友人と、酒を飲んでいて、ちょっと悲しい話を聞きました。
 友人の知り合いに、ある地味なおじさんがいたそうです。以下は彼の物語です。
 その人は、小さいころからあまり目立たず、学業も運動も平均的で、学校を休まないのが唯一の取り柄と言えば取り柄でした。
 しかし、動物が好きで、家では犬と鳩を飼っており、学校でも一生懸命うさぎの世話をしていました。そのうさぎが死んだときには、裏山の秘密の場所に行って一人で泣いたそうです。
 親は自分が貧乏な家庭に育ったせいで尋常小学校しか出れなかったことを悔やんでおり、子供に事あるごとに勉強していい学校へいけと説教しておりました。また、おとなしい性格の彼は、小中学校を戦中戦後の混乱期に小さくなって過ごし、特に何かになりたいというような目的意識もなかったため、こつこつと勉強して大学に行くことになりました。
 しかし、入学しては見たものの、学問に秀でた能力がある訳でもなし、遊びまわるほどの勇気もなし、講義には欠かさず出席してノートだけはきちんと取っていましたから、それ目当てに近づいてくる者はいましたが、取り立てて仲のいい友人もおりませんでした。
 4年間、ずっと同じ下宿に住み、そこのおばさんのことを「母さん」と呼んで世間話をたまにするのが彼の数少ない楽しみだったそうです。
 休みの日などもなんとなく過ごし、ごくたまに映画を見に行くぐらいでしたが、ある時映画館のトイレの前でスケ番に取り囲まれ、有り金をすっかり奪われてしまいました。
 彼は中肉中背で生来の人の良さがそのまま顔に出ており、なんとなく恐喝されやすいタイプだったようです。
 愕然たる想いで映画館を後にしましたが、何よりも女に脅されたということがショックだったみたいです。
 また、彼の通学路には私鉄の踏切があるのですが、ある日帰宅途中にこの踏切をぼんやりと渡っていますと、向こうから学生服姿の中学生が歩いてくるのに気がつきました。たいして気にも止めずすれ違おうとした時、突然「お金貸してくんない」と声をかけられたのです。
 まさか冗談だろうと薄笑いを浮かべていると、いきなり胸倉を掴まれて大声で脅され、踏切の真中で有り金を全部差し出してしまいました。
 この時は、中学生にまで馬鹿にされたということで、部屋にかえって一人で悔し泣きし、次の日入学以来初めて学校をさぼったようです。
 これはかなり心理的な外傷となったようで、今でも電車がその踏切を通ると、胸苦しい気分になるということでした。
 勿論と言ったら失礼でしょうが、ガールフレンドがいるはずもなく、学生時代の印象はカツアゲされたことぐらいしか残りませんでした。
 さて、就職も学校から紹介された自動車部品関係の中堅メーカーになんとなく決まりました。
 目から鼻に抜ける才気煥発型ではなく、地道にこつこつ積み上げるタイプであることは自分でよく分かっていたので、総務畑に配属になった時にはほっとしたようです。
 数年後には上司の勧めで何度か見合をし、同郷の女性とめでたく結婚することとなりました。
 彼の名誉のために言っておきますが、ちょっと小心者で、これといった個性があるわけでもなく、平凡を絵に描いて額に入れて物置の隅にしまいこんだような性格の彼ですが、小さいころ動物が好きだった心根そのままの、やさしい暖かい人だったようです。
 奥さんも、そのような彼の尻をたたいて責めることもなく、一男一女をもうけ、年月を重ねるうちには、良くあるような小さな小波は立ったものの、幸せな家庭を築いてきました。
 仕事の方でも同期入社組にはほとんど追い越されましたが、その着実な働きぶりが長い時間をかけて認められ、定年まであと何年と指折り数える年齢となったころには何とか総務課長となることができました。
 気鋭の部下にとっては少々物足りなく、陰で馬鹿にされたりもしていましたが、その性格ゆえに社内では概ね好意と信頼をもって評価されていたようです。
 ある秋口の晴れた日の午後、彼は、そろそろ薄くなった頭をさすりながら、平凡ながらも幸せな人生を噛み締めておりました。(女房は決して美人とは言えないけど、よく出来たやつだし、今度温泉にでも連れていくか。娘はあんなに早く嫁に行くことはないのにと思っていたが、カズシゲ君はちょっと気がつかないところはあるけれど、思っていたよりまじめな好青年で、娘も幸せそうだ。まずは安心ということかな。息子のやつも中学のときにはグレかけてあの時はずいぶん悩んだものだが、こんぴゅーたーのぷろぐらまーになりたいとか言って真剣に勉強しているようだな。ウチの会社もどんどんOA化されているし、こないだの幹部研修でも大学の先生、味噌口さんとかいったっけな、これからは有望な産業だと力説していたから、私にはよく分からんが、いいのではないかな。いてて、今日はちょっと偏頭痛がするな。さてと、3時にえーと近藤商事さんだったっけ。)
 ところで彼はどこにでもある地方都市の生まれですが、その地方は内陸部にあるため、昔から青菜の漬物を初めとして魚や野菜など各種の塩漬けが名物となっております。
