重層するオブジェ。
 デパート,ショッピングモール,高層ホテル。
 小雨を透かしてこれらの施設群が徐々に立ち現れる。
 午前8時30分。
 ワイパーが一定のリズムを刻む車内で,ぼくは今日初めてのシガレットに火をつける。
 新札幌だ。
 ガランとした屋内パーキングにつっこみ,愛車レガシーのエンジンを止める。

 シャッターが降りた地下モールをしばらく歩くとサブウェイステーションに出る。
 改札口から様々な乗客が吐き出されてくる。
 羊のような甲高い声をまき散らす女子高生の群,きつい目のOLたちの足音,うつむいた男どもは朝なのに疲れ果てている。
 それを見つめるぼく。

 何度目かの人波の中に,緑のトレーナーとジーンズの坊主頭を見いだす。
 (やあ,来たな)
 改札を出てきょろきょろしている彼に近づき,肩ポン。
「どーもー。」
「あ,お久しぶりですー。」
「でもないね。」
「そやそや。こないだ会いましたやないか。」
 今までの都会的シチュエーションが,彼の関西イントネーションで一気に崩壊する。
「これ,お土産です。こっちでは売ってないとチャイます?」
 そう,Nさんが『関西限定たこ焼き味カール』を携えて尼崎からやってきたんだ!

 Nさんが何者かは,ベトナム旅行記を読んでいただきたい。
 あれから一年半ほど経ったが,彼とはその後2度会っている。

 一度目は,昨年出張の帰りに尼崎の彼の家に泊めてもらい,市内を隈無く案内してもらった。
 尼崎は,隈無く案内してもらってもたっぷり時間が余るほどの狭いエリアに,40万人以上の市民が隙間なく家を建てて,上手に住んでいる。とても北海道では真似ができない。

 ぼくは全然知らなかったが,関西では「アマ」と呼ばれ,コワい街のイメージがあるらしい。それを教えてくれたのはNさんと共通の知人である堺市のKさんだ。
 堺は和泉,摂津,河内の境にあるから堺市だ。ともあれ全国ブランドの河内にほど近い。Kさんの歌う「河内のオッサンの歌」は彼の風貌も相まって足がすくむほどの恐ろしさだ。
 Nさん曰く「(尼崎の悪口は)Kさんにだけは言われたナイわ。」

 兵庫県だから神戸圏というイメージだったが,JR尼崎駅前にある彼のマンションのベランダから見下ろすと,川ひとつ挟んで大阪の市街が広がっていた。夜になると大阪駅の灯が間近に見える。
 大阪駅まで電車で8分というから,ぼくの住む新札幌駅から札幌駅までと同じ時間だ。地下鉄なら大通駅まで20分かかるから,それよりよっぽど近いと言うことになる。
 大都会ではある。

 ところで,部屋を見るとその人の心の中が分かるという。
 ぼくの部屋は,壁一面の本棚に哲学書から漫画本に至るまでびっしりと並び,パソコンや電子ピアノ,オーディオ,テレビの間に食べかけの皿やカップ麺の予備が散乱している。飲み残したワイングラスのあたりにはショウジョウバエがはかなげに飛んで,それを美しい写真や絵画が見下ろしているというアジア的雑貨屋である。
 一方彼の部屋は,トレンディードラマでももう少し小物が置いてあるよなーというぐらい,必要最低限の家具以外,見事に空っぽだった。
 ちょっと,親しき仲にも礼儀あり,というフレーズが浮かんだので,先を急ごう。

 二度目は,今年7月の夜。Nさんから電話があった。
「今,ギリシャ人を連れてきて札幌にいるんです。会いませんか。」
 大昔に旅行先で知り合ったのが訪ねてきたとかで,スカイマーク大阪札幌便撤退大安売りのツアーでトマムまで連れて行って来たという。
 彼のフットワークの良さをニョジツに表している。
 そのときは一夜ショットバーで旧交を温めたものだ。
 それで冒頭の挨拶となるのである。

