レオナール フジタ 展

日陰の色

先日レオナールフジタ展に行ってきた。

フジタは大分以前に展覧会で見たことがあって、例のエコールドパリ時代の乳白色は官能的ですごいと思ったけれど、特別好きな作家ではなかった。
だから、今回の展覧会もスルーしてもよかったけれど、偶然時間があいたので、思いだして道立近代美術館に足を向けてみた。

平日の昼というのに、結構な混雑ぶりで、人気の高さが伺える。
フジタが終の棲家としたパリ近郊のエソンヌ県のコレクションが主らしい。

展覧会はいくつかのテーマに沿って展示しており、まずパリに着いてからエコールドパリの寵児となるまでの作品。
初期のモディリアーニの影響を受けた造形的な人物。モディリアーニ直筆のフジタを描いたデッサンに釘付けになる。そして色を抑えた、不思議なムードの風景画。ユトリロ、ムンク、ブラマンク、キリコ、三岸などを連想させる。こんな形而上的な絵も描いてたんだと驚く。すごく空気感と物語性があって好きだ。

続いてエコールドパリ真っ盛りの作品群。いわゆるフジタのイメージそのもの。
ここで僕はあることに気づいた。きっと周知のことなのかも知れないが。
それは、フジタの輪郭線だ。墨と面相筆なのだろうか。
肉体の陰影は墨による技法と言われていたが実は油絵の具だったと解説されていたけれど、あの輪郭線はすごく繊細で、日本的だった。漫画的というか。
フジタは線の人なのだろうか。とか思っていて、ハッと閃いた。
あ、そうか。ボッティチェリだ。

次のセクションは、今回の展覧会の目玉。大画面の群像。長らく行方不明だったものが発見されて、近年修復されたという。乳白色の男女の裸体が展示場の壁一面の巨大な画面上に硬いポーズで配置されている。作品の準備のためのデッサンも併せて展示されていた。すごい迫力だ。日本初展示だという。
正直言って、僕は辟易してしまった。成功の美酒の果てというか、精神の崩壊を見せつけられているような不気味さを感じた。
唯一の救いは、後半で展示された猫や動物の絵に一片のユーモアを感じたことだ。鳥獣戯画だ。精神がバランスを取り戻したかったのだろう。

普通の展覧会の規模だったら、この辺で終わりなので、あまり後味が良くない気分で帰ったことと思う。

前にTVで戦争中、東京時代のフジタを特集していたものを見た。
暗い群像の戦争画と、戦後の批判。そして、フランス国籍を取得するまでの経緯を丹念に追っていた。

今回の展覧会ではその時代の足跡はスッパリ抜いていた。

そして、いきなり最終章。大戦後のエソンヌ県のフジタが現れた。
その世界を僕は全く知らなくて、今回初めて接した。
フジタは、フランス国籍を得た後、夫人と共にカトリックに改宗し、宗教画を描き、最終的には、自らの理想の教会を作り上げたのだ。
まるで、マチスのような終末だ。

再現されたアトリエや、ステンドグラスのなんと自由で色彩に満ちていることか。
木箱に描いた悪戯心あふれる無垢な絵や、日常の優しさあふれる陶芸の絵付け、子供たちの生き生きとした表情を切り取った絵。
涙が出そうなほどの純粋さと、現代に持ってきても頭抜けているデザインセンス。やっぱりすごい画力と才能だったんだ。

何よりその宗教画のなんと華やかで美しいことか。不思議と輪郭線より面的な色彩が優位になっていた。
こんなフジタがいたなんて。本当に感動した。

大満足で会場を出た僕は、やはりボッティチェリのことが頭から離れなかった。

ボッティチェリは当初、メディチ家の依頼でヴィーナスの誕生、プリマヴェーラなどローマ神話を題材とした異教的な作品で名声を得た。その線の素晴らしいこと。
線と言えば近代ではクレーの名が浮かぶ。しかし昨年クレー展で彼の線を間近で見たとき、一本の思い切った鋭い線と言うより、どちらかというとデッサン的に書き継いだ計算されたラインだと分かった。ちょっとがっかりした、というよりクレーはむしろ色彩の人だと思った。だから余計、ボッティチェリの天才を感じる。レオナルドがスフマートに向かったのは彼の線への嫉妬からかも知れない。
フジタのエコールドパリ時代の裸婦の線もボッティチェリを連想させたし、後期の「花の洗礼」をみても、当然ボッティチェリを意識していたと思う。
そのボッティチェリがサボナローラに出会って以降、宗教的な想像力の墓場に身を沈めたことと、フジタの人生がダブって見えたのだ。

僕が思ったのは、享楽から宗教へと相似的な人生を送った二人だが、ボッティチェリが宗教によって想像力を失ったと思えるのに対し、フジタはより生き生きとした自由な作品を生み出していったということだ。
二人はシンクロしていながら、結局はまったく逆のベクトルを辿ったのではないか、と強く感じだのだ。
フジタの絶頂期の作品は、確かに技法や質感などオリジナルで素晴らしいが、その独自性故かえってパターン化し、群像という寄せ集めの中に新境地を得ようとして崩壊したように感じる。
それが、帰化、改宗後の作品では、宗教画という厳密な語法や、過去の偉大な画家たちの膨大な先例という、逃れられない制約の下で、フジタの画面からは真摯さの中にも柔らかく純心無垢で遊び心に溢れ、見る人を惹きつけてやまない想像力の飛翔が感じられる。
復元されたステンドグラスでリュートを奏でる女神は、フジタや僕らの人生を全て肯定してくれているように微笑んでいた。

予想に大いに反し、素晴らしくインスパイアされた展覧会だった。
9月までやっているから、興味ある人は行って損はないと思うよ。

いい時間をつぶして、行った先は、大通ビアガーデン。
今年の約6回の予定中3回目だ。
札幌に住んで良かったと思える、気持ちのいい夏の午後だった。

人生にそんなご褒美の日があってもいいよね。

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