶民のエネルギーが噴出する集団ヒステリーっぽい無礼講のお伊勢参りの終着点だから,当時はもっと猥雑なものであったろう。参道商店街を歩くと,その当時の庶民のハイな気分が垣間見えるような気がする。
何度も来たことがあるのに,Nさんが驚いている。
「来るたびに建物が古くなってるやん」
「え?それはそうでしょう」
「いや,そうやなくて,前はもっと古くて汚い家が多かってん」
「何言ってんの?」
「いや,新しく古くなってん」
雑踏の中で思わずNさんの顔を見る。彼とのこの先の旅に不安を感じる。
Nさんは必死に説明する。
ようやく言ってることが分かった。
つまり,昔は小汚いモルタル造りが並ぶありきたりの商店街だったのに,来るたびに歴史的建築物の復元のような,木壁に瓦屋根の立派な構えに建て替えられた店が増えているということだった。
何かの補助事業でも入っているのかも知れない。

Nさんの導きで,赤福の本店というところに行ってみる。お伊勢参りといえばこの店らしい。
古そうな商店の暖簾をくぐると,タタキに竈を切っており,そこで銅の大鍋から湯気が出ている。帳場で食券を買い求め,薄暗い奥の座敷に上がる。そこには火鉢が並べてあって,十数組の人たちが思い思いの場所に陣取ってそれを囲んでいる。明るい縁側からは伊勢神宮へ渡る橋の下を流れていた川が間近に見渡せる。
やがて,僕らの所にお茶と饅頭が運ばれてくる。店員は皆若い女の子で,チャッ切り娘のような和服に赤い前掛けがかわいらしい。
赤福饅頭は中心のお餅をたっぷりの漉し餡でくるんだものだ。普通の大福餅を四時限空間で裏返したものといえば分かっていただけるだろう。
百年以上は経つというこの店の雰囲気,銅の火鉢や湯を沸かす大鍋などの舞台装置,愛想の良い店員さん,にこにこ川風を見やる善男善女達,甘ーい饅頭と熱いお茶,しかも安いし。
うーん流石だ。観光もここまで来れば一つの芸だ。
この饅頭,三百年前からの伊勢参りの定番らしい。やはり歴史かな。饅頭一筋でやってきたが,最近ぜんざいもメニューに加わったらしい。






さて,満足してまた参道をそぞろ歩く。伊勢うどんも名物らしく目に付く。普通関西のうどんのつゆは薄い色で,出汁を効かせたものだ。しかしこの伊勢うどんは,太い麺に真っ黒な汁をかけて食べるものらしい。そもそも三重県は東海地方らしいし,なにがしかの歴史地理的経緯があるのかも知れない。
「おいしいの」と聞くと,関西人のNさん「まずいで」の一言。じゃあパス。
参道の横道に新しく作られたような広場と商店街がある。ここは「おかげ横町」といって先ほどの赤福がつくった街らしい。結構儲けてんだな。でも地元に還元するとは立派だ。
ぶらぶらしていると,道端で焼いている揚げ蒲鉾のいい匂いがしてくる。
共同財布で買うことにする。ガソリン代とか一々割り勘にするのが面倒なので,予め同額を拠出して共同費用の財布をつくっているのだ。
威勢のいいあんちゃんから,僕は好み優先でエビ350円,Nさんは殊勝な顔で僕に許可をもらい,最高値のあわび400円を購入。幸せそうに囓っている。
いいよいいよ,食べなさい。きっと子供の頃満足に買い食いも出来なくて、苦労したんだろうね。Nさんの後ろ姿を優しい目で見,ぼくも歩きながら食べる。
蒲鉾は歯ごたえがふわふわしたもので,味ももひとつだった。でも楽しい。


お伊勢さんを後にして,次は海沿いの二見浦という所に向かう。近くのおみやげセンターの駐車場に車を止め,観光スポットの夫婦岩へ歩く。
海沿いの道を辿っていくと,鳥居があり,神社がある。さらに進むと海中にそれらしき岩が見えてきた。大小の岩をしめ縄で結んでいる。全国各地にあり勝ちのものだ。こちらは裏側から歩いていたため,団体を撮影している記念写真屋に「どいてっ」と注意される。
正面からみても昔のショボイ絵はがきのようだ,と思うだけで,取り立てて感想は出てこない。



入江沿いにくたびれたホテルが並んでいる。それを,Nさんは遠い目で見つめている。小学校の修学旅行でここのホテルに泊まったという。朝早起きして,夫婦岩の間から昇る朝日を眺め,感激したらしい。
中央にある妖しげな神社や,チープな土産物屋の看板,ジジババの笑い声を聞くにつけ,
「いかにもB級観光地って雰囲気で,いい感じだねえ」
と僕は言う。
それを聞いてNさんは
「違いますって。ここは超A級でっせ!!僕らにとっては」
と憤慨する。確かに昔はそうだったのかも知れない。
関西の威信をひとり守るNさんの坊主頭の裏で,ざっぱーんと波しぶきが上がった。

雨が降り出した。
今回の旅,天気予報では最悪だ。今までは何とか持ちこたえているものの,これからどうなるかは分からない。しかし,雨もまた風情があって良いじゃないか。
時間も遅くなってきたので,真珠のミキモトの総本山,真珠島へ行く予定だったのを止めて,ホテルへ向かう。
狭い山道を上って旅館ホテルに到着。割と大きな温泉ホテルだ。
ホテル的フロントでびしっと制服を着たしたスタッフの対応でチェックインを済ます。すると和服を着た仲居さんが現れて,浴衣姿の客が行き交う中,部屋まで案内される。この和洋折衷の見事さ。温泉ホテルという一つの宿泊形態は日本独自の文化と言っていいだろう。
仲居さんは年配で小太り,押し出しの強い女社長のようなタイプの人だ。部屋に入って一通り設備を解説し,お茶を入れ,なかなか出て行かない。しかもだみ声を絞り上げたような耳に突き刺さる声で,のべつくまなく喋る。
和風旅館であれば,心付けでも包まなくちゃと思うが,ここは完璧にホテルだし,躊躇してしまう。
そのうち,諦めて憮然と出て行った。


早速風呂に入る。露天風呂が気持ちいい。
食事は今時珍しく,部屋で食べるようだ。
その準備に来た先ほど仲居さんに,Nさんが聞いている。
「○○さんて人,います?確かこのホテルの常務になったて聞いたんやけど。二十何年か前支配人だった人」
道東旅行記に書いたが,Nさんは学生時代大手旅行代理店でバイトしていて,社員以上の実績を上げていたのだ。
このホテルにも何度も団体を引率して来たことがあり,○○さんはその際知り合った人だという。
仲居さんは記憶にないが,古い人に聞いてみるという。愛想はないが親切なおばさんだった。
結局その人の行方は分からずじまいだった。
そのころのNさんの話を聞いたり,僕の学生時代のことなども思い出したりする。
赤の他人だった僕らが、その二十数年後,こうして三重県の温泉でダラッとしてる。
食事はまあまあだった。名物の伊勢エビの刺身もついている。あの料金だから,本物は甲羅だけだったりしてね。とか突っ込みながら旅の風情を楽しむ。
関西人らしく商売関係に多大な関心を持つNさんから,昨今の旅行代理店事情などを聞く。最大手と思っていた近ツリが今や順位を下げ,代わってHISが急激に業績を伸ばしているらしい。盛者必衰の理。
窓の外は既に真っ暗だ。

僕が持っていったノートパソコンで,株価サイトを見ていたNさんの眉間に深い皺が刻まれる。
「また風呂入ってこ」
彼は,ついと立って部屋を後にした。