カラオケが嫌いだ。
 イカの塩辛とどちらが嫌いかと聞かれたら、迷わずイカの塩辛と答えるほど嫌いだ。
 というと、カラオケ好きな方はムッとするかもしれないが、イカの塩辛が好きな人も同じくムッとしているので、許して欲しい。
 理由は、うるさい、難聴になる、会話が出来ないなどを始め、いちいち説明すると「長文注意」になってしまうので止めるが、一つだけ言わせて欲しい。
 歌を歌うということは、意識するしないにかかわらず自分を表現するということだ。そして何かを表現するということは、とても恥ずかしいことだと思うのだ。
 歌には、ここぞという決め所があるはずだ。ここを歌うときは、まさに快楽の極致、至福のひとときであろう。こういう時の表情は、普段なら滅多矢鱈と人には見られたくないはずだ。
 快楽の瞬間というと色々あろうが、差し障りのないところで脱糞中の犬を物陰から覗いたことがあるだろうか。うっすらと涙を浮かべた目を時折閉じて忘我の境地となっている。
 そいつの前にいきなり飛び出して正面から見つめてみるといい。犬はたいそう驚くが逃げるに逃げられず悲しげに行為を続けるであろう。それをじっと見据えると決まり悪そうに目を逸らすはずだ。
 このように犬畜生でさえ恥じらいの気持ちを持っているというのに、どうしてカラオケの人達は堂々と脱糞できるのか。
 一つにはあの電気増幅及び風呂場エコーが一種の仮面となって、生身の人間が歌っているということを意識しなくて済むからであろう。
 あの連中がマイクなし、いやエコーだけでもとっぱらって、果たして脱糞顔で歌えるのだろうか。
 もう一つは「カラオケ」というものの「手続き」が決まっているからだと思う。
 飲み屋に入ってお絞りで顔を吹き、ジョッキをトリアエズ人数分頼んでから品書きを広げ、「とりあえずこんな所ね」と無事注文を終了した後まずは乾杯お疲れさん、という安心不動のおじさんパターンがある。
 カラオケもまずは曲リストが配られ、夫々無言でぱらぱらとめくりながらこの曲で行こうと心に決め、「まずは何々さん先頭バッターで」「じゃあ露払いを」とか「ぶちょー、いつものあれおねがいしますよ」とか「何々ちゃんこの曲一緒にどう」とか、詳しくは知らないがカラオケナイト突入の基本パターンがあるようだ。
 一度パターンが定着してしまえば、どんな恥ずかしいことでも、いずれ手垢に汚れて不感症の水戸黄門となってしまうのである。
 いわゆる関西の酒場である。もとい感性の墓場である。
 誤解しないで欲しいが、「生身の自分を表現することは恥ずかしい。でもどうしても表現して伝えたいことがある」という無意識の葛藤の中から出てくるものは、たとえ稚拙であってもみずみずしくも胸を打つものである。言葉にするとちょっと違うような気がするが、分かる人には分かってくれるだろう。
 例えば、酒焼けの赤ら顔の親父が最初テレ笑い、次第に満面笑みを浮かべながら歌う、手モミ頭打ち手拍子がミニマルミュージック風に段々ずれてく民謡はいい。とってもいい。
 もう一つ、ごく私的な事情だが、演歌が嫌いなのもカラオケ嫌いの原因だ。聴くだけでもいやだ。単純ペンタトニックのメロディ、変に西洋音楽に媚たにちゃべちゃコード進行、痙攣的歌唱法、暑苦しい歌詞、どれをとっても自分のメンタリティーと遠い。
 「けっ演歌が嫌いで何が日本人か気取りやがって」と苦虫を噛む人もいようが、ちょっと待って欲しい。これについてはいろいろと話があるので、日を改めて書こうじゃないの。
 カラオケがこれほどまでに蔓るのは良く分かる。最大の理由は、原始人が月を見て訳の解らないいたたまれなさに咆哮したときの快感、すなわち音楽の魔力であろう。 でも地球は回っている。カラオケは嫌いだ。
 今まで黙っていたが、実は私は「カラオケをなくして明るい街を取り戻す市民運動の会」(略称「カラオケ明るい街の会」)の会長を務めさせていただいている。
 この会はこの手の組織の中では割と穏健派に属し、「なるべくカラオケのある場所に近づかないように」という消極的反対の姿勢を運動の根本に据えている。
 また、「ビジネスがらみの席で場をしらけさせないために歌うのは仕方あるまい」という腰砕けな方針、言わば無抵抗主義を貫いて頑張っている。
 現在、会長の私と、副会長、会計、監査、書記、一般会員、用務員、合わせて総勢1名、全て私が兼務しており、会費の徴収もままならないという苦しい台所事情ではあるが、継続こそ力なれ、という気概で運動を続けている。
 入会希望者は入会審査を通過しなければならない。カラオケボックスに1時間閉じこめた後、アーンさせてのどの腫れをチェックしたり、金色のマイクロフォンを土足で踏ませたりと、それは厳しいものである。
 全ての審査をパスしておめでとうと乾杯した時、小指が立っていたために隠れカラオケがばれた者もいたし、話していると、男、女、一緒にと妙に息の在った掛け合いをする怪しい夫婦者も寂しく去っていっった。
 いずれにしろ嫌カラ権の獲得を当面の目標とし、さらに将来的には嫌屋外音楽権(札幌の都心で商店街放送をしないで欲しい。スキー場でユーミンをかけないで欲しい。朱鞠内湖で朱鞠内音頭を流さないで欲しい。全ての信号をせめてピヨピヨカッコーに変えて欲しい。など)の普及に向けて地味に活動していく所存である。