横綱曙の姿を見ていて、遥か昔のオスマントルコに思いを馳せたのは私ぐらいのものだろうか。
 そのことを語る前に言っておかなければならぬが、ドンと机を叩かれて「おまえは相撲フリークだろう」と問い詰められたとする。私はカツ丼が出るまで耐え切れずコックリと頷かざるを得まい。
 相撲雑誌は毎月欠かさず購読して、お相撲さんのエピソードに微笑み、角界の権力争いに心を痛めているし、本場所中は毎日ビデオに収めスカッチ片手に深更まで観戦しては、贔屓力士の取組みで心臓発作寸前の興奮状態に陥るのが常である。特に初日などは朝10時から衛星放送で中継しているので、へたするとまる1日つぶれてしまう。困ったものだ。
 ここまで相撲の魅力に取り付かれたのには、私の場合きっかけがある。
 もちろん、子供のころから相撲は日常生活の風景の一つとしていつも傍らにあった。夕暮れに遊び疲れて帰ると、白黒テレビの相撲中継にかぶりついて見ていた祖父の後姿と耳の形。大鵬の全盛期だったろうか。柏戸の方が好きだった。
 長じても、五月のポプラ並木の風で揺れた女の髪とか、市場の裸電球の下で親父のがらがら声にじっと耐えている秋刀魚の白眼とか、銭湯帰りの凍った髪の音とオリオン座とかと同様に、相撲もまた世界の背景のステンドグラスの一片であった。
 しかし、相撲好きというと何か年寄りじみたイメージがあり、一時期テレビをほとんど見なかったこともあって、特別な関心を持つにはいたらなかった。
 それでもあの日航機墜落事故のときには、九ちゃんや名も知らぬ人たちもさることながら、やさしい大関清国の妻子が犠牲になったことに心を痛めたりはしてた。
 それが、何年前だったろうか、週刊文春が張った八百長相撲のキャンペーンの記事を人に勧められて読み、へえ、こんなことってあるのか、と非常に興味を持った。
 どの力士が注射(白星の買取りもしくは借り)可能で、どの部屋がガチンコ専門(八百長拒否)かという情報がまとめられた一覧表があり、そこでこれを片手にじっくり見てみた。
 始めは力士の名前もあまり知らなくて、言われてみればそんな気もするかな、という程度だった。しかし、千秋楽に近づくにつれ、うーん、これはやはり何かあるぞ、という確信となっていった。
 そうやって何場所か一覧表片手でシニカルに観戦しているうち、力士の四股名も頭に入り、気がつくと贔屓力士の取組みで手に汗を握っていたりするのであった。例の一覧表もいつの間にかどこかへ行ってしまった。相撲世界の懐の深さにがっちりと組み止められてしまったのである。ミイラ採りがミイラになった訳だ。

 ミイラといえば昨年大英博物館で初めて本物とご対面した。
 古代エジプト人の干物と言ってしまえばそれまでだが、数千年の時を超えて横たわる彼ら彼女等を眼前にすると、生前の姿がまざまざと思い浮かんで身震いしたものだ。
 古代エジプトにアメンホテプ4世という興味深い王がいる。
 彼はあるとき何を思ったか唐突に一神教を創始する。何千といた他の神々を一切否定して唯一太陽神アトンのみを信仰の対象としたのだ。
 当時は多数の神々との祭事を司る神官逹が王と並ぶ絶大な権力を持ち、王朝の守護神であるアメン神を最高の神として祀っていたから、神官たちとの軋轢故に王が新しい神をあがめたことは想像し易い。
 しかし、一神教という発想は当時の世界のどこを見回しても見当らない突飛で独創的なものであり、今もって古代エジプト最大の謎とされている。
 現在の代表的な一神教はキリスト教とイスラム教だが、これに影響を与えたのは一方でペルシャのゾロアスター教だと言われている。しかしこれはもっと後に起こったものだ。
