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5月5日(木) こどもの日
客用の和室で目が覚めて思い出した。たしか前に来て泊めてもらったときに、この部屋の窓の障子に小さな穴を開けてしまった。当時新築だったので随分Nさんにボヤかれたっけ。
しげしげとその部分を点検したが、穴はないようだ。あれ、記憶違いかな。
寝ぼけ眼で起き出し、既に早起きしてテンションも高いNさんにその点を聞いてみる。最近障子を張り替えたとのことで、それまで確かに穴は開いており、見るたびにボヤいていたと、またボヤく。
Nさんが朝食にうどんを作ってくれた。ケツネうどんだ。
僕もNさんに教えてもらった流儀でいつもうどんを食べている。それは冷凍うどんを使うこと、つゆはヒガシマルのうどんスープ、あとは天ぷらや揚げなどのトッピングを好みで。
この簡単な組み合わせ、Nさん風なのか関西スタンダードなのかは知らないが、冷凍は麺の腰があり、出汁が勝った薄口スープもシミジミとして、やめられない。
箱根を遙かに越えた最果ての地北海道では、小さい頃から家庭で馴染んだ”黒いスープに腰のない生麺”しか知らずに死んでいく人がほとんどだから、余計この味に気がついたことの有り難さを感じる。下手なうどん屋で食べるよりずっと美味しい。
この朝Nさんが作ったうどんには、大きな油揚げのほかに梅干しが一個入っていた。
「この梅干し一個で、高級料亭のうどんになるんやで。びっくりするで。」
昨日一人でワインのボトル一本空けた体に、熱々のうどんと梅干しの酸味がジンワリと染み込んでいく。
たしかに、Nさんの言うとおり、梅干し一個でいつものうどんに何か上品な趣が添えられて、嬉しい。これで和服のお姉さんでも傍らにいてくれれば、言うことはないのだが、あるのはNさんの手柄顔のみだ。誠に残念。

ベランダに出てもう一度事故現場の方を眺めてみる。報道で何度も見た現場のマンションが近くに見えた。毎日献花の列が出来ているという。僕もここから犠牲者の冥福を祈る。

今日はバイクを置いて京都に行くことにした。昨日飲みながら何となくそんな話になったのだ。
まず、JRで京都に向かう。阪急の方が安くて便利らしいが、僕は一度京都駅ビルを見ておきたかったのだ。
ほどなく京都駅に着き、初めて目にする駅ビル。設計者の原広司は札幌ドームの設計も手がけている。
内部空間の第一印象は「抹香臭い」、「割と狭い」というものだった。ガラスや鉄骨をふんだんに利用した現代的な建築なのに、色彩や空間の区切り方で、何かしらこせこせした京都的なものも感じた。
ただ、札幌ドームの内部も「裏側」的暗さがあるから、この設計者の単なる手癖のようなものかもしれない。ひととおり上がったり下がったり、空中歩廊を歩いたりしてみる。特にそれ以上感じるものはなかった。




観光バスを前にして、どこへ行こうかと思案する。今日も暑い日になりそうだ。じゃあ涼を求めて嵐山にでも行こうか。
さっそくバスに乗って嵐山へ向かう。久しぶりの京都の町並み。中庭が広そうな民家の造りとか、やはり独特だ。
バスを降りて、渡月橋に歩いていく。桜の季節は既に終わり、紅葉は遠い。しかし、さすがゴールデンウィーク、観光客がいっぱいいる。
ひとまず、京都への挨拶がてら抹茶ソフトを買う。以前Nさんは網走刑務所のソフト売り場のねーちゃんを脅し、クリームを底までびっちり詰めさせた上、一巻きおまけさせたっけ。
年のせいかそのころの勢いもすっかり薄れ、くたびれた壮年になったNさんと、決して人のことはいえない僕が、嵐山を見上げながら抹茶ソフトを食べたべ渡月橋を渡っている。