 名物に旨いものなしというとおり、たいしておいしいものではないのですが、この地方の食卓には欠かせぬものとなっており、今でも季節になると婆さん連中がどこにこんなに居たのかというぐらい各家庭の庭先に姿を表わし、夕日が街中の空気を赤く染める時間まで野菜などの漬物造りに精を出す光景がみられ、晩秋の風物詩となっています。
 そのため、彼も子供のころから毎日欠かさず漬物を食べ続けていました。
 戦後の食料難の頃は雑穀に漬物のみじん切りを混ぜ込んで増量し何とか飢えをしのいだものです。
 それに比べて最近のグルメブームを苦々しく思っていた時期もありましたが、平和で豊かな証拠かなと割り切ることにしていました。
 そういったわけで、今でも、夕餉の食卓には必ず漬物が添えられ、他のおかずもどうしても味付けの濃いものが中心となってしまっていました。
 会社の食堂でとる昼食も何か一味物足りなくて、ついついたっぷり醤油やソースをかけてしまうのでした。
 さて、近藤商事のワカムラ営業部長と面談中彼は一言二言意味不明の言葉をつぶやいたかと思うと、突然倒れてしまったのです。
 会社中大騒ぎの末病院に担ぎ込まれましが、軽い脳溢血だったようです。
 幸い措置が早かったため大事に至らず、ちょっと舌がもつれる程度の軽い後遺症で済みました。
 争い事が嫌いでだれにも迷惑をかけずに生きてきた彼のことですから、非情な死神もちょっとホロリとしたのかもしれません。
 しばらく入院した後、自宅療養ということになりましたが、そもそも塩分の取りすぎが良くなかったと医者に指摘され、食餌療法をとることを義務付けられました。
 最初のうちは、何を食べても味気なく、夜な夜な漬物にかぶりついては醤油をがぶ飲みする夢にうなされたり、テレビの大相撲中継で水戸泉などが塩をぶちまけるのを見ると、無意識に身震いしたりもしましたが、奥さんも一緒に塩断ちして努力したせいか、徐々に薄味にも慣れ、今では素材そのものの持つ旨みにも気がついて安穏な日々を送れるようになりました。
 体から塩気が取り除かれていくのが実感できると、見舞いに来た部下に述懐していたそうです。
 会社の方も休職扱いとなって、一応復帰の道は残された状態にしてくれましたが、組織ですからいつまでも温情にすがるのは申し訳ないと、入社以来無遅刻無欠勤を唯一の誇りとして働いてきた彼は内心焦りの気持ちを無理矢理押さえている状態でした。
 しかし、定期的な検診の結果は一進一退で、医者からは気長に続けるようにいわれ、まあ一朝一夕で全快という分けにもいくまいと、彼もついに観念したのです。
 そんなある日、夏とはいえ暑い盛りは過ぎたころ、体の方も調子が良くなってきたこともあり、彼は海辺の町に住む弟の家に遊びに行くことにしました。
 奥さんも久しぶりの遠出ということで娘にもらった水玉模様のワンピースを着て、3段折の黄色い日傘を差しながら、うれしそうに付いていきました。
 小学生の甥や姪たちに一通りお土産を渡し、ひとしきり近況報告をし合って、その日は泊まることにしました。
 翌日みんなで海に行くことになり、彼も適度な運動を医者から奨められていたので、子供たちと一緒に軽く泳ぐことにしました。
 浜辺に行くと、さすがに日差しはまだ強く、じりじりと肌を焼きましたが、暗い気持ちで毎日を過ごしていた彼にとっては却って心地良いものでした。
 海水浴客も結構いて、あちこちからあがる歓声が高い青空へ吸い込まれていきます。
 子供たちは着替えを済ませるや否や先を争って海に飛び込んでいきました。
 彼と弟も子供のころ一緒に川で泳いだことを思いだして、笑いを含んだ目を合わせ、一泳ぎしにそろりと海に入っていきました。
 薄くなった頭髪を苦心してセットしたのを海につけるのがちょっとためらわれましたが、強い日差しと、ひやりとまとわりつく海水が彼を素直な気持ちにし、ざんぶと顔をつけて泳ぎだしました。
 あたりの音がかき消え、自分の呼吸音だけが耳に入ります。遠くに日傘を差した妻の姿が小さく見えます。しばらくそうやって泳いでいましたが、病み上がりのことゆえ息が切れてきました。このぐらいにしとくかと岸辺に向かおうとしたその時です。
 左足のふくらはぎがつって激痛が走り、彼はあっと思うまもなく海に沈み、あわてて浮かび上がっては又沈みました。意識が遠のいていくとき、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえたような気がしました。
 気がつくと浜辺に寝ており、心配そうな顔がたくさん覗き込んでいました。近くを泳いでいた弟が、異変に気がついて助け上げたのです。
 彼はちょっと笑みを浮かべると、また眠るように目を閉じ、駆け付けた救急車で近くの病院に運ばれていきました。
 健康な人ならば、溺れかけても幾日か安静にしていれば回復するところでしょうが、かわいそうな彼は、意識が戻ることもなく数日後帰らぬ人となってしまったのです。
 直接の原因はやはり脳溢血でしたが、引きがねとなったのは、何という事か、海水を大量に飲んだための塩分摂取過多だったのです。
 この話を語りおえた友人は、ひとつ溜息を付くと、目の前の焼き魚に醤油をドクドクかけまわしてかぶりつくのでした。
 これが本当の話かどうかは別として、私もそろそろ健康に関心を持たなくてはならない年齢になったのかもしれません。