 このゾロアスター教は、確か神と悪魔、天国と地獄など善と悪の対立概念の産みの親でもあったはずだ。ついでに言えば、盛唐期の中国にも、ネストリウス派のキリスト教などと同様に落ち延び、遣唐使によりわが国にも紹介されたと思う。ゾロアスター教は一名拝火教とも呼ばれ、太陽とともに火そのものを信仰の対象としていたので、日本各地の火祭りや、真言密教などの絶やさざる炎などにも影響を与えたのかも知れない。オリンピックの聖火や広島の平和の火を見て感慨にふけるのも悪くはあるまい。
 ともあれこの王様は自らをイクンアトンと称し、てアトン神のみをあがめ、唯一神のもとでは全て平等だと言う考えにより、奴隷は開放され、教育が普及し、動物は保護され、ミイラは禁止され芸術は栄える。奥さんのネフェルティティは胸像が残されているが、これを見ると現代でも通用する美人である。信じられないような不思議な自由社会が作り出されたのである。
 次の王もツタンカアトンと命名された。しかし、この早すぎた一神教は神官たちの巻き返しで一代限りのものに終わり、アメン神の復権とともに王の名もツタンカアメンに変えさせられた。心労のあまりかどうか知らぬが若死したこの王は、発掘されて以来、うっぷんを晴らすかのように呪いをかけまくり、健在ぶりを示しているのはご同慶の至りである。
 この時、一神教の信者たちも迫害を受け、故郷を追われて放浪の旅に出た。そのうちのある一団は安住の地を求めて艱難辛苦の末紅海を渡りカナンの地に定住することとなった。これが伝説化して旧約聖書の出エジプト記となったとフロイト等は言っていている。

 さて、エジプト王朝の最後の女王と言えば誰だっけ。ええええっと、そうだエリザベス・テイラーだが、彼女を自殺に追いやったローマにもとんでもない人物がたくさんいる。
 ベンハーでお馴染の戦車競技場の跡がローマ市に残っており、去年思いがけず見ることができた。幅はせいぜい数十メートルぐらいのものだが、長さは何と2キロメートルもあり、20万人が見物出来たとガイドが言っていた。端からもう一方の端を見ると、ぼんやり霞んで良く見えないほどだ。
 ほとんど音も聞こえず遥か遠くに豆つぶのように見える土煙が、次第にふくれ上がり、ついには狂人のように鞭をふるう戦士の飛び出た眼球や、恐怖に駆られ歯を剥き出した馬の蹄と車輪の轟音が目の前を疾走するとき、古代ローマ市民の体はアドレナリンの内圧で破裂しそうだったに違いない。
 何人かの現代人が今ではのんきにジョギングしていたが、ここを10周すればフルマラソンになってしまう。
 岩波文庫のローマ皇帝伝を読むと、ネロだとかカリギュラだとかマルクス・アウレリウスとかの有名人もそれぞれに興味深いが、私が最も魅かれたのはハドリアヌス帝である。
 何故かを話し出すとこの文章はもはや収拾不可能となってしまうので、簡単に済ませよう。一口で言うと、彼の人格的複雑さに何か近代人の臭いを感じるからだ。なぜこの時代に、という問いが何となく引掛かるのである。

 それはさて置き、私が最も尊敬している作家の一人は塩野七生である。いや、むしろ一ファンであると言った方が当っている。彼女の作品にはいつも非常にインスパイアされる。
 子供の名前にも密かに1字貰ったくらいだが、奴はまだ知るまい。
 その彼女が、最近ライフワークとしてローマ史に取組み始めた。これで私もジンセイの楽しみが一つ増えたというものだ。
 彼女の作品に地中海3部作とも言うべきものがある。「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」の3つである。
