千と千尋の神隠し

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久しぶりだ。
このところ仕事一色、時間の余裕がなかった。モノトーンの生活。
それも先日ようやく一区切りついて、今日は春の匂いがして、暖かい気持ちの今夜。

午後、映画館に行って「千と千尋の神隠し」を見た。
ビデオ化されて新作が取れて、1年後ぐらいに見ればいいやと思っていたが、付き合いで見る羽目になったのさ。
引き込まれて、あっという間に時間がたった。
物語の象徴性という面では、僕は前作の「もののけ姫」の方が高いと思う。
つまり、「千と千尋」はストーリーで何かを伝えよう、というものがほとんど感じられない。
もしかすると、何かの意図があるのだろうけれど、それは伝わってこない。
しかし、「油屋」という巨大な旅館が、リアリティーの高い「世界」を形成していて、その「世界」そのものがこの映画の主役であった。それに、樹々、海、光、街、風、空、夜、灯火、建物、触感、の描写における想像力の洪水。その前にはどんな「意味」もいらない。
打ちのめされそうになった。
チャン・イーモウ監督で「紅楼夢」というのがあって、これも物語よりも、紅く彩られた閉鎖世界の暗い妖しさが、トラウマのように忘れられない映画だ。
しかし「千と千尋」の底流ははあくまで健康的で明るい懐かしさだ。後味がとてもいい。
まだ見てない人は、素直に映画館へGo!

でも僕はつげ義春の方が惹かれるかな。

個体発生は系統発生を繰り返す

再生の朝,アポロンが金の馬車に鞭を入れ天空の高みへと昇ろうとする頃,僕は緑色のアメーバとして目が覚める。
混濁した意識で家を出る時には,1匹の小魚だ。群が一斉に方向を変えると,僕も追尾している。未分化の安寧。
職場に着くと,無理矢理人工温熱器に入れられた爬虫類になって、無駄に走り回る。
昼,餌を囓っていて,ふと原始的な自我に目覚める。胎児の記憶。
次第にいらついたネズミあるいはふてぶてしい象として午後を過ごす。
いつしか小賢しい猿の私は、酒で真っ赤に興奮して帰巣する。
ようやく人間となって呆然とし、歯止めの利かぬ高加速度回転の頭脳は病的な現代音楽若しくは発散した抽象絵画の袋小路で彷徨う。
ついに、巨大な夜の鐘の音が鳴り響き,蒼ざめた馬に導かれ、奈落の眠りに落ちてゆく。
これが僕の日常。

耳の楽しみ

自分の時間が1日2時間位しか持てない非人間的な毎日が続くと,その時間は頭を使わずワインでも飲んでぼけっとしていたい。

そんなある日,酔眼で部屋を見回してフト気がついた。僕の部屋ってばスピーカーが9個もあるじゃないの。
2個はパソコン用,2個はミニステレオコンボのもの。サブウーファ1本。以上が現役。残りは旧式ステレオセット付属の一本35キロあるどでかい奴が2個。これは本棚の土台となっている。もう2個は学生時代に惚れ込んだヤマハの名器・・・の子分の小型スピーカーNS10初期型。埃だらけで,コーンにもちょっと黴が生えてる。20年以上前のものだから人間で言えば80歳ぐらいにはなるかもしれない。もうとっくに隠居の身分だが,何だか捨てられなかった。

それを見ていて、これだけあれば最近はやりの5.1チャンネルシアターセットができるのではないか,とひらめいたのだ。DVDプレーヤーをミニコンボにつないで見ていても何か物足りなかったし。

さっそく,インターネットで調べ,あれこれ考えた上,先週の休日にAVアンプを買った。ヤマハの一番安い奴。税込み2万6千円。それと,センタースピーカーDENON6千円。
コンボのスピーカをフロントとウーファにし,ヤマハのロートルスピーカをリアにして,めでたく完成した。いいのだ,どうせTVも安物だし,部屋も狭いし。
複雑怪奇だったビデオやミニコンボなどの接続もすっきりとした。今まではDVDを見ようとした場合,DVD,テレビ,ビデオ,ステレオの電源を入れ,それぞれ設定
を合わせる必要があったのだ。

