セザンヌ主義

深まる謎

オルセーでもどこでもいい。多くの絵画が展示されている中、微熱に浮かされたようにさまよっているとする。
そんなときに絵の方からこちらの目に否応なく飛び込んでくる作品があるだろう。
それはルソーだったりカラヴァッジョだったりジォットだったり、人それぞれだろう。

そして僕にとって、それは何よりセザンヌだった。

どんな美術館の僅かな収蔵品であっても、いつも特別な感覚でハッとさせられる。何度も振り返ってしまう。それがセザンヌだ。

もちろんセザンヌの名声、画業、絵画史上における位置も良く知ってはいた。
しかし以前は特に好きな画家ではなかった。

ところがはじめてその作品を見たとき、画集のイメージとまったく違うその力に完全に魅せられてしまったのだ。
第一にその色彩の輝き、多様さ、奥深さ。
対象が、緊密で自由な構図の中で、生々しい実体となって息づいていたのだ。
これほど画集などの印刷物と実際の作品の印象が異なる作家はいないのではないだろうか。

そのセザンヌが北海道で見られるというではないか。ビックリだ。
ということで、過日胸をときめかせて、標記の展覧会に行ってきた。

展覧会の構成としては、「人物」「風景」「静物」というテーマごとに、セザンヌの作品とセザンヌに影響を受けた東西の画家の作品を並べている。

察するに、高額なセザンヌの賃貸料のせいであろう。
全体の9割近くが関連作品で、しかも数少ないセザンヌも代表作といえる作品は無く、ほとんどは習作的だったり、未完成っぽかったり、ドローイングのようなものだった。
「セザンヌ主義」という企画展でなければ、水増しだ金返せ、と言われても仕方ないだろう。

しかし、モディリアニ、ピカソ、安井曽太郎、岸田劉生などの素晴らしい絵も楽しめたし、なんと言ってもセザンヌの存在感は圧倒的で、どんな小品でも強烈な光を放っていた。他の作家とはあからさまに一線を画していたのだ。

それで十分満足だった。
インスパイアされた。
麻薬的に印象が後を引く。

改めて思う。
セザンヌとはいったい何なんだろう。
白状すると、余計分からなくなった。

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