 僕らはまずミスタードーナッツに入り,肉まんとコーヒーで腹ごしらえする,Nさんは欲張ってお粥もたのむ。

 何ゆえ,朝も早よから男二人で肉まんを頬張っているのか。
 発端はこうだ。
 9月に入ったある夜,Nさんから突然電話がかかってきた。
「今度の連休何か予定あります?」
「特にないけど?」
「マイレージあるんで,どこか韓国とか行きませんか?」
「行きたいけど,ちょっと今は海外は無理だなあ。」
「じゃ,道東あたりどうですか?」
「それなら,いいね,いいね!」(もう行く気になっている)
「じゃ,飛行機予約しときますー。」

 偶然Nさんもぼくも夏休みが取れなくて,休暇が残っていたと言うことはある。
 けれど,一般の世間では業務が佳境となるこの時期に,最果ての北海道まで遊びに来るのもびっくりなら,それに付き合う奴がいるというのも腰を抜かす。
 お互いの職場におけるポジションはわからないので,どれほど顰蹙を買っているのか,いったい今後どうなるのか,等々は一切関知しない。

 そんなわけで,はっきりしない空模様の下,いよいよ国道12号線を北上する。
 今回は道東を彷徨うという基本方針があるだけで,どこに行こうという当てがあるわけではない。
 まずはNさんの思い出の地,層雲峡に行こうということになったのだ。
 最初は,ぼくが運転する。

 道東を車で旅行しようと決まったとき,まず考えたのは,自動車保険のことだ。我が愛車のレガシーは家族限定にしている。
 Nさんが運転して事故をおこし,借金の返済で一生を終えることになってもいっこうに構わないが,それを盾にとられて,ぼくが全て運転するのは是非避けたい。
 短期の自動車保険というと,レンタカーがそうだし,海外旅行保険かなにかで見かけたことがあるから,インターネットなどで探してみた。でも,そんなものは見つからない。どうしよう。
 思いあまって,代理店に電話してみる。

 すると,一旦家族限定解除の手続きをして,旅行後にまた限定の再契約をすれば,差額は390円で済むという。詳しくは分からないがとても面倒な作業らしい。長年のつきあいがあるから,それをやってくれて,しかもこの差額も払ってくれるという。
 よかったよかった。

 北海道の道路は広くて眺めもきれいで,ほとんど車がいないし,快適な走りが楽しめる。だから,きっとNさんは喜んで運転したがるだろう。
 しめしめ。らくちんラクチン。

 江別を抜け,1時間ほど経ったところでNさんに運転を交代する。こんな高級車は滅多に運転しとことないだろうに,なかなかスムーズな運転だ。
 Nさんは立派な歩道橋や公共施設らしきものを目ざとく発見しては
「余分な投資やなあ,税金の無駄遣いやっ。」
と関西人らしく一々文句を付けている。
 関西は生き馬の目を抜くところとは聞いている。でも北海道はその生き馬の生産地なのだよ。かわいそうに。

 また1時間ほど経ったころ,滝川の道の駅で休息する。
 道の駅というのは国の施策として滅多にないヒットだと思う。高速道路のパーキングエリアからの発想だろうが,ドライバーにはトイレ,ちょっとした食事,お土産など格好の休憩所になるし,地元にとってもひとつの顔として町を売り込める。ただ,デザインや使い方がみな似たり寄ったりで,もう一工夫欲しいところだ。

 気がつくと,そろそろ昼だ。
 道の駅の隣の敷地を見ると,打ちっ放しのコンクリートでできた建物が忽然とある。レストランのようだ。
 ここで昼飯を食べてしまおう。
 建物の前には人工的な池がしつらえられており,怪しい雰囲気だ。
 思い切って入ってみる。
 
 内部は薄暗く,ショットバーのような洒落た作りだ。
「座敷にしますか。」
 と言われ付いていくと,そちらは先ほどの池に面した明るい和室になっていた。
 メニューも洋食と,和食の2系統になっている。
 ぼくは天丼とそばのセット,Nさんはウニ丼とそばのセットにした。
 何でもありの品揃えだ。洋食メニューの方ももフレンチのようなイタリアンのような総花的なものだ。 

 ウニ丼を心待ちにして番茶をすするNさん。
 窓外に目をやると、池の水面からゆらゆら陽射しが反射する。
 ようやく持ってきたお膳を見たとたん,彼はヨヨと畳に泣き崩れた。
 待望のウニ丼は,ほんの手のひらサイズの小鉢にウニが2切れだったのだ。
 かわいそうで涙せきあえず,ぼくも袖を濡らす。あ,お茶がこぼれてたのか。
 せっかく凝った建物なのに,田舎を売るとも都会志向ともいえず、中途半端だ。
 商売上,ドライブイン的になるのはやむを得ないのかも知れないが,屯田兵の子孫として「ゴメンね」という気持ちになってしまう。