川面には木の葉のように沢山の船が浮かんで、嵐山の影を揺らしている。
緑は濃く、背後の青空を日光が白っぽく晒している。
風も止んだ。
観光客のざわめきが遠ざかる。
その一瞬、全ての風景が静止した。


ぼくらも船遊びでもしてみようか、と料金表を見ると、2人で1時間3500円、てことは一昨日僕が泊まったホテル、しかも朝食付き、と同じ値段じゃないか。そう考えるとアホらしくなって、止めた。
しばらくぶらぶらした後、人力車などを眺めながら、Nさんのたっての希望でたこ焼きを食べる。関西人の粉好きにはいつも驚かされる。


店をひやかしながら、京福電鉄の駅まで歩く。
京福電鉄は、大分前に初めて乗ったとき、時代物の古い車両で、車掌さんも公家さんのような人だった。それ以来すっかり好きになった。江ノ電に匹敵するほど。
今回は近代的な車両だったが、民家のすれすれを通ったり、路面電車のように一般道を走ったり、十分面白かった。僕の中にも確かにある「テツ」の血がちょっぴり騒いだ。


さて、次はどこへ。
京都は何度も来てお寺も随分見ている。三好達治の詩の舞台となった泉涌寺なんて、とても好きなお寺だ。是非再訪したいな。でもマイナーだしNさんは退屈しそうだしな。
そういえば清水寺には、修学旅行以来一度も行っていないことを思いだした。そうしよう。
またバスに乗り、清水寺へ。
参道の狭い坂を登っていく。何かのお祭りがあるのか、奉納済みの札が各家に貼られている。そして、いよいよ清水寺だ。
あまりに有名すぎて、テレビや写真などで見慣れているせいか、何十年ぶりに訪れたという感覚は湧かない。大勢の観光客をかき分けながら、清水の舞台で記念写真を撮り、飛び降りたらどんなもんか、下を覗き込む。
そこから、寺の名前の由来にもなった音羽の滝が見えた。行列が出来ている。そういえば、修学旅行の時は、並ぶのがいやで面倒であの水を飲んでいない。全てが面倒だったあのころ。西本願寺のお堂で昼寝して気持ちよかったことぐらいしか覚えていない。
じゃあ、今回は並んでみっか、とNさんと降りていく。






行列は4,50人ぐらいいたろうか。僕らはインド人一家の後に並ぶ。
3本の滝というか、水道の蛇口を捻ったぐらいの水流が落ちていて、その裏側のテラスのような張り出しに人が並び、柄の長いヒシャクで水を受けて、飲んでいる。
なかなか列は進んでいかない。
だんだん苛ついてきたNさんは、水飲み場を鋭い目で観察していたが、
「列がなかなか進まない訳分かったで」
と言い放った。
ヒシャクは水飲み場の後ろの方に10本ほど置かれているが、小さい穴のような所に差し込むようになっている。
水飲み場に着いた人は、そこから柄の長いヒシャクを取り出し、狭い場所で半回転させて水を汲み、終わるとまた人にぶつからないように半回転させて置き場所に突っ込む。狭いところに人が密集しているので、皆けっこう苦労している。
Nさんはそれが時間の無駄だ、不合理だ、と憤慨する。
ヒシャクを同じ方向で出し入れして水汲みをすれば、時間の節約になってスイスイ行列も進んでいくのに、ということらしい。
いや、銀行のキャッシュコーナーと違うから、ここは。合理的ならいいって訳じゃないから。とか、なだめる僕。
この滝の御利益が書いてある。
滝に向かって左が学問成就の水、真ん中が恋愛成就の水、右が延命長寿の水。
ようやく、僕らの番が来て、太ったインド人のオッサンの脇から柄杓を突きだし、一番近い延命長寿の水を飲む。
特に味は普通の水だが、何となく有り難い気もする。他の人に習い、ちょうど空になったペットボトルにも満タンに入れる。
Nさんはと見ると、欲張って3つ全部の水を飲もうとして、他の人と押し合いしている。


