表題:崩れ
著者:幸田文
出版:図書館で借りたため忘れた

 最近出版された「木」という著作の紹介記事を読んで、彼女の崖崩れや崩壊に対する不思議な好奇心に興味を持った。
 それで何軒か書店を回ったのだが、「崩れ」は置いていなくて、気になりながらもそのままになっていた。(注文すればいいのは分かっているが、本との出会いみたいなものが好きなのだと思う。)そのうちようやく「木」の方を見つけたが、本文が厚さ1センチ位で2千円。うーんと唸ってひとまず保留とした。
 もしやと思って図書館へ行くと、今度は「崩れ」があったので早速借りてきた。
 さて、その「崩れ」だが、文さんが晩年に見て歩いた全国の崩壊地のレポートを、死後に娘さんがまとめたものだ。
 彼女が思うには、心の中には種子がいっぱい詰まっていて、そのまま芽を出さずに終わるものもあればなにかの拍子に発芽するものがある。70歳をとうに過ぎたある日、崖崩れの現場を見てその惨澹たる風情に驚き、突然芽吹いたのが崩壊に対する好奇心であるという。以来なれないズボンをはき人に背負ってもらってまで全国の崩壊地を見て歩き考える。
 この本を老人の繰り言と大きく隔てているものは、テーマの不思議さ普遍性と、地盤崩壊の専門書まで読もうとする彼女の若々しい好奇心である。また、自在な文章は率直で生き生きしており素晴らしい。造語と紙一重で止まる想像力にあふれた表現は、やはり血だろうか。
 ところで、彼女の一貫した主張は"崩れ"が無残で殺伐として一遍の暖かさもなく、人間の営みを拒絶していて目を背けたくなるということだ。毛利さんが言った宇宙の姿を思い出さないだろうか。恐らく彼女にとっての母なる地球が樹木なのではないかと思う。このことによりあらゆる対立概念にまで想いを飛ばされるが、今日はここでやめておこう。「崩れ」と「木」はやはり対にして読まなくてはならないものと感じた。