 悔いを残しつつ,さあ出発となって,Nさんが
「じゃあ,運転変わって下さい。」と言う。
「え,もっと運転していいよ。」
「いやいや,どうぞどうぞ。やっぱり地元の人が。」
「こんな車が少なくて広い道の快適なドライブ,関西じゃ味わえないでしょ。遠慮しないで。さあさあ。」
「いやいや。」
 美しい譲り合いのように見えて,実はNさんもぼくも,人に運転させて横でラクにしていたいことが,判明したのだった。
「チッ。それなら運転するか。」
と,ぼくは快く納得して車を出した。
 結局1時間ぐらいで交代しながら行こうということになった。
 横でNさんがラクチンらくちんと伸びをしている。
 運転嫌いの2人でよくドライブ旅行に行くわ。

 次第に大雪山系の懐へ分け入っていく。
 いつのまにか空はは愁眉を開き,初秋の強い陽射しがアスファルトから照り返している。
 最初の目的地層雲峡はもうすぐだ。

 Nさんは道々ぼくの知らない過去を,問わず語りに話し始める。
 今から20年以上前の学生時代,彼は大手旅行社で添乗員のバイトをしていたという。
 そのおり,北海道ツアーには20回以上も添乗してきたらしい。
 北海道生まれのぼくよりも遙かに詳しいのだ。
 正社員以上に業績を上げて就職の勧誘を受けたこと,バスガイド嬢との悲しい恋物語,等々の詳細は彼のプライバシーに関わるのでそっとしておこう。
「旅行会社の方が今の仕事より合ってたんじゃないの?」
「でも,今時期こんな楽しい旅行ができるなんて,やっぱり幸せやと思います。」

 層雲峡だ。
 ぼくは車で通過したことは何度かあるが,停まってしげしげと眺めるのは初めてだと思う。
「この駐車場が昔道路だったんですわ。あれが,流星の滝。」
 彼のガイドを聞きながら見上げると,そそり立った暗緑色の崖のはるか頂上に強い太陽が覗き,そこから逆光を透かしてほの白く滝が流れ落ちている。崖の途中に落ち込んでいるため,音も聞こえない。夢の光景のようだ。
 川沿いの散策路を歩き,もう一つの銀河の滝も見に行く。
 足下の清流は川端の灌木を洗い,秋の木漏れ日が煌めいている。

 大函(おおばこ)という景観も近くにあるというので,車で移動する。
 ここは凝灰岩の柱状節理の絶壁が箱のように取り囲む場所で,小函というのとセットらしい。
 ぼくは景色よりもむしろ川にかかる使われていない橋の方に趣を誘われた。

 古びた木造の土産物屋が一軒ある。Nさんはそこで茹でトウキビを買い,宣言する。
「名所の食い物は必ず食べますからっ。」
「はいはい。お好きにどーぞ。」

 ベンチに腰掛け,一心にトウモロコシを囓るNさんの,後ろ姿。
 規則的に動くこめかみが悲しい。過ぎ去りし青春の日の感傷。
 土産物屋の前に黄色の旗,赤の旗。それがひと揺れする。

 さて,僕らはここから道なりに行けるサロマ湖を目指すことにした。いよいよ道東へ分け入るのだ。

 僕は北海道人でありながら,道東はほとんど行ったことがない。
 本格的に旅行したのは20年近く前,屈斜路湖畔に泊まり,そこから阿寒湖摩周湖オンネトーなどを見に行ったのが一度きりだ。
 実は,その前にも,学生時代のある朝,札幌市内の測量会社にバイトに行ったら,いきなり車に乗せられて根室まで連れられて来られたことがあった。朝から暗くなるまで海辺の海流調査で働かされ,夜は民宿で泥のように眠るという3日間は,観光も何もあったものじゃないから,カウントしない。
 一口で道東と言っても広い。ぼくにしても帯広のワイン城を見に行ったり,然別湖でキャンプしたり,トマム(道東?)にスキーをしに行ったことはある。でもこれらは札幌からそう遠くはない。無理すれば日帰り観光圏だ。
 本格的な(?)道東はやはり20年ぶりになる。