満足して、境内を歩く。
「全部飲んだったで。これですごい御利益や。」と得意のNさん。
そういう僕も、ペットボトルから、「御利益御利益」と言いつつごっくんごっくん水を飲む。


後日、ネットで調べたところ、3つ全部飲むと御利益は帳消しになるそうだ。
残念だったねNさん。
また、二口、三口飲むと、ご利益が二分の一、三分の一となってしまうらしい。
僕もペットボトルで20口ぐらいはゴクゴク飲んだから、ごくごく薄ーい御利益しか残っていないみたい。ぐっすん。
どれかひとつだけ選んで、一口だけ飲むのが正解らしい。
ま、欲張ってはいけない、という大事な教訓は得たな。
境内を出て、三年坂を下る途中の湯葉料理の店で昼食にする。
店内中央に大きな花瓶あしらったり、モダンな作りの店内で、会席料理風の湯葉尽くし弁当。健康には良さそう。
群馬県あたりから観光に来たオバサングループなら、後々まで思い出として大事に記憶しそうな店だった。
窓から見える隣家の壁に坂本龍馬の写真が掲げられている。何か縁でもあるのだろう。ぼくはあまり明治維新には興味を持てないのでよく分からない。維新て結局既成文化の破壊ではあっても創造的ではなかったと思うから。まあ、この辺あまり語るとマニアに取り囲まれ詰問されそうだから止めておくけどね。





満足して外に出ると、なにやら大原女や公家さんなどに仮装した行列が、だるいお囃子に合わせてゆっくり歩いている。やっぱり何かのお祭りなんだろう。でも行列の秩序は緩く、列の後ろの方は一般の観光客に混じってフェイドアウトしてしまった。


八坂神社に抜け、祇園の街に出る。
ここは有名な喫茶店だ、とNさんが指さす。ここらの高校生の背伸びデートの定番スポットらしい。
じゃあ今日もあの中は、いつもより幾分息づかいが荒くホルモン臭を放つ高校生カップルで一杯なんだろうな。そういえば建物も陽炎で揺れているな。
疲れた中年の僕は幾ばくかの悔恨混じりで想像する。


祇園の人混みの中を、強い日差しに目を細めながら日傘を差してしなしな歩く和服姿をちらほら見かける。そんなところが京都らしくていいなあ。
鴨川の橋から川沿いを眺めると、名物の「床」が並び、土手には鴨川カップルが見事に等間隔に並んでいる。

Nさんに案内されて先斗町の小路を歩く。
昔は「一見さんお断り」の高級料亭が並んでいたものだが、ご時世なのか今ではすっかり数が減って、誰でも床でハモを食べたり出来るようになってしまった。
まるで昔は高級料亭に出入りしていたような苦々しげな口調でNさんが語る。問いつめるまでもなく、もちろんそんな店には一度も入ったことはないと白状。

彼の後を付いて先斗町を抜け、アーケード街にたどり着いた。特に変哲のない地元の人のための商店街のようだ。
ぐいぐい先導するNさん。コーヒーでも飲もうかという話になったとき、じゃあ美味しいところ知ってるからと、連れて行ってくれるのだ。
その店に着いた。店先にコーヒーの焙煎機を飾ってある普通の喫茶店だ。確かに近頃スタバだのドトールだのに押されて、あるいは漫画喫茶などの影響か、この手の昔ながらの喫茶店が少なくなってきた。
Nさんは、知り合いのオバサンが「将来、純喫茶を開くのが夢」と聞いて、「純喫茶」の部分に大笑いしたそうだ。既に死語になっているのかもしれない。
店に入ろうとすると、満席だという。ほー人気があるんだ。折角なので席が空くまでしばらく外で待つことにする。


