話題の性格上、遺憾ながら家庭生活の一端をお話しましょう。
 この間の雛祭りの日、子供がピアノ発表会に出場しました。これは、すべて2台のピアノのための曲で構成するという企画で行なわれたものです。本来なら妻が一緒に弾いてやればいいのですが、事情があるとかで、お父さんが弾いてくれないかと一月ほど前に依頼されたのです。
 忙しい時期であるし、面倒だし、子供達に混じって弾くのは恥ずかしいし、いやだよ。と言ったのですが、それを聞いてた子供が悲しそうな顔をしたのを見て、たまには親らしいことをしてあげなくてはな、と強い自責の念が沸き起こり、つい承知してしまいました。
 子供に何を弾きたいのかと問うと、ブルグミュラーだといいます。
 ブルグミュラーというのは作曲者の名前で、この人が作った学習者のための曲集は、ハノン、バイエルと並んでピアノを習っている者なら(日本では)誰でもさらうものです。なかなか美しい曲が多いのです。本来独奏曲なのですが、これにセカンドピアノをつけた楽譜があり、この中から 「アヴェマリア」、「貴婦人の乗馬」と題された2曲をやりたいといいます。
 早速合わせてみると、初見でも何とかなるぐらいですから、これならたいして負担にならないと判断しました。
 この時期、仕事や飲み会で深夜帰宅が多くてなかなか時間がとれず、1週間ほど前になるまで子供と一緒に練習できたのはほんの何回しかありませんでした。
 人は普段頭の中で様々な想いを、意識したりあるいは無意識のうちに巡らせていることでしょう。ある人は頭の中で延々と独白を続けていたり、何人かが常に議論しているタイプもいると思います。言葉は一切なくて色彩豊かなイメージが氾濫している人もいるかもしれません。
 ある研究者によると頭の中で喋っても、脳の言語野がやはり活発化するらしいです。つまり口に出して喋るのと同じ面があるということです。ということは、いつの日か心の中で考えていることがわかってしまう、素晴らしくも恐ろしい時代が来るのでしょうか。
 私の場合はだいたい音楽が鳴っているケースが多いです。それはマーラーの大合唱の時もあれば、猫踏んじゃったが一日中耳から離れない時もあったり、色々です。面白いのは、頭の中で鳴っている曲にふと気がつき、(なぜ脈絡もなく○○という曲が鳴っているのだろう)と思うときがあります。そこで同行者に「もしかしてさっき入った店で○○という曲が流れていたか」と聞くと「確かに流れていた」と返答されることがあるのです。私にはそんな記憶は一切ないのだから、私の知らないうちに自動的に記録された様な感じなのです。あまりこんなことを言っていると「そのうち電波がどうのこうの言い出すのではないか」と疑われるのでやめときましょう。
 それで、このときも練習した曲が頭の中で何回もリプレイされましたが、どうも「貴婦人の乗馬」の方の編曲がしっくりこないのです。何だかがちゃがちゃしている割りには演奏効果がありません。気にくわないな。
 やはり折角ですから自分が納得できるようにしたいなと考え、一晩かけてセカンドパートを全部自分で作りました。何日かあと子供とその編曲で合わせてみてびっくりしましたね。難しすぎて全然弾けないのです。自分で作って自分で弾けないなんて、シューベルトが自作の「さすらい人幻想曲」が弾けなくて癇癪を起こしたというエピソードを思い出しましたが、僕の場合はまったくシャレになりません。あわてて弾けるように書き直したのはもう3日前のことでした。
 一方、せっかくステージにでるのだから衣装を何とかしなさいと命令も受けていましたので、パルコなどで物色しました。普段自分の着る者には無頓着な方なので、この手の店にはほとんど出入りしません。でも自分のイメージはあるので店員のアドバイスは聞きたくない。それで、店の外からちらちら様子をうかがい、良さそうなのがあるとさっと近づいて値段等をチェックする作戦にでました。
 ところが敵もプロだね。こちらがさっと商品に近づくと向こうもさっと近づいてきて、「どうぞ広げてみてください」と声をかける。「ええ」と曖昧にごまかし別な商品をチェックすると店員もすかさず説明をかぶせてくる。ここで話し込んでしまっては買わされる。Noといえないポンニチの私。息詰まるバトルを数軒の店で繰り返し、得た結論は、高すぎて買えない、というものでした。シャツ一枚で2万も3万もするのです。パンツに至っては一着分で安いスーツしかも替えズボン付きが買えてしまう。
 アパレル業界ではズボンのことをパンツというのは良く知っているけれど、すんなり口に出せなくて、トラウザーズといっても変だし店員もわからないだろうし、結局「ズボンはありますか」と言うと、その店員すかさず「パンツはこちらです」と言ったね。やっぱり俺ってオジサンなのかな。どうしても”パンツ丸見え”のパンツの方のイメージが強いもんな。
 いいなと思うデザインに限って高いのはなぜか。この手の衣服の価格ってほとんどデザイン料なのでしょうね。