 車のほとんどいない道を快調に走っていく。

 石北峠にかかる頃,Nさんが突然うなり声をあげる。
 びっくりして,どこか体の具合でも悪いのかと聞くと,彼もびっくりして,歌をうたっているつもりだ,という。「石北峠」という歌らしい。
 ぼくは音楽の人なので,頭の中でリアルタイムに正しい音程へ変換してみたが,それでも聞いたこともない節回しだ。

  山の向こうも山だろか、
  あこがれ胸に抱きしめて、
  国道行けば石北峠、
  ああ果てない緑えぞ松の、
  峰振り仰ぐ、恋心

「こんな有名な歌を知らないんですか。」
って,バスガイド用の歌でしょ,それは。
 何度も添乗員としてバス旅行しているので,各所の歌が全て頭に入っているらしい。
「たくさん歌って上げますからね。ガイドもできるし,歌も付いてるし,今井さん幸せですねー。」
つらい旅になりそうだ。

 ぼくにとってはそろそろ未知の土地とはいえ,生粋の北海道人がディープ関西の尼崎人に案内してもらってるのは極めて遺憾だ。

 午後遅く,はるばる来たぜ,サロマ湖。随分走ったなあ。
 札幌から離れるにつれ,日常生活のあれこれがゆっくりと沈殿し,心が次第に透明になっていった。
 湖を包み込む空は懐かしく,驚くほど大きい。

 今日はもうすぐ日が暮れるし,ここらで一泊しよう。
 ガイドブックを見てみると,「緑館」というホテルが紹介されていて,塔がある洒落た建物の写真が載っている。サロマ湖に沈む夕日を見ながら露天風呂を味わえるという。
 そこに行ってみようか。

 ぼくは,民宿でもどこでもいいが,Nさんは意外とコダワリを見せる。
 最初に旅行の話が出たときに,ぼくはキャンプ旅行でもいいなと思った。
 でもNさんは,とんでもないという。何か粗末な食事に惨めなテント生活という感じで,キャンプを誤解しているところがあるらしい。大阪名物ホームレスの段ボールハウス生活のイメージか。
 大自然の息吹に包まれて野趣あふれる料理に舌鼓を打ち,たき火を見つめてバーボンを傾けると,恐ろしいほどの星空にハモニカの音が吸い込まれていく。
 なーんていう僕らのキャンプは関西人には想像もつかないだろうな。無理もないか。

 サロマ湖畔の真ん中ぐらいに「緑館」はあった。たしかに,展望塔の付いた煉瓦造り風のホテルだ。
 Nさんが携帯で電話してみる。サロマ湖側の部屋で一泊1万3千円。ひえー高い。山側なら9千円だが1室しか空きがないという。もうちょっと探すことにした。
 サロマ湖の東側に行けば集落のようなので,ぼくの勘では安い民宿の2,3軒はありそうだ。そちらを目指す。

 だが,実際に着いてみるとそれらしい民宿街はなかった。
「あれだけ小ぎれいで9千円ならいいとこだと思いまっせ。」
 というNさんがもう一度緑館に電話してみる。えらくご執心だ。
 すると,ここに来るまでの小一時間の間に,山側の部屋が埋まってしまったらしい。
 じゃあ,仕方ないねと彼が電話を切ろうとすると,海側の部屋を1万円でどうですか,と言ってきたようだ。もう時間も遅いので安売りを始めたみたいだ。
 即OKすることにした。

 これで今夜の宿が決まったので,近くのワッカ原生花園に行ってみる。
 巨大な風がハマナスの赤い実を持ち去ろうとしている。
 サロマ湖の群青の波々が捲れ上がって夕暮れ寸前の明るい光を煌めかせている。
 オホーツクと隔てる細い砂州が,遙か遠くへ風の行方を指し示している。
 ネイチャーセンターのログハウスでは,店じまいの商品棚を覆ういくつもの白いカバーが風の意志に踊り狂わされていた。

 
 緑館の駐車場でエンジンを切る頃には空の青さも力を失いつつあった。
 蒼穹の縁が蜜柑色に滲んでいる。
 クリーム色のクラシックカーを展示している広いロビーを横切り,フロントでチェックインする。
 3階の部屋だ。ボーイが案内するという。別にいらないですよ,と言っても,分からないと思いますから,と先に立って行く。