ようやく案内されて店内に入る。落ち着いたインテリアだ。サラリーマン、OL風や観光客風、学生など、なるほど満員だ。何かの雑誌で紹介されているのかもしれない。
Nさんの勧めるままに、コーヒーとフルーツサンドというものを頼む。フルーツサンドとはサンドイッチの具に生クリームとか蜜柑が挟んであるものだ。ここの名物という。初めて食べた。
実は、Nさんは学生時代に旅行会社で社員並にバイトしていた。その会社がここのすぐそばにあったという。そして昼食後によくこの喫茶店でフルーツサンドを食べたらしい。
食パンと生クリームって、食事かデザートか曖昧な食べのもだが、当時何の疑問も持たずデザートとして食べていたという。お好み焼きをおかずにご飯を食べる関西人のことだ。特に抵抗はないのだろう。


無愛想に注文の品を持ってきたオバサンにNさんが話しかける。
「覚えてますか」
「あーやっぱりどっかで見たことあると思ってたんよ」
「25年前です」
たしか当時からいた人だと思う、とNさんが懐かしがって声をかけてみたのだ。
それから二人で、共通の知人の話など、しばらく思い出話に花が咲いていた。
それを聞きながら、NさんにもNさんなりの青春があったのだなあ、と柔らかい気持ちでコーヒーをすする僕。
ところで、ここのコーヒーはものすごく濃くて苦い。
だいぶ日も陰ってきた。そろそろ帰らなくちゃ。
京都名物丁子屋のあぶらとり紙とか八つ橋とかお土産を買いそろえ、阪急電車で戻る。
久々の京都。何でもない町並みとか、店構えとか、人の表情とか、みな印象的だった。
のんびりした。
無駄話をしながら気楽に町歩きするのっていいな。
ほどなく電車は優雅な佇まいの京都を抜け、僕の気持ちも雑然と日常的な尼崎の風景へと溶解して行く。
駅を下り、Nさんに聞いて、一人で近くのスーパーへ行き、食料などを仕入れる。往路のフェリーで食料切れを起こした恐怖から、必要以上にタップリと買い込む。
高級マンションの最上階のNさん宅に戻るエレベータで、老夫婦に住人と間違われて挨拶される。にこやかに挨拶を返す僕。彼らは恐らく分譲価格が安いであろう中層階で降りていく。優越感を感じる俗物のオレ。って人ん家だから。
もう夜だ。そろそろ舞鶴に向けて出発しなくては。
地図でルートを教えてもらう。川西市の分岐点さえ間違わなければまっすぐ行けそうだ。
駐車場のバイクに荷造りして、エンジンをかける。
Nさんがニコニコ立っている。
Nさんには今回もお世話になったな。
彼と恒例のように毎年行っている海外旅行。今年はいつどこへ行こうかね。また楽しくやろうぜ。
「またね。帰ったらメールするわ。」
「ほんじゃ、気ーつけて」
バイバイ。
バックミラーに手を振るNさんが小っさく映ってる。
舞鶴を目指し、夜の町並みを飛ばす。
ほどなく川西市を通過。
案の定、道を間違えてることにしばらくたって気がつく。舌打ちして分岐点まで戻る。
あとは一本道だ。
次第に周りから都会的な喧噪がこぼれ落ちていき、裏日本の風情が色濃くなってくる。
僕の旅も終わっていく。
寂しいので頭を空っぽにしてアクセルを回す。
暗い道をひたすら走る。
走る。
夜10時半、見覚えのある舞鶴のフェリー乗り場に到着した。
手続きを終え、11時半に乗船。0時半に出航。
二等寝台部屋の一番奥のベッドだ。快適。
たっぷり買い込んだ食料とお酒を広げ、一人で宴会を始める。
さすがに疲れているようで、一気に酔いが回ってきた。
最後の夜だし、もっと余韻を楽しみたい。日記もつけなくちゃ。
でも、ほらご覧、白い枕が手招きしているよ。
顔を洗って歯を磨いてさっぱりして復活。
しかしそれももつかの間。
抵抗むなしく、僕の意識は暗い日本海の底へと引きずり込まれていく。
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