ふと本屋で見かけた「ルビ文庫」。これは一見英語のペーパーバックだが,難しそうな単語の下に薄く日本語のルビをふっている。ちょうど学生時代,英語の教科書に鉛筆で訳を書いていたような感じだ。
英語オンリーだと疲れるし,対訳付きのものはついつい日本語を読んでしまう。
これこそ求めていたものだ。
ラインナップはまだまだで,ホームズものとか,O・ヘンリーとか,今さらちょっとなあ,というのがほとんどだった。
唯一ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ「初秋」が興味を引いた。このシリーズ気にはなっていたがまだ一冊も読んでなかった。早速買い求めた。

実際読んでみるとこのルビ文庫,なかなかいい。最初のうちは日本語ルビにばかり目がいってしまうが,英語のリズムが取れてくると,どうしても分からないところだけ目を凝らしてルビを参照するようになる。ルビは小さくて薄いのでちょっと遠目で見ると気にならない。
英語だけだと,僕の能力では,分からないまま肝心の所を読み飛ばしたり,辞書を引いて流れが中断したりする。しかし,これだとスムーズに読めて,ストーリーに集中できた。
原文のニュアンスを味わえるのがいい。

さて,「初秋」だ。
離婚して,相手を傷つけるだけのために息子を奪い合う夫婦。何事にも関心を待たず,意志も持たず肩をすくめるだけの痩せた少年。
親権を持つ母親が息子を奪われ,タフな探偵スペンサーを雇う。子供を取り返した彼は、ビジネスを超えて少年を自立した大人へ脱皮させていく。

ボストン近郊の美しい自然の中で,スペンサーと少年が父と子のように心を通じ合わせていく課程が,この小説の核だろう。
良きアメリカの父子関係がそこには濃密に感じられる。強い親密な父と,後継者としての息子。
今のアメリカでもきっと失われているものであるからこそ,それが主題となりえるのだと思う。
実の父が愛情もなくこざかしい保険屋として描かれており,赤の他人のスペンサーに父性の役割を負わせている,この2重の父子関係こそ,現代性への保険であり,作者のセンスだろう。

もちろん,日本の父子関係には過去も現代もそのような関係はあり得なかった。
強い父はいたが,巨人の星の一徹,飛雄馬親子のような厳格な職人的相続関係であり,その一方はかつてのニューファミリーのごとき平板な友達親子である。

この違いは,文化史の違いもあろうが,根元的なところに遡ると,父親というより生物の雄としての圧倒的強大さが彼の地の父子関係を規定しているのだろうか。男女関係にもいえるが,それとも西洋的父系社会の民族史のなせる技か。
スペンサーの悪党への容赦ない暴力がそれを示唆しているように思われる。

繰り返し語られる自立,独立といった概念も,我々の精神とは未だに遠いことを思い知らされる。

ともあれ,スペンサーや恋人,友人の生き方,厳しい暖かさ,自然の美しさと少年の成長が絡み合って,心の深いところを掴まれる物語であった。

ただし,全てに趣味がいいスペンサーも,まずそうな食事とビール一辺倒がアメリカ的。