さっそく,借りてあったDVDの歴史物(グラディエーター)をスペクタクル音場で見た。気持ちよかった。感動した。(映画はモヒトツだったが)

以来,ワインを飲みながら臨場感たっぷりの音響でオリンピック中継などを眺める毎日だ。やっぱりぼけっとね。

耳の楽しみ,ということについて,久しぶりに思い出している。

でも,でっかいスピーカーは結局活かしてやれなかったなあ。恨めしそうにこっちを見てるよ。

リトルチュン

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「リトルチュン」という映画を借りて見た。
フルーツチャン監督。前に「メイドイン香港」という作品を見て、退屈だったので、期待してなかったが、意外と引き込まれた。何のことはない、返還直前の香港の日常を子供の目を通して描いているだけだが、なんて言うかな、本当に僕も何日か香港で過ごしたような気分になる自然さがあった。
(何か切ないけれど)、父ちゃんは厳しいけれど、母ちゃんは麻雀狂いだけど、大好きな婆ちゃんは死んじゃったけど、母ちゃん代わりのお手伝いさんも辞めちゃったけど、親友の女の子は強制送還されたけど、これが生活って分かってるよ。
なかなか撮れないよな、こんな映画、才能ないと。

で、TVに戻すと衛星放送で中国の重慶のバンバン(棒棒)の番組が流れている。
バンバンとは竹の棒を使って重い荷物を運ぶ、赤帽、宅配便みたいな職業で、重慶市民にとってなくてはならない運び屋だ。近郊の農村から現金収入を得るために出稼ぎにきているのだ。
ちょっとした買い物で、店からバス停まで客の荷物を運んだり、港から市場まで農家のおばさんが商品を運ぶのを手伝わせたり、100キロ以上の荷物を竹竿の両側に振り分けて担いで、たとえば30分階段を昇りづめで、50円とかの収入を得る。それでも米を作って売るよりずっとワリがいいらしい。皆生活に必死なんだなあ。重慶市の人口は3千万人だってさ。21世紀は中国の時代と言われるが、だんだん現実身を帯びてきたと感じる。

土曜の夜は「ダーマ&グレッグ」といういかにもアメリカ的なシチュエーションコメディをいつも見ていた。昨日もワイン片手に見ていると、3週ぐらい続いた夫婦の危機をようやく乗り越えたと思ったら、コメディーなのに、二人が乗っている車が夜道で突然現れた鹿を避けようとして、横転し大破したところで唐突に終わった。しかも今回が最終回とのテロップ。目が覚めた。
どうして?と放り出された気分で、試しにインターネットで検索してNHKの公式サイト見ても、何の情報もない。そこでファンのサイトを見つけ、チャットルームを覗くと、やはり大激論している。結局、次のシリーズがアメリカで放送されていて、2人とも無事であり、これは日本でも来年の春(!)に再開されるらしいということが分かった。NHKサイトを再び覗くと、シリーズはまだ続くことがトップページに書かれてあった、よっぽど問い合わせが多かったのだろう。ともかく安らかに眠ることができた。

先日も20年来引っかかっていた歌手のCDを注文できたし、インターネットの力は世界観を確実に変えていると評価したい。
でも、ジャンヌモローが歌ってディスク・デュ・フランセを取ったギター1本の伴奏のシャンソンアルバムは見つからない。どなたかご存じの方はメール下さい。