 1453年オスマントルコ帝国がハドリアヌス帝の都という意味のアドリアノーポリを拠点としてコンスタンティノープルを攻略し、東ローマ帝国を滅亡に追いやったのに始まり、最後の十字軍ともいえるロードス島の聖ヨハネ騎士団の孤軍奮闘を経て、ヴェネツィアを中心とするキリスト教連合軍のレパント沖でのトルコ海軍に対する勝利まで、続く大航海時代に先立つキリスト教世界とイスラム教世界の確執と、地中海時代の終焉を見事に描いたものである。これらの物語の片方の主役であるオスマントルコは今世紀の第1次大戦後まで約600年余りも続いた国だ。
 話は飛ぶが私はハンガリーの大草原に特別の思い入れがある。
 子供のころ何度も夢で見る景色が2つあって、あるときハンガリーの写真を見てこれだ、と思ったからである。もう一つは何故か四国だった。
 私の祖先はモンゴルで馬に乗っていたと遺伝子がささやくから、草原や草いきれに感じる懐かしさは納得できる。でも四国っていうのは何なんだ。両方とも行ったことはないが、いつかは訪れてみたい。
 ハンガリーも昔は樹々の生い茂る豊かな土地だったらしいが、400年前のオスマントルコの侵略で草木一本残らず焼き払われ、それ以来大草原となったのだと何かで読んだことがあった。
 この恐怖のトルコ軍の中核をなすのは、イエニチェリ軍団という緑の帯の近衛兵である。
 戦闘のときには最後尾に配置され半月刀を振りかざし、怖じけづいて逃げ出す味方兵士を容赦なく切り捨てたという。兵士たちは敵に対するのよりイエニチェリ軍団への恐怖心から、敵陣に飛び込んでいったという。
 この泣く子はだまる前に殺されてしまうというイエニチェリ軍団の戦士達はいったいどのような者たちだったのだろうか。
 これが驚くべきことに、全てもとキリスト教徒なのである。
 トルコが征服した土地では信教の自由は保証されたが、キリスト教徒には男子を差し出すことが義務付けられた。こうして集められた者達は妻帯を許されず、イスラム教に改宗させられイエニチェリ軍団の構成員として育てられる。
 彼らはもとキリスト教徒だったという負い目があるからこそ、狂信的なイスラム教徒となり、死をも恐れぬ神の軍団となるのである。
 トルコ人は本能的に負い目と忠誠心との相関関係に気付いていたのだろう。
 この相関関係に着目すると色々な応用が出来る。例えば第2次大戦中のアメリカ軍で名を馳せた日系人部隊の勇猛さは直接的な例だし、ちょっとやばい例を挙げると学生運動から寝返った団塊の世代の人たちが、必要以上に体制的なのも...わあああ怒らないでくれえ。
 はあ、はあ、はあ、取り乱してはあ、失礼。
 でもこの人事管理の方法は、現代人が勝ち得てきた価値観が正しいとするならば、人の弱みにつけ込む非常に汚いやり方だ。

 そこで思い出して欲しいが、曙だ。
 ああ良かった。エジプトまで遠征してしまって一時はどうなることかと思ったが、やっと本題に戻ってこれた。
 もう読者諸賢ならば何を言いたいかはお見通しと思うが、外国人横綱云々、横綱の品格云々の議論の中にこのイエニチェリ論理が見え隠れしないだろうか。
 感受性豊かな青年である曙は無意識にそのことを感じだのだろう、「外国人横綱と言う見方ではなくて、一人の力士として見て欲しい」と事ある毎に強調していた。
 その言葉自体いかに無言のプレッシャーを受けているか、そして健気にそれを乗り切ろうとしているかを表している。立派なものだ。
 きっと小錦は頭が良すぎたのだと思う。
 日本人以上に日本人であることを求めるのは、やめようではないか。少なくとも彼らは転向者でも裏切り者でも何でもないのだから。
 例えころころ負けても、一旦惚れ込んだ以上応援するぞ。曙、頑張れ。ついでに琴の若もいい加減本気出せ。