久しぶりに映画を見た。
 といっても映画館で見たわけではない。
 僕は映画館が嫌いだ。
 閉鎖的な空間に長くいると、息苦しくなって来るのだ。
 きっと小学校から延々と続いた教室での苦行が原因だと思う。
 教科書はもらって2、3日で読み終わり、すぐにいたずら書きだらけになった。あとはやることがなく、授業中は退屈で退屈で、いつも窓の外ばかり見ていた。
 この間ふと気がつくと、俺の部屋に貼ってあるのは窓のある絵ばかりだった。
 映画館で見たのは「アマデウス」が最後だ。あの時も4時間近くの上映中何度ロビーまで逃げ出したか知れない。ちっとも集中して見られなかった。
 そういう訳で、今はもっぱらレンタルビデオで見ている。このレンタルビデオも借りたり返したりが面倒だし、一旦借りてしまうと返却日までに見なくてはいけないという制約がいやで、見よう!と決意しない限りはほとんど借りない。
 でもやっぱり映画は好きなので、ロードショウで面白そうなのがかかると、レンタル化されて、さらに新作の棚から消えるまでじっと待つことになる。たいていそのまま忘れてしまう。
 去年この伝でジュラシックパークを借りた。恐竜は良く出来ていたが、ストーリーがあまりにばからしくて笑ってしまった。それ以来借りていない。あ、イッセイ尾形のビデオを借りたな。彼の札幌公演は何回か電話をかけたけどいつも発売開始と同時に売り切れだった。
 さてと。今年の正月に深夜映画をビデオ録画していたのを思い出し、この間見た。その話をしたかったのだ。
 それは「テス」。ちょっとその感想を書いてみよう。
 ストーリーは単純なメロドラマである。良くは知らないがいわゆる昼メロと変わらないレベルであろう。陰影もなにもあったものじゃない感じ。しかも無駄に長い映画だ。
 主演の女優は美人だけれども、ひどく大根だ。まるで主人公の内面の葛藤を敢えておくびにも出さないよう努めているかに思えた。助演陣も学生演劇を見るようだった。
 総じて「ドクトルジバゴ」たらんとしてしくじったという印象が残った。ドラマということに関しては、正直言ってよくわからない。たしかにインディージョーンズは面白いけれど、自分の性質としてどうしてもドラマに象徴性を求めてしまう。でもそれはむしろポエジーといった方がよいのだろうか。
 作家のアゴタクリストフもデビュー作を頂点にして次作以降次第に象徴性が崩壊していくように感じたものだ。
 批評家になるつもりは毛頭ないのでこのぐらいにしておこう。
 では、なぜそんな映画のことを書く気になったか。
 それはカメラが美しいからだ。うっとりするほど美しかった。舞台はイギリスだが、何かスラブ的な風景に思えた。それが、ドクトルジバゴを連想させたし、北海道人たる俺の感性に呼応するものがあった。
 ドラマでは得られない象徴性をカメラが雄弁に語っていた。
 ぬかるみの道、曇り空、森の恐怖と安息、初冬の畑の作物と働く女性たち、ミルクと干し草の匂い。
 やっぱりそれが映画なんだよな。でも最後の場面のストーンヘンジはやりすぎだと思った。
 いずれにせよ見終わって(ああつまらなかった)と思ったとたん、意外なほど感動していることに気がついたのだった。
 映画マニアから見れば僕などほとんど無知といってもいいだろう。ちょっとこれから色々見てみようかな。
 早速ビデオ屋に走り、竹中直人の「無能の人」を借りてきた。これはいい映画だった。
 原作のつげ義春が好きなせいもあるけれど、ドラマも映像も象徴性に満ち満ちていた。
 石を売る男、鳥になった男、キリコのような競輪場、走る寝取られ男、赤いコートの女、河原の風。夢の世界だった。竹中直人侮り難し。
 翌日、彼の第2作「119」を借りた。ついでに周防なんとかの「大混乱」も借りた。この監督は相撲ファン必見の「しこふんじゃった」の人だ。まずこちらから見始めた。
 ところでレンタルビデオは本編が始まる前に別の映画の短いコマーシャルが挿入されている。それを見て驚いた。「119」の紹介をしているのだ。ひょっとしてと「119」を見るとやはり「大混乱」の紹介をしていた。お互い仲間褒めをしてやがる。
 さて、「大混乱」は山崎努とイッセイ尾形のコメディーだ。まあまあ面白かった。気になったのは、画面というか空気ががテレビ的なことだ。ホントにこれは映画作品なのだろうか。まあいいや。
 いよいよ「119」の方だ。
 正直言ってがっくりきた。
 「無能の人」に溢れていた象徴性が影も形もなかった。才能は感じるけれど、ごくフツーの映画だった。やっぱりつげ義春の力だったのかなあ。
 書き出してから思ったけれど、映画の話って、詳しくストーリーを語っちゃまだ見てない人に悪いから、もどかしいな。
 ともあれ久々の映画鑑賞は楽しい。しばらく癖になりそうな今日この頃である。