今夜はよく晴れていて、オリオン座が崇高に瞬いている。

五月の王

以前ミュンヘンの安ホテルに泊まったとき、部屋代の請求書の宛名に Konig Imai と書かれていた。
僕がチェックイン時に 本名のローマ字を筆記体で書いていたのを、読み違えたのだろう。
Konig(oはウムラウト)とは王様のことだ。ケ−ニッヒ。
そのことを人気のない深夜の大通公園を横切りながら思い出していたら、突然ひらめいた。
Imai って im Mai だ!
つまり Ein Konig im Mai 。
五月の王。
今調べてみると、5月祭というのがあってヨーロッパ古代からの異教的な祭りのようだ。大通公園にあるミュンヘンから贈られたマイバウムもその祭りのアイテムであり、関連して、ワルプルギスの夜とか「森に入った娘の10人うちの9人までが子供ができて戻ってくる」とか、かなり怪しい。
そして、この春の祭典とロビン・フッドが結びつけられており、彼は「5月の王」と呼ばれるそうだ。
というわけで、ワタクシは、本日より「5月の王」 Konig im Mai と自称させていただきます。
んなことより早く春が来ないかなあ。寒い。

夏至

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昨日プリンタのインクを買いに某電気店へ行き、ついでにDVDの「花様年華」を買おうかなと探していたら、トランアンユンの「夏至」が出ていた。
迷わずそちらにした。

「夏至」は昨年の夏、蠍座という映画館で見た。
僕は映画館(の閉塞感)が嫌いで、数年に1度ぐらいしか行ってなかったが、気になっていた「季節の中で」という映画を上映しているのを、ある日新聞で発見して、やむなく行ってみた。
そうしたら、小さくてちょっとレトロっぽい雰囲気で、しっくりくる映画館だった。
この映画も涙が出そうなほど感動した。それ以来、3本ぐらいだけど見た。
掛ける映画もこだわりがあり、2本立ての時は半額で1本だけ見られる。すっかり気に入った。
近所のビデオ屋も値上げしたし、映画館に持っていたマイナスイメージも変わったし、別に映画マニアじゃないけれど、いいのがあったら、たまに行こうと思う。

で、「夏至」だが、他にやることがあるし、ちょっと出だしだけでも見てみよう、と思ったら、結局引き込まれて最後までじっと見てしまった。そして、いい時間を過ごしたと感じて、余韻に身を任せた。
ストーリーはハノイの3姉妹を中心にした何気ない日常を描いたものだが、詩的で、哲学的で、官能的で、懐かしくて、美しい。ストーリーは単なる手段で、映像と言葉の音と音楽とが緊密に結びついて、多様で深いエモーションが喚起させられる。やっぱり小津的だ。

「青いパパイヤの香り」「シクロ」そして「夏至」と、結局トランアンユン監督の全作品をDVDで買ってしまった。
おまけのメイキングで初めて見た監督の姿は、小柄なボウズ頭の青年だ。アクティブで繊細で、若い僧侶のようだった。

思いついてamazonで検索したらDVDの「季節の中で」を発見したので、注文した。ついでにCDnowでシャイコルトレーン(誰も知らないでしょ)を発見。探していたアルバムではなくベスト版だったが、注文してみた。楽しみだ。

祝北の湖理事長

労働が美徳だなんて、らーららららー
タイラバヤシかプロ倫か
なんて訳のわからない毎日を送ってますが、
北の湖親方が次期理事長に確定だそうですね。
大鵬同様一代年寄という名誉を押しつけられて勢力を削がれたのではと引退当時(新両国国技館落成の場所)僕は小さな胸を痛めましたが、そのうち誠実で人格に優れ人望も厚いとの評判を聞くようになり、ついに頂点に上り詰めたんだなあ。
怪童といわれた中学生力士の時代からファンだったのでうれしいです。
現時津風理事長もインテリぽくて数々の改革を断行した立派な人でしたが、どんな新風を吹き込むのか楽しみ楽しみ。
曙引退以降相撲もあまり見てなかったけれど、贔屓の佐渡ヶ嶽部屋から琴光喜という上を狙える逸材も出たし、楽しみ楽しみ。
暖かくなったら、壮瞥町の北の湖記念館に行ってみようと決意する深夜2時。

表裏

昨日、夜道を考え事しながら歩いていた。
足下で雪がほの白く光っている。
ふと、夏のキャンプ場の懐かしい焚き火の匂いがした。
驚いて顔を上げると、ハンバーグレストランの排気口から煙が出ていた。
炭の香りだ。
草いきれ、遠い花火、汗、感覚の混乱。
我に返ると、ひどく冷え込む空気を透かして真冬の星が凄惨に輝いている。