 エレベータホールからサロマ湖へ沈みゆく夕日が見えている。
 ふと思った。
「あれ,どうして夕日が見えるの?。」
 北海道をだいたい菱形とイメージすると,サロマ湖は右肩あたりにあるはずだ。つまり北東側に面しているはず。
 どうして,とホテルマンに聞くと
「皆さん誤解されるんですよね。見えるんですよ。」
 それじゃ答えになってないだろ。だから,それがどうしてか聞いてるんだよ。
 と心の中で突っ込みつつ大人しく後に付いていく。
 (後で地図を見てみると,サロマ湖はほぼ真北に面して海へ接しているのだ。)

 2階で,エレベーターを降り,しばらく入り組んだ廊下を歩いて,階段を上る。
 確かに分かりづらい。増築を重ねたらしく,僕らの部屋は古い方の建物だった。
 部屋は無駄に広かった。ベッドが二つとソファー,テーブル,テレビなどが一画にまとまってある。残りの6畳ぐらいのスペースががらんと何もない。寂れた事務所ビルの一室のようだ。
 サロマ湖から夕日が射し込む。

 ホテル案内をめくっていたNさんが
「あ,ここグリーンホテルチェーンなんだ。緑館て,そういうことか。」
 グリーンホテルというのは札幌のビル会社が経営しているホテルだ。ススキノや郊外に数軒あり,そのほかにも飲み屋の雑居ビルをいくつも持っている。ススキノの第○グリーンビルといえば札幌の左党で知らぬものはいない。
 実はNさんは昨夜,ススキノのグリーンホテルのひとつに一泊していたのだ。
 遙かサロマ湖まで来て結局同じチェーンのホテルに魅入られたように泊まってしまうなんて。
 お釈迦様の手のひらから逃れられなかった孫悟空みたいだ。

 陽が沈みそうだ。急いで大浴場へと向かう。
 露天風呂からは確かにサロマ湖を染める夕焼けがきれいに見える。しかし,風呂の周りに目隠しの石が積み上げてあって,湯に浸かると湖面が全然見えない。ちょっとがっかり。
 ふと隣りから女性の声が聞こえる,ぼくの横には枝を束ねた仕切の塀があり,その向こうが女湯らしい。その塀がなんと隙間だらけではないか。
 こちらの湯船には5,6人はいたろうか,何だか牽制しあっている空気を感じ,ぼくは文字通り垣間見ようとする気持ちを,何とか抑えきった。
 すると,ちょっとごめん,ちょっとごめんと一緒に入っていたNさんが中腰で湯の中を移動して,塀に近づき,隙間に鋭い一瞥をくれた。
 何気ない風で,中腰のまま元の位置に戻り,「今が,チャンスでっせ。」と小声でぼくに情報提供してくれる。
 横目,ダンボ耳で監視していた周りの男たちの会話が一瞬とぎれた。
 緊張が漂う。
 十数個の鋭い眼光。
 湖面を渡る風が止まった。
 絶え切れず,石もて追われるように,ぼくは風呂を離脱した。
 じっくり夕日を鑑賞するのを忘れていたことに気が付いたのは,随分後のことだった。

 Nさんはまだ風呂で粘っている。
 部屋で待つ間,テレビを見る。
 そういえば世の中はオリンピックで持ちきりだ。

 開会式は自宅で見た。日本選手団のあの虹色マントで腰を抜かしてしまった。デザインや色彩の意図が全く分からない。
 相当笑わせてもらったからあまり文句も言えないが,知らないうちに日本のメンタリティがグローバルスタンダードからまたひとつ離れていっているのかな,と幾ばくかの悲しさは感じた。
 別に世界に迎合しろと言うことではなく,否が応でも世界というフィールドで振る舞わざるを得ない時代になっているのに,と言いたいだけだ。
 他の全ての国と同じように,何か新しい試み,挑戦とか,お国柄の表現とか,せめて何かのメッセージを表現して欲しかった。
 なぜだか,「ぼくはあなたに変してます」という誤字恋文が頭に浮かんだ。