 やむなくフィールドを新札幌に移し、バーゲン品にターゲットを絞った結果、3分の1以下の価格になりました。
 夜の街灯に集って飛び回る蛾は、光を見ると脳を狂わせる物質が体内に生成されると聞きます。世の女性たちがこのようにファッションを物狂おしく追い求める気持ちが、ほんの少し分かった気がしました。今なら使えるお金があればパソコン関係のものを買おうか本を買おうかなどと考えますが、ちょっと転べばコムデギャルソンにしようかイッセイミヤケにしようかなどと思い始めるかもしれません。
 ところでこの発表会の主催者の一人である先生のところには僕の学生時代からの友人Hの子供が以前から習いに行ってます。
 このH自身も去年の初めごろ「おれも子供のころからの夢だったピアノが弾けるようになりたい」と言いだし、別の先生のところで習い始めました。最近は中年過ぎの人がピアノを習うことが流行っているようですね。お父さんたちも遅ればせながら仕事以外のプラスアルファを求めだしたのでしょうか。
 なんでも音大を出たての若くて美人の先生らしく、いつも手を取って優しく教えてくれると喜んでいます。ばーかめ。
 このHも子供と連弾することになり、アフアフいいながらぎくしゃくとした指で練習しているという情報が入ってきていました。
 本番の前日、このHを含む友達グループで飲み会をやることになりました。仲間のKが学会で行っていた”サンタフェ”から帰国したり、Hが技術士の試験に合格したり、その他いくつかの口実が重なったため急遽やることになったのです。
 ちなみにKは「サンタフェは小さな町であり(オッペンハイマー等が原爆の研究をしていた町だそうです)、記憶を新たにしたいので、今井が前に話していた”サンタフェ写真集”を貸してほしい」と強い希望を述べました。”サンタフェ写真集”とは僕が某組織に参加させてもらった当初、会員必読の書として推薦を受け購入したものです。「もちろん貸すけれど汚さないでね」と快く承知しました。
 この飲み会にHの姿はありませんでした。聞くと翌日の発表会に向けて必死に練習しているとのこと。「お前はいいのか」と問われ「いいのいいの」と無責任に飲み進むうち、いつものように有り難さこそ身に浸みれ状態の夜が深々と更けていきました。
 ふと気がつくと朝です。
 リハーサルが11時からなので、吐き気をこらえながら会場の教育文化会館に向かいました。ティピカルな二日酔いです。出演者が多くリハーサル時間が押してしまい、ほんの何小節かしか練習できませんでした。
 開演は1時からでしたが僕たちの出番は2時過ぎになりそうです。酔い戻しが激しかったので、楽屋で置いてあった畳を一畳敷き、その上に横になって一人で寝ていました。頭にはポカリスウェットを3本並べて苦しくなっては飲み続けました。
 モニターからは一生懸命演奏する子供たちの音楽が聞こえてきます。
 外は無音の吹雪です。
 俺は一体何をやっているのだろう。
 そのうち出番が終わった子供たちが楽屋に戻ってきて、僕の周りをぐるぐる回って大騒ぎで鬼ごっこを始め出します。こいつは寝てられんなと起きだし、ステージの袖に行ってみました。
 Hが神妙な顔で出番を待っています。「発表会っていやだなあ」といい歳してこぼすのを「ステージで弾く機会なんて滅多にないんだからがんばんな」と慰め、送りだしました。
 ぎこちないけどしっかりとしたタッチで無事弾き終わったようです。彼は昔からコツコツコツコツと努力を積み上げ結局目標にたどり着くというタイプでした。つまり僕と正反対ね。子供と戻ってきた彼に「よかったじゃん」と声をかけると、彼の頬は少し紅潮しているようでした。
 いよいよ僕等の出番です。子供の顔を見ると、彼は小学校でいつも歌の伴奏とかをしているので場慣れしているのでしょう、淡々とした様子です。僕も練習不足が心配だけど、どうにかなるさという心境です。
 暗い袖口からステージに出るとライトの洪水が降り注ぎます。経験した人のみが知る緊張感が身を引き締めます。1曲目です。
 ああ、なんと素晴らしい音なんだろう。シュタインウェイの音は自分が弾いているのではなくどこかの高みから響いてくるかに思われました。隣で弾いている子供とは言葉のいらない音楽の会話をしているようでした。
 演奏が進み、ついに2曲目の最後の音の残響が消えていくと、いいようのない充足感がわき上がってきました。
 拍手の中で一礼し袖口に戻り、子供と「ばっちりね」と満足の声を交わします。
 たとえ子供たちの発表会といえども、人前で何かを表現することは、創造の喜びに他なりません。家庭サービスのつもりで付き合ったけれど、予想外に充実感がありました。自分で作ったものをステージでシュタインウェイを使って表現できたのだからね。良かった良かった。
 精密な批評を展開するより、稚拙でも何かを創造する方が僕は好きだな、とつくづく感じた1日でした。