最後が肝心

今、買い置きのカップ焼きそばを作った。
パソコンでゲームをしていたら、知らぬ間にワインをずいぶん飲んでしまい、小腹がすいたのだ。
キッチンで、カップ焼きそば(明星)のセロファンをビリッと引き裂き、かやくの袋を引き裂いて、カップに空け、お湯を注ぎ、タイマーを3分にあわせる。
いかにも身体に悪そうな臭いが漂ってくる。じっと待つ。
時間がきて、お湯棄ての穴をもどかしくこじ開け、キッチンに流す。期待通り「べコン」と音が鳴る。
ふたを開けて、タレ、マヨネーズを入れてよくかき混ぜ、青のりをふりかける。いよいよだ。もう口の中に広がる味と香りが想像の中で破裂しそうだ。
ちょっと待て。ここでもうひと味。
ごま油を一垂らし。そして、今回はコショーを一振り。あっっ。
どぅあーーーーーーーっ。

コショーの蓋が外れて、瓶の半分近くがゾボッと焼きそばに〜〜〜。

深夜のキッチンの惨劇。
もう身体が焼きそば受け入れモードになっているし、知らんぷりして一口食べてみましたけれど、すぐに吐き出して水を3杯。
泣きたい。へこむぜ。

カップ焼きそばは、以前もお湯切りの時に油断して、麺がズルッとまろび出たことは何度かある。
慌ててキッチンシンクから回収しても、もはや残飯にしか見えず、食べられなかった。

やはり、いくらがんばっても最後の最後で物事の印象って決まるのかな。
ベートーヴェンの強迫神経症的な終止形も、裏返しなのかも。(わざとらしくあっさりと終わるのも多いけれど、同じ事?)
人生も?

僕が尊敬する中崎タツヤ先生の漫画にもこういうのがあった。
ある不良高校生が親に嘆かれて言うことには
普段、本当にいい人で、親切で責任感があり長年慈善活動とかもしているすばらしいオジサンが、たまたま出来心で下着泥棒とかをすると、「本当はとんでもない変態男だった」ということになるだろ。
でも俺みたいにに女に暴力ふるうわ後輩からカツアゲするわ先公は無視するわみたいなのが、たまたま横断歩道でお年寄りの手を引いたりすると、「本当は根の優しい子なんだ」ってことになるんだ。
この、「本当は」ってとこが大事なんだ。そこで評価される、世の中そんなもんだって。
「俺もちゃんと考えてるだろ」

うーん、どうなんだろ。

あの子を探して

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新年を機にHPをもっと更新することにした。
とはいえ、キチンと推敲しながら作り上げるには、あまりにも時間がない。
だから、手始めにcroquisを不定期日記形式にして、あまり深く考えず書く。
これだね。
もちろん、公開するわけだから次の方針で、

1 仕事と家庭は持ち込まない。
2 なるべく当たり障りない、どうでもいいことを。

ってことで、今日は映画のことを。
近所のレンタル屋が旧作95円なのでよく借りていたが、こないだ突然値上げして200円になった。
とたんに店はがらがら。
僕も以前は3本ぐらい借りていたのを、1本に厳選した。
チャンイーモウの「あの子を探して」っていうの。
しみじみといい映画だった。
中国版「二十四の瞳」。家が貧しく出稼ぎに行った生徒を、代用教員の女の子が連れ戻しに行く。
子供が子供らしくて、大人たちも素っ気ないけれど底の方で暖かい。
中国の田舎の風景の空気と日差しの懐かしさも。
この監督は以前はかたせ梨乃似のコン・リー主演でドロドロした歴史物などを撮っていたが、こっちの方が自然に撮れている。
札幌ドーム3杯分ぐらい良かった。

夜買い物ついでにDVDソフトを眺めたら、ウォン・カーウァイの「花様年華」がもう出ていた。
でも4800円。迷うなあ。

三連休の最後の夜、寂しい気持ち。

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