 テレビの中では女子の水泳競技が行われていた。
 何気なく見ていると,見事銀メダルをとった日本選手がインタビューを受けた。
 そう,ここで、後に2000年流行語大賞にノミネートされることとなる、あの歴史的名言に立ち会うことができたのである。

 アナウンサーが銀メダルの感想を聞いた。
 するとその選手は難しい顔で沈黙している。
 あれ,どうしたのかな,と思うほどの間があった後,一気に表情を爆発させて
「もーーっ。悔しーっ。めっちゃくやしいーっ。」
 まるでその辺の女子高生がカレシに二股かけられたときのように叫ぶではないか。
 思わずソファーから半分滑り落ちていると,
「でも、銀メダルで素晴らしい日本記録ですよ。」
 訳知りアナも気を取り直して聞いた。
「金がいいですうー。」
 ぼくは完全にソファーから落ちた。
 これほど率直なコメントがかつてあったろうか。
 嬉しくなって,ちょうど戻ってきたNさんに報告する。
 再度流されたインタビューを聞き,ふたりで感動を分かち合った。

 私バカなんですー。と堂々と居直れる文化,それを好ましく思う文化は世界を見渡しても日本ぐらいだろう。
 もう,恥ずかしいほどに子供的心情の吐露だ。子供の愛らしさだ。
 今回のオリンピックを振り返ると,こういうタイプの選手が好成績を残していたのが,強く印象に残った。
 もちろん今までのコンテキストの中で活躍した選手は多い。
 例えば柔ちゃん,もう日の丸を背負いなれている。日本的,伝統的価値観。
 柔道の篠原選手,誤審に,ぼくが弱かったから,と言う日本的美談。だが,世界は分かってくれない。
 マラソン高橋尚子,監督やスタッフの力で走る(本来の意味での)他力本願,宗教的。だからこそ世界に通用する価値観。
 女子ソフトボールの勝利への執念とサッパリした潔さ。世界標準そのもの。
 みんな素晴らしい。日の丸を背負った重圧は軽々と乗り越え,でも日本代表という誇りは失われていない。
 ただ,これらはほんの一部の成功者であり,今後世界に伍してメダル量産国になる道は遠い。
 だから,ぼくはめっちゃ悔しがる彼女のようなタイプにむしろパラダイムをぶち破る希望をみた。
 すくすくと甘やかされて育った選手たちが,国も名誉もどこ吹く風で,虹色のマントをなびかせ,オレって頭悪いからよーっと疾走する姿が目に浮かぶ。いろんな意味で世界の脅威となるだろう。
 はは,冗談冗談。関係者は気を悪くしないように。彼女もきっと知性豊かでオープンマインドな魅力あふれる人間だろうことは重々承知。

 夕食はラウンジで出される。
 料理は特に印象的なものではなかった。飲めないNさんが盛んに勧めるで,ぼくは一人ピールを頼む。普通の温泉旅館料理だ。バター焼きの鮭,イクラちょっと,ツブ,ホタテ刺身など、素材に頼って工夫がないといわれる典型的な北海道料理の数々。

 今回の旅行では細かいメモは取らなかったので,今となっては料理の内容をほとんど思い出せない。短期記憶能力の減衰に愕然としている。
 一切写真も撮らずメモも残さず旅行しても,必ず何か沈殿物のように心に残されるものがあるはずだ,それこそが旅の本質,と気取っていた時期もあった。
 しかし,本当にナニモカモ忘れてしまって何も残らないことがアリウル,と最近思うようになってきた。
 こうして写真を撮り,旅行記を書くのも,せっかく五感に受けたことを大事にしたいという気持だ。アルツハイマーの人が全ての家具に名前のカードを張り付けるようなものだ。
 それにしても,今度からは安いデジカメでも使い脳味噌代わりにパチパチ撮って置かなくては,細部が砂のようにこぼれてしまう。

 ここに来る道々,Nさんから,サロマはホタテの養殖で有名だと教えられた。どこかでホタテ焼きの直売でもしてないかと探したが,それらしいのはなかった。
 ラウンジから部屋に戻り,ガイドブックを見ると,ほんの近くの道の駅でホタテ焼きを食べられるらしい。明朝食べよう,と二人で固く決意する。

 四方山話をしながら,ぼくは持参したスコッチをボトル3分の1飲む。3泊だから。
 窓を見る。サロマ湖が黒々と盛り上がっている。